リリー嬢と一緒に逃げた男の話 2
文字数 2,281文字
護衛と言っても子ども同士の事、しばらくはお嬢様の遊び相手だった。
「リリーお嬢様。危ないです、そんなに走っては転びます」
いや、転びます以前に、家庭教師が来たからって、走って逃げるのは無いだろう。
思わず、手加減無しに走って捕まえたら、案の定、靴のヒールが引っかかってしまい、派手に転んだ。
俺は、リリ-お嬢様が怪我をしないように抱き込んで転がったのだけど。
俺の腕の中で、リリーお嬢様がクスクス笑っている。
「お怪我は、無いですか?」
「ありがとう。ハンスのおかげよ。怖かったけど、ハンスが庇ってくれるから楽しいばっかりよ、私」
「……そうですか」
リリーお嬢様は、俺に抱きしめられたまま、安心してその身を預けている。
細くて小さい、性格ですら可愛らしい……口に出したら不敬だと叱られるけど、俺にとっては大切なお姫様だ。決して、手に入ることは無いけれど。
そうしているうちに、俺は成人して正式に、従者兼護衛としての任務をすることになり、もう、リリーお嬢様に触れることも出来無くなった。
正直助かった。触れてしまえば、もう離せなくなる。
この屋敷に連れて来られるまでは知らなかった、何一つ自分の思い通りにならない、貴族のお嬢様の不自由さも充分理解出来ていた。
リリーお嬢様も王宮でデビュタントを果たし、その後の舞踏会で王太子殿下の目に留まった。
小柄で可憐な美しい女性に成長したリリーお嬢様を、王太子殿下が好きになるのは分かる気がした。ご婚約者様とは上手くいってないという噂も嘘ではないらしい。
リリーお嬢様が、王太子殿下のお相手に選ばれたのは、伯爵家ご令嬢としては誉れだったようで、ブライアント伯爵家挙げて喜んでいた。
慣例通り、正室に男の子が二人授かってから、側室に入る事になるとは思うが、現国王の側室も王の寵愛を一身に受けて幸せになっている。
リリーお嬢様は、子どもの頃から物語の王子様に憧れていた。幸せになれるのなら、側室でも何でも、俺はそれで良いと思っていた。
雲行きが怪しくなってきたのは、王太子殿下に見初められてから半年がたった頃、リリーお嬢様を次期王妃候補にという話が出て来だした頃からだ。
お屋敷で、俺が護衛として側にいるときも、暗い顔をすることが多くなった。
「どうなされましたか? リリーお嬢様」
「今日も、キャロル様から……ううん、私が悪いの。キャロル様は正しいことを言ってるから」
どうも、ブライアント伯爵が欲を出してしまったらしい。
王太子殿下に、あんなに寵愛されているリリーなら、王妃にも成れるのでは無いかと。
そうして、1年後に事件は起こる。
こともあろうか、あの王太子殿下は、正式な手順も何も踏まず、傍目から見て何の落ち度も無いキャロル様に、婚約破棄を申し渡したのである。
そうして、クリス王子殿下のご病気快復祝いの夜会を最後に、ブライアント伯爵家は、社交界から消えてしまうことになる。
夜会から戻ったリリーお嬢様は、真っ青な顔をして震えていた。
傍目も気にせず俺にしがみついている。触れたのなど、何年ぶりだろうか。
お屋敷は騒然としていた、執事や古くからいる使用人は覚悟を決めたように普段通りに仕事をしている。だがそれ以外は我先にと逃げ出していた。
「リリーお嬢様。どうしました? 何があったのです」
なるべく、ゆっくりと……落ち着いて訊いてみる。
しがみついている手も震えているけど、俺は触ることが出来ない。
「賢者様の……お怒りに触れてしまいました。私は……死にたくない。処刑されるのはいや」
そう言って、俺に縋ってボロボロ泣き出した。
