第12話 Wind from the North

文字数 1,519文字

「これから練習だから、ちょうどよかったわ。とりあえず、ここに名前を書いてくれる?」

 私は受付のファイルから見学者名簿を取り出した。
 彼はそこに少しガタついた字で、芝浦刀麻と書いた。

「しばうら、とうま君?」
「はい。……あの、中見れますか?」
「今? 七時までホッケーのクラブが貸し切りで練習中だから……その、窓から見るくらいなら」

 私が指差すと、すぱすぱと足早に向かい、ガラスにへばりつかんばかりにおでこを付けて中を覗き込んだ。

「あー、やっぱり狭い。……でも、まあいっか」
「狭い?」
 私は首を傾げた。

 彼は少しきょとんとした顔をして、
「俺ロング出身なんです」
 と付け加えた。

 ロングって何のことだろう。
 目をきょろきょろさせていたら、彼は露骨に怪訝な表情をした。

「ここ、ショートトラックのクラブじゃないんですか?」
 私はやっと合点がいった。

「……あなた、スピードスケートのこと言ってるのね。ごめんなさい。ここはフィギュアスケートのクラブなの」
 
 洵君以来の男子生徒が入ると思っていた私は、肩を落とした。
 確かに冷静になって見れば、この子フィギュアというよりスピードの選手って感じだ。
 眉なんかキリッとしていて、柔より剛のイメージ。
 でもスピードスケーターって、腰回りが競輪選手みたいに太かったように思うけど、この子は相当すらっとしている。

「そうなんですか? なんだよ、このチラシ紛らわしいよ……」
 私の落胆をよそに、刀麻君はチラシを忌々しげに振った。
 私はいたたまれなくなり、思わず
「それ私が作ったやつなんだけど」
 と声に出してしまった。

「すみません。せめて写真か絵が載っていれば、間違わなかったと思うんですけど」
 刀麻君は気まずそうに声のボリュームを落とした。

「確かに、そういうのを載せなかったのは私が悪い。でも見てよ、前橋FSCってちゃんと書いてあるでしょ。FSCってフィギュアスケートクラブのことだよ」
 私が小姑みたいにアルファベットをトントンと指で叩くと、刀麻君は、
「あー俺英語ダメだから」
 と頭をかいた。

「……まあ、今度からは分かりやすく日本語でも書くことにするわ」
 私がくるりと背中を向けて名簿を仕舞うと、
「あの、この辺って他にスケートリンクありますか?」
 やけに切実な声色で尋ねてきた。

「はるなリンク。高崎にある。……でもあそこ、基本的に榛名学院の人しか使えないよ」
「それは知ってます。俺、四月からあそこの高校なんで」
 私は、目も口もぽかんとなった。

「……よかったじゃない。スケート部入れば万事解決ね」
 刀麻君は首を横に振った。
「あそこ、スピードスケート部無いんです」

「そうだったっけ。私の頃はあったと思うけど、廃部になっちゃったのかしら。そういえば、うちのリンクにも一昨年まではスピードのクラブがあったのよ。だけど、もう伊香保の方に移っちゃった」

「いかほ? そこってここから近いですか?」
 急にカウンター越しに身を乗り出してきたので私はたじろいだ。

「……電車とバス、それにロープウェーを乗り継いで一時間半。これを近いと思うか遠いと思うかは、あなた次第ね」

 嫌みのつもりだったのに、刀麻君は早速アイフォンで乗り換え検索を始める。
 私は溜息をついた。

「ていうか、さっきから思ってたけど、あなた群馬の人じゃないわね?」
「はい。俺、北海道から来ました」
 刀麻君は画面から顔を上げて、真っ直ぐに私を見て言った。

「北海道! どうしてまた?」
「家の事情で、四月からこっちに引っ越すことになったんです。昨日は試験、今日はアパートの下見でこっちに来てて、明日までいるんですけど」

 その時、ドアが開き、乾いた冷気とともに女子生徒四人が入ってきた。
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登場人物紹介

芝浦刀麻(しばうら とうま)


・榛名学院高等部一年。15歳。スケート部所属。

・北海道帯広市出身のフィギュアスケートとスピードスケートの二刀流スケーター。

・スピードスケート選手の父とフィギュアスケート選手の母のもとに生まれる。

・高校一年生の5月に榛名学院高等部に転校してくる。

・小学生の頃は野辺山合宿に参加するなど優れたフィギュア選手として頭角を表していたが、とある事件の後フィギュアをやめ、中学時はスピードスケート選手として500mの道内記録を塗り替え、全国大会二位の成績を収める。

・今作は、彼が再びフィギュアの世界に戻ってきたところから物語が始まります。

・12月8日生まれ、射手座のO型。

・身長178cm。

・得意技は四回転サルコウ、ハイドロブレーディング。苦手な技は特に無し。氷上は全て彼の領域。

霧崎洵(きりさき じゅん)


・榛名学院高等部一年。15歳。スケート部所属。

・全日本ジュニア選手権2位、世界ジュニア選手権3位と、昨シーズン破竹の勢いで頭角を表したフィギュアスケーター。

・学業優秀、スポーツ万能。そんな彼が唯一苦手とするのが“スケート”……その真相とは。

・双子の妹、汐音(しおん)はかつて史上最年少でトリプルアクセルを成功させた天才フィギュアスケート選手だった。

・出会った時から刀麻に反発し、初日にいきなり殴り合いの喧嘩をすることに。何が原因で、どんな経緯があったのか……?

・今作は刀麻と洵の愛憎を軸に物語が進みます。

・11月25日生まれ。射手座のAB型。

・身長167cm。

・得意技は三回転フリップ+三回転トウループのコンビネーションジャンプと、柔軟性を生かしたビールマンスピン。苦手な技はトリプルアクセル。

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