最終話 Siva(リプライズ)〜Here, I’m skating〜
文字数 1,620文字
リンクの中心。
静寂に目を閉じて、彼は最初の音を待っている。
やがて聞こえてくるのは風の音。
だが彼はまだ目を開けない。
頭の中から音が漏れ出しているのに、彼だけが気付いていないかのように見える。
波紋を呼び起こす一滴が、氷面に投下される。
ストリングスのシュプール。
王冠状の飛沫 が螺旋 の角度を示す。
上へ。
時計の針音に似たハイハットがリズムを刻む。
彼は目覚め、滑り出す。
舞い落ちる雪片 を愛おしげに手のひらで受け止める。
風に潜むきらめきを指先で捕まえる。
溶け落ちる儚さを惜しむように微笑んだかと思うと、ターンを二度踏む。
僅かな音の隙間を狙って、氷を蹴った。
四回転サルコウ。
ディレイド回転を伴う高くて遠い放物線の残像が、無音の空間に浮き上がる。
チェレスタのメロディーは下降螺旋を描き、上昇するストリングスと交差する。
シンセサイザーが奥行きを広げる。
氷河の裾野 に飛び乗るように、トリプルルッツ+トリプルループ。
鋭利な二本の軸が、氷柱の残像を焼き付ける。
だが、着氷は足元が雪原と錯覚するほど柔らかい。
心象風景が、世界を浸食していく。
巻き上がる音に背中を押されるように、トリプルフリップ。
すぐにイナバウアーで半円の弧を描く。
見る者全ての視線が軌道に束ねられていく。
ビートがフルになると同時に、滑走のギアが変わった。
縫うような滑りから、ジェット噴射を搭載した滑りへ。
フォアとバックを巧みに入れ替えながら縦横無尽に駆け巡る様は、戦闘機の曲技飛行。周を重ねるたびに領域を塗り替えていく。
空間を巻き込むようにシットスピン。
ブロークンで回転する手足が鋼 のスクリューに見える。
足を変えキャノンボールのポジションへ。
この弾丸は、生き急ぐという意志を持つ。
だから速度は絶対に落ちない。
ある音が近付き、ある音が遠離 る。
交錯 の一点を見極めるように目を見開く。
ロッカーターンから、トリプルルッツ。
着氷のヴィジョンを氷面に投影し、決して目を逸らさない。
一になった軌道が光を放つ。
屋根が、少しずつ溶けていく。
透明標本のように骨格だけが浮き彫りになり、やがてそれも風に溶ける。
心象風景が世界を塗り潰す。
彼は風を味方につけ、氷の祝福を受けている。
ガラスのマントをはためかせ、威厳と共に両手を広げ、ピークの合図。
芯を抉 り出すように跳び上がり、四回転サルコウ+トリプルトウループ。 セカンドがより高い、コンビネーション。
水切りの如 く滑らかに、ダブルアクセル+シングルオイラー+トリプルサルコウ。
着氷と同時にビートが消え、シンセパッドが何重にもこだます。
飛沫が目に見えるデスドロップからのフライングキャメルスピン。
チェンジエッジと同時にブレードを掴み、スクラッチの竜巻と共に加速する。
地を這うサイレンの音が近付く。
スピンを解き、ここで初めて彼は氷上で足を止める。
カウントダウンのマイム。
ただし、脳に響くのは二つのフレーズ。
「Go to the Start」
「Ready」
海面を渡るように氷上を駆け抜ける。
全ての音が響く中、メインのチェレスタだけが聞こえない。
不在は影となって炙 り出される。
彼自身がメロディーの顕現 。
たった一ミリで世界との繋がりを試みる、孤独な生物が浮き上がる。
腰を落とし、ハイドロブレーディング。
声に耳を澄ますように氷に寄り添う。
身体を起こして立ち上がり、前を向いて笑う。
スケートは、こんなにも楽しい。
瞬きもせずターン、バックアウトカウンターから、トリプルアクセル。
それは、跳躍ではなく飛翔。