俺は、そっとリリーお嬢様を抱きしめる。力が入らないように頑張った。
心の中は、王太子に対する怒りでどうにかなりそうだったけど。
不意にリリーお嬢様は手を突っぱねて、俺から離れる。
「ありがとう、ハンス。もう良いから、あなたも早くお逃げないさい。家がお取潰しになっても、私たちが処刑されても。使用人に類が及んだことは無いと聞いてます。逃げてしまった使用人に追跡は掛からないわ」
リリーお嬢様は、涙を拭いてニッコリ笑った。
ブライアント伯爵家は、表向きは全員……逃げた使用人も含めて、全員行方不明となっている。
屋敷に残った使用人は、上位貴族とは違う地下の牢屋に入れられていた。
基本的には、取り調べという名の事情徴収が行なわれて、そのまま帰される事になる。
特に、執事と侍女頭は屋敷の後始末や、逃げなかった使用人達の紹介状を書かなければならないので、その日のうちに帰される。
リリーお嬢様とも離され、俺はすることも無く牢屋で事情徴収の順番を待っていた。
事情徴収は形ばかりで、簡単なものだった。要は名前と仕事の内容だけだ。逃げなかったという、紹介状に付ける証明書を発行するためのものらしい。
「もう、戻っても良いぞ。屋敷に行けば、執事が次の仕事先に紹介状を書いてくれるだろう」
「リリー様は、どうなるのですか?」
「ああ。護衛やってたんだな。まぁ、当事者だからなぁ。言わんでもわかるだろ?」
「では、俺も同じようにして下さい」
「無理だ。変な前例作れんからな。さっさと帰れ……うわっ」
俺はとっさに、取調官をぶん殴った。椅子毎ひっくり返っている。
「誰か、こいつを牢屋に入れろ」
わらわらとやって来た兵士に俺は連れて行かれた。元の牢屋に逆戻りだ。
でも、こうして戻ってきたところで、リリーお嬢様が助かる訳ではない。
どうしようと思っていたら、目の前にまばゆい程の光が、次第に牢の中を照らし出すように包まれていった。
「リリーお嬢様。危ないです、そんなに走っては転びます」
いや、転びます以前に、家庭教師が来たからって、走って逃げるのは無いだろう。
思わず、手加減無しに走って捕まえたら、案の定、靴のヒールが引っかかってしまい、派手に転んだ。
俺は、リリ-お嬢様が怪我をしないように抱き込んで転がったのだけど。
俺の腕の中で、リリーお嬢様がクスクス笑っている。
「お怪我は、無いですか?」
「ありがとう。ハンスのおかげよ。怖かったけど、ハンスが庇ってくれるから楽しいばっかりよ、私」
「……そうですか」
リリーお嬢様は、俺に抱きしめられたまま、安心してその身を預けている。
細くて小さい、性格ですら可愛らしい……口に出したら不敬だと叱られるけど、俺にとっては大切なお姫様だ。決して、手に入ることは無いけれど。
そうしているうちに、俺は成人して正式に、従者兼護衛としての任務をすることになり、もう、リリーお嬢様に触れることも出来無くなった。
正直助かった。触れてしまえば、もう離せなくなる。
この屋敷に連れて来られるまでは知らなかった、何一つ自分の思い通りにならない、貴族のお嬢様の不自由さも充分理解出来ていた。
リリーお嬢様も王宮でデビュタントを果たし、その後の舞踏会で王太子殿下の目に留まった。
小柄で可憐な美しい女性に成長したリリーお嬢様を、王太子殿下が好きになるのは分かる気がした。ご婚約者様とは上手くいってないという噂も嘘ではないらしい。
リリーお嬢様が、王太子殿下のお相手に選ばれたのは、伯爵家ご令嬢としては誉れだったようで、ブライアント伯爵家挙げて喜んでいた。
慣例通り、正室に男の子が二人授かってから、側室に入る事になるとは思うが、現国王の側室も王の寵愛を一身に受けて幸せになっている。
