第22話 過去との邂逅

文字数 888文字

 あれから十二年も経つというのに、どうして身体は筋肉の動かし方を覚えているのだろう。
 トレースを描くためのエッジへの力の掛け方。
 体幹から四肢、末端に至るまでの神経の配分。
 フリーレッグを上げたまま片足ディープエッジで曲がる時の、身体を通る一本の線のイメージ。

 最早私は私を動かしていない。
 私の中のかつての私が、身体をコントロールしている。
 忘れかけていた感覚が、フリーズドライのように蘇る。
 私の奥で眠りについていたスケートが、覚醒する。

 ターンを回り、ポジションチェンジで手を組み替えた時の、自然と出した手の高さに、自分で驚いた。
 ……あの人の手は、もっと低い位置にあった。
 ずっと、あの位置を身体が覚えていると思っていたのに。

 手だけじゃない。
 フリーレッグの高さも、倒すエッジの角度も、ホールドの深さも。
 私の感覚は、刀麻君の手をとった瞬間、チューンアップが完了していた。

 リードされていて、全身がベストバランスで受け止められているのが分かる。
 信じられるのではない。分かってしまうのだ。
 だから、こんなにも委ねていけるし、攻めていける。

 この呼吸のしやすさは、あの頃には無かった。
 ずっと、私は息苦しかった。
 でも、それは仕方の無いことだと思っていた。
 背の高い私が、あの人とトレースを、流れを、時間を共有する対価として、苦しさを担うのは当然だと思っていた。
 そこに美徳を感じる時さえあった。
 けど今はもう、それはただの錯覚だったと分かる。

 ずっと、身体のせいで心が我慢してると思っていた。
 逆だ。
 私の身体を抑圧していたのは、私の心。

 もう誤魔化さない。
 私の本当の位置は、ここ。
 本当のスケールは、こう。
 身体を解き放てるということは、何という喜びに満ちているんだろう。

 私は、ルッツとフリップを失う前の自分と邂逅していた。
 手足を惜しみなく広げて踊ることに、まだ何の躊躇いも持っていなかった自分。
 思い通りに行かない身体でも、私は私なんだと当たり前のように手を取り合っていた自分。
 ワガママでいられた、かつての自分。
 気付けば、一筋の涙が私の頬を伝っていた。
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登場人物紹介

芝浦刀麻(しばうら とうま)


・榛名学院高等部一年。15歳。スケート部所属。

・北海道帯広市出身のフィギュアスケートとスピードスケートの二刀流スケーター。

・スピードスケート選手の父とフィギュアスケート選手の母のもとに生まれる。

・高校一年生の5月に榛名学院高等部に転校してくる。

・小学生の頃は野辺山合宿に参加するなど優れたフィギュア選手として頭角を表していたが、とある事件の後フィギュアをやめ、中学時はスピードスケート選手として500mの道内記録を塗り替え、全国大会二位の成績を収める。

・今作は、彼が再びフィギュアの世界に戻ってきたところから物語が始まります。

・12月8日生まれ、射手座のO型。

・身長178cm。

・得意技は四回転サルコウ、ハイドロブレーディング。苦手な技は特に無し。氷上は全て彼の領域。

霧崎洵(きりさき じゅん)


・榛名学院高等部一年。15歳。スケート部所属。

・全日本ジュニア選手権2位、世界ジュニア選手権3位と、昨シーズン破竹の勢いで頭角を表したフィギュアスケーター。

・学業優秀、スポーツ万能。そんな彼が唯一苦手とするのが“スケート”……その真相とは。

・双子の妹、汐音(しおん)はかつて史上最年少でトリプルアクセルを成功させた天才フィギュアスケート選手だった。

・出会った時から刀麻に反発し、初日にいきなり殴り合いの喧嘩をすることに。何が原因で、どんな経緯があったのか……?

・今作は刀麻と洵の愛憎を軸に物語が進みます。

・11月25日生まれ。射手座のAB型。

・身長167cm。

・得意技は三回転フリップ+三回転トウループのコンビネーションジャンプと、柔軟性を生かしたビールマンスピン。苦手な技はトリプルアクセル。

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