第66話 物語にテーマ性は必要か?(パ)
文字数 2,556文字
昨日の続きです。シナリオ講座の2人目の先生(女性)は、自分の仕事法を通して物語の書き方を指導してくださるスタイルでした。
彼女はいわゆる「通年アニメ」(4クール50話構成)のうち、何話かを依頼されて書く脚本の仕事を経験していました。
そして、以下のようなことを教えてくれました
4クール50話のアニメは、作品全体をまとめるテーマがあることを知っている人は多い。
けれど、実は「50話のうちのたった1話」であっても、脚本家は「その1話のためだけのテーマ性を込めて書いている」
50ぶんの1話として仕事を受けるんじゃなくて、その1話を大切に、起承転結やテーマ性を考えて脚本を書いているんです。
私は子供の頃からアニメオタクで4クールアニメもよく見ていたんですが、50話のうち何話かに
「ストーリー上、重要な話がいくつかある。それ以外はあってもなくても大局に影響しない日常回」
みたいな感覚でいました。
実際にその仕事で脚本を手掛けている方の話を直接に聞けたおかげで、そうではなかったんだと初めて知ることになったんです
ふむ〜……失礼ながら、自治体主催の無料シナリオ講座なのだから、誰もが知るような著名な作家様が指導してくれるわけじゃない。薄い期待で参加してみたところ、そうした、
「たくさんの人が関わって制作する通年映像作品の、ごく一部の脚本を依頼を受けて書く脚本家様」
そういった、「縁の下を支えるひとり」という立場の方が、短いエピソードにも全力で、心を込めて書いている……
そういった実態を教えていただけたことは、期待していた以上の成果が得られたというわけっすね~
実際、それを知ってからは通年アニメの1話ずつをきちんと見るようになって。そうしてみると確かに、ほんの20分弱の話に起承転結、そのエピソード単体のテーマがきちんと組み立てられていることがわかるようになりました。
言われてみれば確かにそうなんですが、「言われるまでは」全然意識してなくて、気付けなかったんですよね
貴女が両先生の名前を覚えていないように、国民の誰もが知るほどに著名な作家ではない。歴史に名を残しているわけではないが、確かに「アニメ制作スタッフの一員」として関わっていた事実がある。
そうした方々の講義を直に受けられたというのは羨ましく思うよ
パーシェルは読む方は好きですけど、書く方にはしないのだから、この講座の参加資格は満たせてないっすけどね
その通り。書く気もないのにただ話が聞きたいからと「脚本を書くための講座」に参加するのでは、単なる冷やかし。貴重な抽選席を奪うなど許されないのだよ
私はこういう、ちょっとでも自分の技術向上に役立ちそうな講座があったら、無料でも抽選でも先着でも、とりあえず応募はしておくことにしています。この時も抽選だったので、ご縁があって良かったです
「無料の」ってところに若干のセコさがうかがえなくもないっすね……有料のは興味ないっすか?
本気で必要性を感じてる分野があれば、有料講座も受けに行くとは思いますけどねぇ……
まぁ、そんなこんなで。私は2日目の先生の指導のおかげで、
「どんなに短い話でも、書く上でテーマ性は必要である」
というのを意識するようになりました。
それまでの私の書く小説もどきはテーマ性もなく、ただ自分が好きそうな話や場面や登場人物の寄せ集めでしかなく、書く自分が楽しいだけの読んでて楽しめる内容ではま〜ったくなかった
屋台骨がしっかりしていない、ふにゃふにゃの、要領を得ない物語でしかなかったものが、指導を受けてテーマ性という確たる背骨を受けたことで格段に「見られる」ものに変わった、と。素晴らしいではないか
自分の書いたものに随分と自信があるようですが……何を根拠に「良くなった」と言い切れるっすか?
世間で流通している作品と自分の作品の比較として「自分の作品が良い」と言ってるわけじゃなくて。
「シナリオ講座を受ける前の自分の昨品」との比較ですから。
あの頃と比べたら絶対に間違いなく向上したって言い切れますよ
ああ、それならエリーも見聞きしたことあるっす!
努力の成果を実感するために、よそ様の功績との比較ではなくて、「努力の結果、過去の自分と比べて向上したのか」を考えた方が良いって!
吾から言わせれば、物語は完成さえしていれば、どんなに短かろうが拙かろうが評価に値するが。
吾のように書きはしない、ただ読書を愛好するだけの立場からしたら、創造した上で最後まで心も筆も折らずに書き切るなど、それだけで偉業に等しいのだよ
私も、テーマ性のない話や超短編を読んでも「物語が面白かったから」とか、「自分には思いつかない発想だったから」など。要するに私の性癖に一致する作品であったなら楽しく読んでますし、「物語に絶対にテーマは必要だ」とは言い切れません。自分以外の誰かの書く作品にまでそれは求めません。
ですが、自分が書く作品に対しては、たとえ短編でも必ず「その作品のためだけのテーマ性」を考えることにしています。
そうしないと、なんとなく、自分にとっての「労力と時間を割いてまで、その作品を書いて世の中に残す価値」が見い出せない気がしてます
よそ様に強要しないなら、自分の作るものにそういう信条があるってだけで、構わないんじゃないっすか?
私自身は誰かに強制するつもりはないんですけどね〜……逆に言うと、
「(少なくともweb小説の世界では)物語にテーマ性なんかいらない! むしろない方がエンタメとして正しい! そんなものつけるな!」
みたいなことを、声を大にして言う方もいるので……モヤモヤ〜っとするんですよね〜……
その小説指南というのはおそらく、「商業化を目指し、志す者なら」という前提があるのではないのか?
執筆とは万人に自由であって、何物にも強制するされるものではないだろうが、商業の場合であればその限りではないからな
講座の両先生、19年も前に受けた仕事の受講者のひとりが、あの時のことを細かくエッセイに書いてるって夢想だにしないんじゃないっすかねぇ
脚本家としての彼らの仕事が、またひとつ、結果となって世の中に出て形をなしたと言えるのではないか?
ささやかに思えるご縁がどこでどう実を結ぶかって、わからないものっすね〜
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)