リリーお嬢様は、子どもの頃から物語の王子様に憧れていた。幸せになれるのなら、側室でも何でも、俺はそれで良いと思っていた。
雲行きが怪しくなってきたのは、王太子殿下に見初められてから半年がたった頃、リリーお嬢様を次期王妃候補にという話が出て来だした頃からだ。
お屋敷で、俺が護衛として側にいるときも、暗い顔をすることが多くなった。
「どうなされましたか? リリーお嬢様」
「今日も、キャロル様から……ううん、私が悪いの。キャロル様は正しいことを言ってるから」
どうも、ブライアント伯爵が欲を出してしまったらしい。
王太子殿下に、あんなに寵愛されているリリーなら、王妃にも成れるのでは無いかと。
そうして、1年後に事件は起こる。
こともあろうか、あの王太子殿下は、正式な手順も何も踏まず、傍目から見て何の落ち度も無いキャロル様に、婚約破棄を申し渡したのである。
そうして、クリス王子殿下のご病気快復祝いの夜会を最後に、ブライアント伯爵家は、社交界から消えてしまうことになる。
夜会から戻ったリリーお嬢様は、真っ青な顔をして震えていた。
傍目も気にせず俺にしがみついている。触れたのなど、何年ぶりだろうか。
お屋敷は騒然としていた、執事や古くからいる使用人は覚悟を決めたように普段通りに仕事をしている。だがそれ以外は我先にと逃げ出していた。
「リリーお嬢様。どうしました? 何があったのです」
なるべく、ゆっくりと……落ち着いて訊いてみる。
しがみついている手も震えているけど、俺は触ることが出来ない。
「賢者様の……お怒りに触れてしまいました。私は……死にたくない。処刑されるのはいや」
そう言って、俺に縋ってボロボロ泣き出した。
俺は、そっとリリーお嬢様を抱きしめる。力が入らないように頑張った。
心の中は、王太子に対する怒りでどうにかなりそうだったけど。
不意にリリーお嬢様は手を突っぱねて、俺から離れる。
「ありがとう、ハンス。もう良いから、あなたも早くお逃げないさい。家がお取潰しになっても、私たちが処刑されても。使用人に類が及んだことは無いと聞いてます。逃げてしまった使用人に追跡は掛からないわ」
リリーお嬢様は、涙を拭いてニッコリ笑った。
ブライアント伯爵家は、表向きは全員……逃げた使用人も含めて、全員行方不明となっている。
屋敷に残った使用人は、上位貴族とは違う地下の牢屋に入れられていた。
基本的には、取り調べという名の事情徴収が行なわれて、そのまま帰される事になる。
特に、執事と侍女頭は屋敷の後始末や、逃げなかった使用人達の紹介状を書かなければならないので、その日のうちに帰される。
リリーお嬢様とも離され、俺はすることも無く牢屋で事情徴収の順番を待っていた。
事情徴収は形ばかりで、簡単なものだった。要は名前と仕事の内容だけだ。逃げなかったという、紹介状に付ける証明書を発行するためのものらしい。
「もう、戻っても良いぞ。屋敷に行けば、執事が次の仕事先に紹介状を書いてくれるだろう」
「リリー様は、どうなるのですか?」
「ああ。護衛やってたんだな。まぁ、当事者だからなぁ。言わんでもわかるだろ?」
「では、俺も同じようにして下さい」
「無理だ。変な前例作れんからな。さっさと帰れ……うわっ」
俺はとっさに、取調官をぶん殴った。椅子毎ひっくり返っている。
「誰か、こいつを牢屋に入れろ」
わらわらとやって来た兵士に俺は連れて行かれた。元の牢屋に逆戻りだ。
でも、こうして戻ってきたところで、リリーお嬢様が助かる訳ではない。
どうしようと思っていたら、目の前にまばゆい程の光が、次第に牢の中を照らし出すように包まれていった。