変わらないもの変わるもの
文字数 2,255文字
アークは、ダームとベネットの顔を交互に見ると、深々と頭を下げて立ち去った。
アークが去ってから暫くの間、部屋の中は静寂に包まれる。その様な状況の中、ダームは中空をぼんやりと眺めながら、久しぶりに顔を合わせた人物と何を話そうか考えていた。
「そう言えば、ダーム。警備兵用の宿舎で暮らしながら、訓練を受けていると聞いた。その生活には、もう慣れたのか?」
「うん」
質問を受けたダームは、無邪気な笑顔を浮かべながら、答え始める。
「訓練は、色々と辛い時もあるよ。だけど、アークさんが居るし、他の警備兵の人も優しいから」
そこまで話すと、ダームはベネットの顔を見上げ、明るい笑顔を浮かべてみせた。
「それは良かった。ところで、既に空は暗くなっている。宿舎には何時頃までに戻れば良いのだ?」
「アークさんが言うには、日付が変わったら締め出されるんだって。だから、日付の変わらない時間なら、大丈夫な筈だよ」
ダームは、楽しそうに歯を見せて笑いながら言葉を紡いだ。
「そうか。それならば、紅茶を飲んでいかないか?」
ベネットは、優しく微笑みながら提案した。提案を聞いたダームは満面の笑みを浮かべ、快く彼女の提案を受け入れる。嬉しそうな少年の表情からは、裁判前の不安が殆ど消え去っている様だった。
「では、私は湯を沸かしてくるから、暫くソファーに座って待っていてくれ」
少年の嬉しそうな表情を見たベネットは、湯を沸かす為に部屋を出た。ダームはベネットを途中まで目で追い、それからソファーに腰を下ろした。この時、ケトルを火に掛け終えたベネットは、木製の食器棚を開ける。彼女は棚から小物を取り出すと、ダームの前に置かれたテーブル上に、砂糖やミルクを並べていく。
彼女はティーポットに赤みがかった茶葉を入れ、蓋が持ち上がり始めたケトルから湯を注ぎ入れた。すると、開き始めた茶葉から甘い香りが立ち上り、部屋の中にその香りが広がっていく。
「なんだか、落ち着くなあ」
紅茶の香りに気付いたダームは、眠たそうに目を細めた。幸せそうな呟きを聞いたベネットと言えば、用意しておいたカップへ紅茶を注ぐ。
「こんなにまったり出来るのって、久しぶりだね」
ダームは机に突っ伏すと、紅茶の注がれたカップをぼんやりと眺めた。ダームが眺めるカップは白色で、その縁には金色の装飾が施されている。
「そうかも知れないな。ザウバーが水聖霊の力を手に入れてからというもの、様々な出来事が起き過ぎた。そのせいか、心を落ち付ける時間は無かったな」
そう返すと、ベネットは少年の眼前にカップを差し出した。彼女は、軽くなったポットを机上に置き、ダームと向かい合わせになる形で椅子に座る。
紅茶を差し出されたダームは、ゆっくりと体を起こしカップを手前に引き寄せる。その後、机に置かれていた砂糖やミルクを入れると、少年は楽しそうに紅茶をかき混ぜ始めた。
「そうだね。ザウバーがオーマの街で消えてから、色々な事が起き過ぎて……何だか、一年位過ぎちゃったみたいだよ」
苦笑いを浮かべて話すと、ダームは息で冷ましながら紅茶を飲み始めた。少年の動きを見たベネットは、自らも甘い香りの漂う紅茶に口をつける。
「実際は、ひと月経つか経たないかだと言うのにな。だが、この騒動もそろそろ終わる」
ベネットはカップをテーブルに置き、軽く目を瞑った。
「そうだね。始めはどうなっちゃうのかと思ったけど、ベネットさんは回復してくれた。それに、アークさんやルキアさんとも仲良くなれた」
そう返すと、ダームは目線をティーカップからベネットへ移す。彼は、ベネットに対して歯を見せて笑うと、今までの出来事を回想するかの様に目を瞑った。
「確かに、今回の出来事で、ダームが得たものは大きい様だな」
ベネットは閉じていた目を開き、少年の顔を見つめた。その際、ダームは微かに目と口を開き、何かを話し始めようとする。しかし、ベネットへ何かを伝える事の出来る前に、ダームは眠りに落ちてしまった。
「こういうところは、以前と変わっていないな」
眠ってしまった少年を見たベネットは、彼の方へ手を伸ばす。そして、ダームの肩に手を乗せると、軽く前後に揺らし始めた。
「この様な場所で寝たら、風邪をひくぞ。それに、戻らないと締め出されるのではなかったか?」
ベネットは、肩に手を乗せたまま、寝息をたて始めた少年に話し掛け続ける。しかし、彼が目を覚ます様子は一向に無く、あまつさえ嬉しそうな表情を浮かべ始めた。
幸せそうな表情を見たベネットは、小さく息を吐きながら目を細め、静かにベッドの方へ向かっていく。
彼女は、柔らかな掛け布団をベッドの端に避け、少年が寝ている方へ戻っていった。ベネットは、眠りに落ちた少年を抱き上げると、掛け布団を端に寄せたベッドに彼を寝かせる。
この際、ダームは微かに体を動かしたが、目を覚ますことは無かった。そして、ベネットが少年の体へ布団を掛けると、彼は再び幸せそうな表情を浮かべる。一方、少年の幸せそうな表情を見たベネットは、彼の頭を撫で始めた。
眠ったまま、ダームは優しい手をそっと掴む。その際、ベネットは驚いた表情を浮かべるが、直ぐに優しい表情になって少年の手を握った。
その後、ダームが深い眠りに落ちて手を離すまで、ベネットは彼の傍らに寄り添い続けた。