第64話 賢者様の過去

文字数 1,454文字

「さて、私達は賢者の間に移動しようか」
 そう言って、賢者は結界を解く為に先に廊下の方へ向かう。
 賢者の長い髪の先にあるリボンが私の目の前で揺れた。

「あ……たしの、リボン?」
 私の口から漏れ出した言葉に、賢者が驚いた顔で振り向く。
「エマ?」
 賢者が差し出した手に、思わず私の体がビクッと反応した。
 賢者は、少し寂しそうに手を引っ込める。

「賢者様?」
「もう私たちを知らない者もいないから、クリスで良いよ。ユウキ」
 ユウキと呼ぶの? 私の事を。
「クリス」
「ユウキ。私が怖い?」
 クリスが、私を不安そうに見つめている。
 怖いはずが無い。だって、今回()私を守ってくれた。
「クリスはいつだって私に優しかったから」
 だから、エマはクリスから理不尽な事をされても、嫌いになれなかった。
 今は、少しだけ私の中にエマの想い(きおく)がよみがえっている。
 クリスの事が、一番好きだったあの頃の記憶。

「とりあえず、賢者の間に移動しようか」
 賢者がそう言って、私達を賢者の間に連れて行く。

 賢者の間自体は、豪華だけどガランとしていて、何も無い空間になっていた。
 以前、中央にあった賢者の石も今は無くなっている。
 部屋の一番奥に、凝りに凝った装飾をあしらった棺らしきものが置かれていた。
 ウィンゲート公爵が言っていた通り、霊廟と言ってもおかしくない場所。

 賢者はおもむろに自分の過去を話し出した。
 誰かに聞いて欲しかったのかもしれない。

「以前の私は、人が死んでも何も感じない人間だったんだよ。戦争も何もゲーム感覚で作戦を練っていた。この国も先住民を大量虐殺して建国したくらいだからね」
 少し長くなるのかな。どこからともなく人数分の椅子を出して、私達を座らせていた。
「ウィンゲート家の祖先は、その当時の相棒だった。その頃の私は、英雄王なんてものに祭り上げられていて、浮かれきってたんだ。そして、国家として落ち着いた頃、歳を取らなくなっている自分に気付いた。罰が当たったんだと思ったよ」
 自分たちの歴史が、侵略から始まっているのは書物にも記載されているから知っているけど。
 賢者の過去は、そこには何も書かれてないから、クラレンスにも初耳なんだと思う。

「歳を取らない、死ぬこともない初代王の扱いに周囲は困ったのだろうね。今度は賢者なんて言われるようになってね。当時は魔法も普通にある世界だったし、私はかなり魔力があった。なにより国を護る戦争のノウハウは、どこの国の参謀より持っていたからね」
 自虐的……って、言うのかな、そんな風に笑うのね。

「そういう風に生きてきて、たまたま平和な時代が続いた時、気まぐれに下町に降りてエマに出会ったんだ。楽しかったよ。エマと出会えて、下町で生きることを教えて貰って」
 賢者は懐かしそうに語る。
「そして、ふとした瞬間に、エマが理不尽に殺されてしまうと予知してしまった。私は生まれて初めて、人が死ぬことに恐怖を覚えた。今までの様に、人の(ことわり)の中の事と納得しようとしても無駄だった。冷静に考えたら、エマは人間なんだから、必ず私より先に死ぬのにね」
 あの時はとても冷静になれなかったと、賢者は言う。
「そうして私は、エマを庇って刺される……つまり、エマの運命を変えてしまうという大罪を犯して、こんな事態を引き起こしてしまったという訳だ。私が不在じゃなかったら、空っぽの王妃も作る必要は無かったのだからね。全ては、私の責任だ」
 そう言って、賢者は私たちの責任を全て引き受けてくれた。
 私たちがマドリーンの死を背負う必要は無いと……。
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