第62話 「いいから出てきなさい」

文字数 1,754文字

第二幕 第三景
待ってましたとばかり、狩猟服姿の伯爵がズカズカと部屋に入ってきます。
珍しいな。そなたが部屋にいて鍵をかけるなんて
じろっと疑いの目で部屋を見回す伯爵。

夫人はぎこちなく笑ってごまかします。

確かに……あの、でも、わたくし、ここで着替えておりましたのよ
ほう、着替えて?

(嫌味たっぷり)


あれこれ、服を変えておりましたの。

スザンナもおりましたのよ? もう部屋に下がりましたけど

いずれにしても、そなたは落ち着きがない。

この手紙を見てもらおうか……

伯爵が取り出したのは、フィガロが書いた例の手紙です!

そこには、伯爵夫人の浮気をうかがわせる文面があるはず。


息を呑み、身構える伯爵夫人。

ところがこの時、衣裳部屋で大きな物音がするのです。


がたーん

あの音は何だ?

衣裳部屋で何かが倒れたぞ

わたくしは何も聞きませんでした
苦し気に言い訳をする伯爵夫人ですが、伯爵はもう疑念のかたまり。

衣裳部屋に誰かがいるだろうと、夫人に詰め寄ります。

夫人はスザンナだろうと答えてしまい(さっき部屋に帰ったと言ったので矛盾しています)、ますます伯爵の疑いを強めることに。

すぐにわかるぞ。本当にスザンナがここにいるのか
ここでスザンナが召使部屋に通じるドアから戻ってきますが、二人の言い争う様子を聞いて大慌て。

すぐに隠れ、物陰からそっと夫婦の様子を窺います。

ここから三重唱「いいから出てきなさい」です。
衣裳部屋の扉をドンドンと叩く伯爵。
スザンナ。いいから出てきなさい。

この私が所望しておる

おやめください。お聞きください。

あの者は出て参れません

(物陰でこっそり)

一体どうなってるの⁉

ケルビーノはどこへ行ったの?

こんな状況だというのに、なぜ出て来られないんだ?
礼節のためですわ。

あの子は花嫁衣裳を試着しているところなのです

事は明白だぞ!

そなた、間男をここにかくまっておるのだろう

状況が少し飲み込めてきたスザンナ。

固唾を飲んで様子を見守ります。

スザンナ、そこにおるのか。

少なくとも声を聞かせるぐらいはできるだろう?

駄目! 駄目! いけません。

わたくしが命じます。スザンナ、黙っていなさい

これは大変なことになりそう……

スザンナは隠れたまま、青ざめています。このまま喧嘩が激しくなると、伯爵夫妻は決裂してしまうかもしれません。これは伯爵家にとって、大スキャンダルです。

イギリスのカントリー・ハウス「グラインドボーン」で行われるオペラフェスティバルより。所有者・資産家のクリスティ家によって主催されるもので、特にモーツァルトのオペラに力を入れているそうです。


ベッドの下で、顔だけ出して歌うスザンナが、お茶目でかわいいですよ!


では、そなたはどうしてもここを開けぬのか?
自分の部屋です。なぜ開けねばなりませんの?
よかろう。勝手にしなさい。

こっちは鍵なしで、こじ開けてやるぞ。

これ、誰か!

婦人の名誉を傷つけるおつもりですか!
おお、その通りだ。そなたの申す通り、使用人に恥をさらすことはないよな。

自分で工具を取りに行こう。


間男が逃げられぬよう、召使部屋の扉にも鍵をかけておくぞ

伯爵はすべての扉に、ガチャっガチャっと鍵をかけていきます。

夫人はそれを見て、スザンナが戻って来られないと思い込み、絶望します。

ああ何てひどいことを……!
そなたにも、一緒に来て頂くとしよう。


(きざな態度で手を差し出す)

奥方よ。さあ、そなたに腕を預けよう。共に参ろうぞ

夫人は不承不承、夫と腕を組みます。
……参りましょう
伯爵は部屋を出る前にくるっと振り向き、衣裳部屋の扉を指さします。
スザンナは、我々が戻るまでそこにいなさい!

(絶対、いねーだろ。そこにいるのはケルビーノに決まってる)

物陰でビクっとするスザンナ。

伯爵夫妻は出て行きます。

伯爵は、疑り深い野郎だな
悪いことを考えている人は、無実の他人のことも疑いたくなるんだよ。

現代でもよくあることだよね~。

本当は自分がやましいだけなのに、情けないぜ、伯爵!

確かにそう。

だけどモーツァルトは、こういう情けない人に対して、意外なほど共感性の高い音楽を与えているよ。

音楽の専門家の間でも、このオペラではフィガロ以上に伯爵の心理が克明に表現されていると指摘されているそうです。

不完全な人にこそ愛情を注ぐべきだというのが、モーツァルトの意見なのかもしれないね

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