第20話 ジレンマ

文字数 712文字

 暗い部室で一人、俺は椅子に沈み込んでいた。

 彰が、スケートを続けている。
 ……そのことは、純粋に嬉しい。
 できることなら、その喜びだけを噛み締めていたい。

 だが、スケート靴を履いた彰のイメージには、すぐさま「次会う時は氷上」という言葉が上書きされる。
 それは壮大なプレッシャーとなって、選択を突き付ける。

 さあ、枷は外された。
 自由になったその足で、闘うのか、逃げるのか。

 よし、と素直に復帰を決められたらどんなにいいだろう。

 だが、この眼鏡。外して手に取る。
 目に映る全ての物の輪郭がほどけ、曖昧になる。
 ……こんな物、あってもなくても、スケートはできない。

 だが、コンタクトレンズ。
 昔の記憶がフラッシュバックする。
 自らの涙で溺死しそうになるあの感覚、あの景色。

 あの時俺は、ごぼごぼと溢れる涙の向こうに、何か一つでも確かな物を見たか?
 輪郭を沸き立たせ、みずみずしく存在する世界の片鱗、欠片。
 何でもいい。
 視界をかすめたら最後捕まえて、何もかも見てやらなきゃ気が済まないと思えるような何か。

 ……そんなものは、多分無かったんだ。

 俺は、俺を包み込む膜に手を伸ばす。あるいはコップ。
 この期に及んで中身のコントロールを企む器め。
 お前の正体を当ててやろう。
 忌々しくも愛おしい、その名前は臆病。

 だが本当のところ、俺は何が怖いんだ。

 空を掴んだ五本の指を、開いては閉じてを繰り返す。

 どれくらい長くそうしていたのか、ガチャリとドアが開いて、差し込んできた廊下の蛍光灯の眩しさに、思わず目を細めた。

「帰ろうぜ、洸一」
 てか、暗っ。電気くらい付けろよ。お前幽霊みたいだぞ。
 そう言って晴彦はぱちん、とスイッチを押した。
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登場人物紹介

芝浦刀麻(しばうら とうま)


・榛名学院高等部一年。15歳。スケート部所属。

・北海道帯広市出身のフィギュアスケートとスピードスケートの二刀流スケーター。

・スピードスケート選手の父とフィギュアスケート選手の母のもとに生まれる。

・高校一年生の5月に榛名学院高等部に転校してくる。

・小学生の頃は野辺山合宿に参加するなど優れたフィギュア選手として頭角を表していたが、とある事件の後フィギュアをやめ、中学時はスピードスケート選手として500mの道内記録を塗り替え、全国大会二位の成績を収める。

・今作は、彼が再びフィギュアの世界に戻ってきたところから物語が始まります。

・12月8日生まれ、射手座のO型。

・身長178cm。

・得意技は四回転サルコウ、ハイドロブレーディング。苦手な技は特に無し。氷上は全て彼の領域。

霧崎洵(きりさき じゅん)


・榛名学院高等部一年。15歳。スケート部所属。

・全日本ジュニア選手権2位、世界ジュニア選手権3位と、昨シーズン破竹の勢いで頭角を表したフィギュアスケーター。

・学業優秀、スポーツ万能。そんな彼が唯一苦手とするのが“スケート”……その真相とは。

・双子の妹、汐音(しおん)はかつて史上最年少でトリプルアクセルを成功させた天才フィギュアスケート選手だった。

・出会った時から刀麻に反発し、初日にいきなり殴り合いの喧嘩をすることに。何が原因で、どんな経緯があったのか……?

・今作は刀麻と洵の愛憎を軸に物語が進みます。

・11月25日生まれ。射手座のAB型。

・身長167cm。

・得意技は三回転フリップ+三回転トウループのコンビネーションジャンプと、柔軟性を生かしたビールマンスピン。苦手な技はトリプルアクセル。

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