青空の下、軌道が虹を描く。
全てのジャンプは、記録が無意味な一回性。
二度と無い人生を、彼は生きる。
トンプソンの姿勢で最後のスピン。
突然、嵐は消える。
余韻ごと掴み取るように、拳を突き上げた。
ガッツポーズ。
拍手は鳴り止まない。
(「氷上のシヴァ」 了)
静寂に目を閉じて、彼は最初の音を待っている。
やがて聞こえてくるのは風の音。
だが彼はまだ目を開けない。
頭の中から音が漏れ出しているのに、彼だけが気付いていないかのように見える。
波紋を呼び起こす一滴が、氷面に投下される。
ストリングスのシュプール。
王冠状の
上へ。
時計の針音に似たハイハットがリズムを刻む。
彼は目覚め、滑り出す。
舞い落ちる
風に潜むきらめきを指先で捕まえる。
溶け落ちる儚さを惜しむように微笑んだかと思うと、ターンを二度踏む。
僅かな音の隙間を狙って、氷を蹴った。
四回転サルコウ。
ディレイド回転を伴う高くて遠い放物線の残像が、無音の空間に浮き上がる。
チェレスタのメロディーは下降螺旋を描き、上昇するストリングスと交差する。
シンセサイザーが奥行きを広げる。
氷河の
鋭利な二本の軸が、氷柱の残像を焼き付ける。
だが、着氷は足元が雪原と錯覚するほど柔らかい。
心象風景が、世界を浸食していく。
巻き上がる音に背中を押されるように、トリプルフリップ。
すぐにイナバウアーで半円の弧を描く。
見る者全ての視線が軌道に束ねられていく。
ビートがフルになると同時に、滑走のギアが変わった。
縫うような滑りから、ジェット噴射を搭載した滑りへ。
フォアとバックを巧みに入れ替えながら縦横無尽に駆け巡る様は、戦闘機の曲技飛行。周を重ねるたびに領域を塗り替えていく。
空間を巻き込むようにシットスピン。
ブロークンで回転する手足が
足を変えキャノンボールのポジションへ。
この弾丸は、生き急ぐという意志を持つ。
だから速度は絶対に落ちない。
ある音が近付き、ある音が
ロッカーターンから、トリプルルッツ。
着氷のヴィジョンを氷面に投影し、決して目を逸らさない。
一になった軌道が光を放つ。
屋根が、少しずつ溶けていく。
透明標本のように骨格だけが浮き彫りになり、やがてそれも風に溶ける。
心象風景が世界を塗り潰す。
彼は風を味方につけ、氷の祝福を受けている。
ガラスのマントをはためかせ、威厳と共に両手を広げ、ピークの合図。
芯を
水切りの
着氷と同時にビートが消え、シンセパッドが何重にもこだます。
飛沫が目に見えるデスドロップからのフライングキャメルスピン。
チェンジエッジと同時にブレードを掴み、スクラッチの竜巻と共に加速する。
地を這うサイレンの音が近付く。
スピンを解き、ここで初めて彼は氷上で足を止める。
カウントダウンのマイム。
ただし、脳に響くのは二つのフレーズ。
「Go to the Start」
「Ready」
海面を渡るように氷上を駆け抜ける。
全ての音が響く中、メインのチェレスタだけが聞こえない。
不在は影となって
彼自身がメロディーの
たった一ミリで世界との繋がりを試みる、孤独な生物が浮き上がる。
腰を落とし、ハイドロブレーディング。
声に耳を澄ますように氷に寄り添う。
身体を起こして立ち上がり、前を向いて笑う。
スケートは、こんなにも楽しい。
瞬きもせずターン、バックアウトカウンターから、トリプルアクセル。
それは、跳躍ではなく飛翔。
青空の下、軌道が虹を描く。
全てのジャンプは、記録が無意味な一回性。
二度と無い人生を、彼は生きる。
トンプソンの姿勢で最後のスピン。
突然、嵐は消える。
余韻ごと掴み取るように、拳を突き上げた。
ガッツポーズ。
拍手は鳴り止まない。
(「氷上のシヴァ」 了)