第14話 ネイティブスケーター
文字数 1,479文字
「コンパルソリー、覚えてる?」
「今でも時々やります。母さんがフィギュアのコーチだったから」
「……金メダリストに教えてもらえるなんて、最高の環境だな」
「いや、俺はあまり教えてもらえなかったです。他の子が教えてもらっているのを、いつも見ている感じで……ずっとそうだったんですよ。スケート靴履けるようになるとすぐにリンクに連れ出されて。だからと言って遊んでもらえるわけでもなく。まあ、氷上の放し飼いですよね。仕方がないから、いつも見てるんです。見て、見て、見まくる。そして、全部真似する」
芝浦は思いを馳せるように、少しの間氷を見つめていた。そして、
「何からやればいいですか」
と訊いた。
「サークル・エイト」
と俺は告げる。
ターンもステップも入れずにただ8の字を描くだけの、規定四十一種中最も初歩的な課題。
基本的な分、剥き出しのスケーティングが曝される。
芝浦は一度目を閉じると、深く息を吐き、静かに左足で滑り出した。
フォア・アウト・サークル。
一蹴りが柔らかく、長い。
伸びた背筋は、身体のどこにも余計な力が入っていないことを物語っている。
円の帰結部で右足に変える。
やがて、8の字が出来上がった。
俺はしゃがんで目を凝らす。
トレースは綺麗だが、楕円が二つ並び、押し潰されたような8の字が浮き上がる。
真円ではない。
「……おかしいな。この間やった時はちゃんと丸かったのに」
芝浦はトレースを睨みながら首を傾げる。
「最近少し変なんですよね、俺。先週ここに来た時も、転びそうになったし」
もうこの靴サイズアウトかな、と独り言のように呟く。
……転びそうになった。
たったそれだけのことが引っかかる、そのことが俺には引っかかる。
だって、氷上で転ぶのは当たり前じゃないか?
合わないサイズの靴を履いているのなら、それはそれで問題だろうけれど。
「……芝浦。君はいつも何を考えながら滑ってる?」
「うーん。……楽しいな、って」
「それだけ?」
「……面白いな、とか?」
楽しい。面白い。
たったそれだけの感想をどうにか絞り出す。
芝浦にとって、スケートは遊びなのか?
いや、もしかしたら、もっと原初的な行為。
たとえば、呼吸。
あるいは行為ですら無く、作用。
それこそ、物事に対する最も自然なリアクションだとしたら。
俺は溜息をつき、芝浦が描いた円の結合部に立った。
「……スケートは、会話だよ」
行くよ、と心の中で呟き、俺は左足で滑り出した。
「氷は生きている」
筋肉にじわじわと力を入れ、抜いていく。静的な力のグラデーションを張り巡らせる。
「いつだって俺達に話し掛けているんだよ」
俺はエッジを傾けて力を伝え、氷は溶けて俺を推し進める。
「超能力なんかじゃない、オカルトでもない」
始点に戻ってきた。さあ、今度は右足。
「本当はみんな聞こえるんだ」
俺は探る。俺と氷が呼応した時にだけ現れる、理想のライン。
「聞こえないというスケーターは」
円が繋がる。足首は、最後までふらつかない。
「……耳の傾け方を忘れているだけだ」
二つのパーフェクトサークルが、綺麗に並んだ。
深く息をつく。こみ上げてくるものがある。
この感情を、確かに俺は知っている。
けど、その名前は何だ。
神々しく浮き上がる正円に問いかけるも、返事は無い。
いつの間にか人だかりが出来ていた。
霧崎の見開かれた目が、とりわけ刺さる。世界ジュニア三位の、驚嘆の視線。
途端に居心地が悪くなる。
見世物じゃないぞ。喉元で言い留まった。
……フィギュアスケートは、見せるためのものだ。
やはり、俺は矛盾している。
「今でも時々やります。母さんがフィギュアのコーチだったから」
「……金メダリストに教えてもらえるなんて、最高の環境だな」
「いや、俺はあまり教えてもらえなかったです。他の子が教えてもらっているのを、いつも見ている感じで……ずっとそうだったんですよ。スケート靴履けるようになるとすぐにリンクに連れ出されて。だからと言って遊んでもらえるわけでもなく。まあ、氷上の放し飼いですよね。仕方がないから、いつも見てるんです。見て、見て、見まくる。そして、全部真似する」
芝浦は思いを馳せるように、少しの間氷を見つめていた。そして、
「何からやればいいですか」
と訊いた。
「サークル・エイト」
と俺は告げる。
ターンもステップも入れずにただ8の字を描くだけの、規定四十一種中最も初歩的な課題。
基本的な分、剥き出しのスケーティングが曝される。
芝浦は一度目を閉じると、深く息を吐き、静かに左足で滑り出した。
フォア・アウト・サークル。
一蹴りが柔らかく、長い。
伸びた背筋は、身体のどこにも余計な力が入っていないことを物語っている。
円の帰結部で右足に変える。
やがて、8の字が出来上がった。
俺はしゃがんで目を凝らす。
トレースは綺麗だが、楕円が二つ並び、押し潰されたような8の字が浮き上がる。
真円ではない。
「……おかしいな。この間やった時はちゃんと丸かったのに」
芝浦はトレースを睨みながら首を傾げる。
「最近少し変なんですよね、俺。先週ここに来た時も、転びそうになったし」
もうこの靴サイズアウトかな、と独り言のように呟く。
……転びそうになった。
たったそれだけのことが引っかかる、そのことが俺には引っかかる。
だって、氷上で転ぶのは当たり前じゃないか?
合わないサイズの靴を履いているのなら、それはそれで問題だろうけれど。
「……芝浦。君はいつも何を考えながら滑ってる?」
「うーん。……楽しいな、って」
「それだけ?」
「……面白いな、とか?」
楽しい。面白い。
たったそれだけの感想をどうにか絞り出す。
芝浦にとって、スケートは遊びなのか?
いや、もしかしたら、もっと原初的な行為。
たとえば、呼吸。
あるいは行為ですら無く、作用。
それこそ、物事に対する最も自然なリアクションだとしたら。
俺は溜息をつき、芝浦が描いた円の結合部に立った。
「……スケートは、会話だよ」
行くよ、と心の中で呟き、俺は左足で滑り出した。
「氷は生きている」
筋肉にじわじわと力を入れ、抜いていく。静的な力のグラデーションを張り巡らせる。
「いつだって俺達に話し掛けているんだよ」
俺はエッジを傾けて力を伝え、氷は溶けて俺を推し進める。
「超能力なんかじゃない、オカルトでもない」
始点に戻ってきた。さあ、今度は右足。
「本当はみんな聞こえるんだ」
俺は探る。俺と氷が呼応した時にだけ現れる、理想のライン。
「聞こえないというスケーターは」
円が繋がる。足首は、最後までふらつかない。
「……耳の傾け方を忘れているだけだ」
二つのパーフェクトサークルが、綺麗に並んだ。
深く息をつく。こみ上げてくるものがある。
この感情を、確かに俺は知っている。
けど、その名前は何だ。
神々しく浮き上がる正円に問いかけるも、返事は無い。
いつの間にか人だかりが出来ていた。
霧崎の見開かれた目が、とりわけ刺さる。世界ジュニア三位の、驚嘆の視線。
途端に居心地が悪くなる。
見世物じゃないぞ。喉元で言い留まった。
……フィギュアスケートは、見せるためのものだ。
やはり、俺は矛盾している。