第24話 ジャンプの言明

文字数 1,466文字

 気付けばいつもの倍、汗をかいていた。

 そして、その後のジャンプ練習。
 クワドに挑戦する前に俺が乗り越えなくてはいけない壁。
 それは、トリプルアクセルだ。
 最後に綺麗に決まったのは、二月の全中スケート。
 もう三ヶ月以上クリーンに降りていない。

「トリプルアクセルを跳ぶ時のお前は、何か超越的な物に(すが)っているようにすら見えるぞ。願掛けでもしているのか」

 ぎくりとした。

『トリプルアクセルは神様からの贈り物なの』
 エコーでぼやけた声が脳に響く。

「願掛けはしていません。むしろ俺はいつも、絶対に失敗しない、と覚悟を決めて跳んでます」

「絶対に失敗しない、ね。で、お前はそもそもトリプルアクセルが得意なのか?」
「……いいえ」

 絞り出された本音。
 岩瀬先生には嘘がつけない。

 前向きで踏み切る特別なジャンプ。それがアクセルだ。
 宙にダイブする問答無用の不安感は、何度目だろうと肌が吹き(さら)しになる。
 だが、汐音はアクセルが一番好きだった。
 前を向いて跳べるから楽しいのだと。

 俺にすれば崖からの身投げでも、汐音に掛かれば「時をかける少女」のタイムリープだ。
 跳躍の意味も次元も違った。

 俺のアクセルは汐音のアクセル? 
 ……どの口が言ったのだろう。
 こんなにもあっさりと、俺は汐音と違う。

「言葉はお前を縛る。現に、失敗しないという言葉が、既にお前を失敗に縛っている。じゃあ、成功すると言い聞かせればいいかというと、そんな単純な代物でもないんだな」
 岩瀬先生は一息置いた。

「さっきお前は覚悟と言ったが、意地と覚悟は違う。絶対に失敗しないも絶対に成功するも、意地というコインの裏表でしかない。俺の考えはこうだ。本当の覚悟とは、たとえ失敗しても結果の全てを受け入れるという心構え。一世一代の場面で、たとえトリプルがシングルになったとしても、それは自分のスケートだと責任を持つこと。氷上に立つからには、演技のパッケージには自分の名前を書き入れるということだ」

 俺のトリプルアクセル。俺の演技。
 霧崎洵というスケーターの名前を刻む。

 突然、視界の片隅で、トーマがトリプルアクセルを跳んだ。
 瞬間、ものすごく正確な配列で分裂して見えて、俺は血の気が引いた。
 合わせ鏡の錯覚が、並行世界の写しに見えた。

「……あれを、百発百中だと思うか」
 (ささや)くように訊かれ、正気に戻る。
 だが、俺は答えられない。

 アクセルだろうがクワドだろうが、トーマのジャンプは精密機械だ。
 初日を最後に、あいつが転ぶどころか(つまず)く姿さえ目にしていない。
 どの世界線でも、あいつは完璧に降りる。

「ジャンプに百発百中は無い。九十九回成功しているからと言って、次も成功するとは限らない。……だが、そういう覚悟だけが、百回目の成功を生む」
 そう言うと、先生は指先で俺の身体に十字を切った。
 氷面と並行な肩、そして垂直の軸。

「さあ、お前もやってみろ」
 ぴり、と電気が走る感覚がした。
 ぶれないライン。
 くだらない確信も仮定も捨てよう。

「一番楽な入りで行けよ」
 先生の声が飛ぶ。
 俺は深呼吸をした。

 バックアウトカウンターからのトリプルアクセルをイメージする。
 全く楽ではないが、それが一番自分らしく跳べる気がした。

 身投げ上等。
 俺にはこの世界しか無い。


 ずっと不調だったトリプルアクセルが、綺麗に決まった。
 約四ヶ月ぶりのクリーンな着氷。
 エッジが氷を掴んだ瞬間、足元から全身に生命力が(ほとばし)った。

 トリプルアクセルは神様からの贈り物なの。
 ……いつも聞こえてくるあの言葉は、どこからも聞こえてこなかった。
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登場人物紹介

芝浦刀麻(しばうら とうま)


・榛名学院高等部一年。15歳。スケート部所属。

・北海道帯広市出身のフィギュアスケートとスピードスケートの二刀流スケーター。

・スピードスケート選手の父とフィギュアスケート選手の母のもとに生まれる。

・高校一年生の5月に榛名学院高等部に転校してくる。

・小学生の頃は野辺山合宿に参加するなど優れたフィギュア選手として頭角を表していたが、とある事件の後フィギュアをやめ、中学時はスピードスケート選手として500mの道内記録を塗り替え、全国大会二位の成績を収める。

・今作は、彼が再びフィギュアの世界に戻ってきたところから物語が始まります。

・12月8日生まれ、射手座のO型。

・身長178cm。

・得意技は四回転サルコウ、ハイドロブレーディング。苦手な技は特に無し。氷上は全て彼の領域。

霧崎洵(きりさき じゅん)


・榛名学院高等部一年。15歳。スケート部所属。

・全日本ジュニア選手権2位、世界ジュニア選手権3位と、昨シーズン破竹の勢いで頭角を表したフィギュアスケーター。

・学業優秀、スポーツ万能。そんな彼が唯一苦手とするのが“スケート”……その真相とは。

・双子の妹、汐音(しおん)はかつて史上最年少でトリプルアクセルを成功させた天才フィギュアスケート選手だった。

・出会った時から刀麻に反発し、初日にいきなり殴り合いの喧嘩をすることに。何が原因で、どんな経緯があったのか……?

・今作は刀麻と洵の愛憎を軸に物語が進みます。

・11月25日生まれ。射手座のAB型。

・身長167cm。

・得意技は三回転フリップ+三回転トウループのコンビネーションジャンプと、柔軟性を生かしたビールマンスピン。苦手な技はトリプルアクセル。

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