第67話 酔っ払いの庭師

文字数 2,629文字

第2幕 第10景
伯爵夫人の部屋に、新たな人物が入ってきます。


老いた庭師のアントニオ。

ヨタヨタと、危なっかしい歩き方。薄汚れた格好。酒臭い息。

だけどその手には、踏みつぶされたカーネーションの鉢があるのです……

(いきり立って)

ああ、お殿様……お殿様!

いかがした?
何という狼藉! 誰がこれをやったんだか!
どうした、何があった?

(近づくと同時に、酒臭さにうっと鼻を覆う)

聞いてくだせえ……

バルコニーから庭をめがけて、毎日いろんな物が落ちて参りやすが、

今しがたは、何と男が落ちてきたんで。へえ、お殿様

な、何? バルコニーから?
そして、このカーネーションを見てくだせえ……

(ちきしょう、苦心の作を!)

(や、やばいわ!)
(この酔っ払いは、まずいことを言い出すんじゃないかしら)
して……男とやらは、どこにおる? どこへ行った?

(さてはケルビーノの奴、バルコニーから逃げたな)

めっぽう速く、そのごろつきは逃げ、

すぐにあっしの目から消えうせました

(フィガロにこっそり)

分かるでしょ? お小姓が……

(スザンナにこっそり)

すべて知ってる。彼を見かけた

何とか事態を打開しようとするフィガロ。
は、は、は!
何を笑う!
お前は朝っぱらからご酩酊なのだ
しかし伯爵の方はチャンスを逃しません。アントニオに再度問いかけます。
もう一度、語ってみよ。

男がバルコニーから……?

そうです。バルコニーから、庭へ……
お殿様。

今、しゃべっているのはアントニオではなく、酒なのです

そうです。酔っ払いが作り話をしているんです
いいから続けよ。その者の顔を見なかったか?
いいや、見ませんで
見なかったのか

(なーんだ。ぬか喜び)

スザンナと伯爵夫人は、頭を使えとフィガロをけしかけます。

必死に考えるフィガロ。

こぼし屋、黙ってろ。

だが別段、隠し立てするほどのことでもない。

このオレ様が、あそこから飛び降りたんだ!

え……?
あんたが?
フィガロ、名案だわ!
冴えてるわ!
まさか。信じられんぞ
いつの間に、そんなにデカくなった?
いや、飛び下りた後は、ちっちゃくなるでしょ?

ほら、こんな風に……

しゃがんで着地し、そのままぴょんぴょんと飛び跳ねるフィガロ。
(アントニオに)

そちはどう思う?

あっしには、小僧のように見えました
ケルビーノだろ!!
今度こそ、言い逃れはできない。

スザンナと伯爵夫人は息を呑みます。

だけどフィガロがまたも名案をひねり出すのです。

(皮肉っぽく)

まさしく奴さ。

彼が今いるはずなのはセビリアだろ?

馬に乗って、ここへ来たんだろう

そう言われると、アントニオはおろおろするばかり。
そりゃ違う。そりゃ違う。なぜって、馬が飛び下りるのを、あっしは見なかった
(ふん。バカバカしい)

もう良い。この件は終わりにする!

と言いつつ、伯爵はフィガロになぜ飛び下りたのか、執拗に問い詰めます。

フィガロは「恐れのため」と答えます。

(召使いの部屋を指さし)

あそこに閉じこもり、恋人を待っておりますと、

ドン、パタ、いつもと違う騒ぎ

お殿様の怒鳴り声はするし、例の手紙の件もあり、

バレたらどうしようと、恐怖に動転して私は飛び下り……

そして、足首をひねってしまいました!


うお~、痛い、痛い

(足首をさすり、悶絶)

言い訳になっているのか、いないのか?

ドアには鍵がかかっていたので、召使部屋とは通じていなかったはず……辻褄の合わない話ですが、スザンナと伯爵夫人はすかさずフィガロに歩み寄り、足をくじいた彼を心配します。

こうすれば、きっと伯爵を誤魔化せるはず!


しかし。

ここでアントニオが、懐から折りたたんだ紙を出すのです。

なら、この書類はあんたさんのだな?

あんたさんが落としたんだ

慌ててフィガロが駆け寄りますが(くじいた足はどうした?)、間に合いません。

伯爵が横からパッと取り上げてしまうのです。

寄越しなさい!
ああ……絶体絶命
フィガロ、しっかりして!
私達がついているわ!
(フィガロに向かって)

さて、言ってもらおう。

この書き付けは何かな?

(冷や汗)

それは……ただいま……

たくさんありますもので、お待ちを

(ポケットから何枚かの紙を取り出す)

たぶん借金の覚え書きだろうさ

(字が読めません)

いや、違う。居酒屋の勘定書きだ(汗)
伯爵はアントニオに、この場はフィガロに任せて出て行くよう命じます。

アントニオはカーネーションの悔しさから、フィガロに罵声を浴びせて出て行きます。

怖くないぞ!
ここで伯爵夫人が、夫の手にある書類がケルビーノの辞令であることに気づきます。
(スザンナにこっそり)

大変。辞令よ!

(フィガロにこっそり)

驚いたわ。辞令よ!

(皮肉たっぷり。フィガロに)

頑張れよ


(頭に手をやって)

そ、そうだった! それは辞令でして。

あの若者が私に託しまして……

なぜそのようなことをする?
(おろおろして)

そこには足りないものが……

足りない?
(スザンナにこっそり)

印が

(フィガロにこっそり)

印よ

答えよ!
ええっと、ええっと、その……

通常は……

そこに、印を押すのが通常かと

(え……まさか)
慌てて確認する伯爵。

確かに、印が押されていません!(無効です)


伯爵の怒りは頂点に達し、その場でビリビリと紙を破り捨てます。

悪魔の仕業だ!

なぜこうなるのだ! 謎に次ぐ謎だ!

スザンナ、伯爵夫人、フィガロはようやく胸をなでおろします。
この嵐さえ乗り切れば
もう難破はないわ
(独白)

むかっ腹立てても、地団駄踏んでも無駄ですよ、お殿様。

お気の毒ですが、あまり事態が分かっておられませんね

ケルビーノの軍隊入りの件は、とりあえずこれで解決の模様。

しかし、フィガロ自身にはまだ問題が残っているのです。

印鑑の押し忘れって、今でもあるあるだな
伝言ゲームでヒントを出すのが面白いね~。

伯爵は三人の策略に気づいていながら、論破されちゃった感じかな?

庭師アントニオもまた、憎めないキャラですね。

このお城の召使いには親族が多く抱えられていたようで(コネ採用?)、アントニオはバルバリーナの父親、かつスザンナの伯父です。彼には後でまた出番があります。


でもその前に、いよいよ問題の人々がここに入ってきます。

アントニオの退出で五重唱からいったん四重唱に戻りましたが、次はいったい何重唱になるんでしょうか……?

こちらは静止画と歌のみですが、庭師アントニオを含めた言い争いの雰囲気が感じられます。アントニオが「Ah,Signor(ああ、お殿様)」と泣きつくところから始まります。よろしければどうぞ!

↑カーネーションと辞令の紙を持っているのかな……?
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