第75話 オマージュ元について語る【GRASSBLUE編】(青)
文字数 2,637文字
今日最初にお話するのは、「狙って書いたオマージュ」ではなくて。
最近になってふと思い出して「過去の自分が好きだった作品」について調べたら
「あまりにも、私の書いた作品が似すぎている……もしかして私は無意識盗作をしてしまったのか!?」
って、ちょっと考え込んでしまったやつです
(オマージュと盗作の違い、という定義は有名なのでここを読んでいる方の多くはご存知かもしれません。
ここに引用しようかと思って検索してみましたが諸説ありすぎて断念しました。
気になる方は検索してみてください)
それで考えてみた結果。
幼い頃に私が触れたその作品の世界観が、私が好む物語の「究極の理想形」として、心の奥底に根付いていて。
私の人生の代表作になるであろう物語を執筆するにあたって、無意識に「理想の世界観」を再現してしまったのかもしれません
その作品というのは、最初にゲームボーイで発売された「ゼ◯ダの伝説ゆめをみる島」になります
世界的超有名タイトルでファンも多いから、一応検索避けの伏せ字と平仮名を使うことにしたらしい
私が覚えている範囲でおそらく初めて、「親から買い与えられた本」ではなく「買って欲しいと親に頼んで」買ってもらった本がこれだったと思います。それだけ子供の頃の私が大好きだったということ。
作品について語ります。
主人公のリンクさんが嵐の海で難波して、目が覚めたら見知らぬ孤島にいました。
島から脱出して故郷へ帰るためにリンクさんは冒険しつつ、島の住人達とも交流を重ねます。
ストーリーが進むにつれて、この島は「かぜのさかな」という、島の中央にある巨大なたまごの中で眠る存在の見ている夢であることが判明します
リンクさんにとってもゲームのプレイヤーさんにとっても、冒険を重ねるにつれてこの島や住人の皆さんに愛着が湧いてきている頃に判明する事実です。
リンクさんはもちろん故郷に帰りたいはずですが、自分がこの島を脱出するためには、かぜのさかなの夢を終わらせなければならない。
そうすると、愛すべき住人達をこの島もろとも消滅させることになってしまう……
なお、私はアクションゲーム今も昔も大の苦手で、大好きと言いながらこの島のプレイをほとんどしたことがありません。
敵モンスターの出現しない安全圏である「島の村」をうろうろして、セリフも変わらないのに毎日住人に話しかけて、村のすみっこにある広い草原で草を刈るばかりの日々
大好きな作品という発言への説得力が失われそうだけど……
それなのにゲームの内容知ってるのは、ゲーム得意な家族がプレイしてるところをずっと見てたからで、プレイ中に村に帰ったら「操作させてくれ」ってお願いしてやらせてもらってたからだって
そういう、家族との思い出も含めての「好き」もありそうなので許してください。
村の中を歩いて草原で草刈り。毎日のようにそんな作業を繰り返す。たったそれだけのプレイ内容で楽しいと思えるくらいこのゲームは魅力的ですし。逆に言うと、私は「たったそれだけ。」が楽しいという性格なんですね
難しいゲームが苦手で、変化に乏しい村の中で住人に会いに行くだけ。そういう平和〜な世界で暮らすだけのゲームが好きなんだそうです
↑この情報、「このエッセイ全体の最終的なオチ」に関わる内容なので覚えておいてください
テストに出るから覚えておきなさいって言う先生じゃあるまいし……後でもう一度話題になるんで今忘れても別に大丈夫です
さて、本題のオマージュ要素についてですが。
私の代表作のひとつ「GRASSBLUEシリーズ」のキーワードになっている、「青い草原」ですが。
もしかしたらこのゲーム(私が動かしてたのは初代ゲームボーイ版なのでモノクロカラーでした)で、何度も何度もこの島の草原に通っていたせいで心象風景として刻まれていたのかもしれません
理想的な世界だけど、この世界は夢であるから、夢をみる誰かを眠らせ続ける=犠牲にして成立している。
どんなに素敵な世界であっても、夢である以上はいつかは終わらせないといけない
え〜……とっても身に覚えのある、私達の世界のあの出来事にそっくりです
昨日に続いて、箇条書きマジックとやらにすると、ほとんど同じになっちゃうあれだよな
書き終わって2年後くらいに急〜〜にこれに気付いて、我ながら恐怖を覚えました。
狙って書いたオマージュならしょうがないですが、無意識に「自分の好きな作品」にこんなにも似てしまうことがあるんだなぁって。
しかし、意図的か無意識かの違いはあっても、私が「あの作品を自分が小説にして読みたい」の気持ちが根底にあったのは同じです
疑われてしまうのも仕方がありませんが、盗作ではないと信じていただきたいです……!
補足として、実際には書けなかった、中学生の自分が考えてた頃の「GRASSBLUEオマージュ元」は「幻想水滸伝シリーズ」です。
当時の友人と一緒にどハマリしていて、自分達もああいうのやりたい〜からの大量の登場人物を考えての戦記物語でした
だけど、子供の頃は当然にしろ、大人になってからも作者には「オマージュ元のようなちゃんとした戦記物を書く技術」なんてなかったから、オレやイリサ、ごく一部の登場人物だけ残して「神話もの」に設定を変えて描くことになった
このシリーズの舞台はキリスト教と仏教がごちゃ混ぜになったような宗教体系になっています。その点に疑問を抱かれる方もいるかもしれませんが。
それはここ数年の私が「聖☆おにいさん」という作品に夢中だったので、
「あんな風に、宗派で争わず普通に共生出来てる世界観にしたい」って思ったからです
「聖☆おにいさん」を愛読するようになった理由は、あおくささんは人形好き、造形好きが高じて「仏像類」にも魅力を感じるようになって。仏像だけが好きで仏教のことを何も知らないままでは仏像様に失礼かと思って勉強を始めた延長線上にあるそうですよ〜
3作品も触れなきゃいけないからいつもと同じくらいの文字数で収まるか心配でしたが、何とかまとまって良かったです
このエッセイの1話目は1400文字だったのに、日に日に文字数増えてって最近は2600文字が標準になっちゃったもんなぁ
長いと読みにくそうなので、基本は2000文字が目標だったんですけどねぇ
こういった状況にも関わらず今日も読んでくださって、ありがとうございます〜!
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