戦いの序曲
文字数 2,196文字
「何が……起きたのですか?」
しかし、惨劇を目の当たりにしたばかりの者達に、その説明をする余裕など無かった。それ故、男性は首を横に振り、倒れている女性を抱き上げる。
「人を呼んできます」
絞り出す様な声で言い残すと、男性は女性を抱きかかえたまま、惨劇の場を後にした。
「この状況、どう考える?」
男性が立ち去ってから暫くして、ザウバーはベネットの顔を覗き込んだ。この時、彼は平静を装っていたが、握り締めた拳は震えていた。
「あの男、私が到着した時には死んでいた。恐らく、何者かが死体を操っていたのだろう」
ベネットは、そう返すと強く片目を瞑る。
「でも、あの人は動いてたし、喋ってもいたよ?」
ダームは、涙を浮かべながら問い掛ける。少年にとって、あの惨劇は酷過ぎたのであろうか、唇は絶え間なく震え、顔色は蒼白している。
「一先ず、ダームを休ませよう」
少年の状態を見たベネットは、青年に提案した。すると、ザウバーは小さく頷き、少年を静かに抱きかかえる。
「とりあえず、さっきまで居た部屋に寝かせてくる。誰か来たら宜しくな」
ザウバーは、ベネットにそう言い残すと、踵を返して歩き始めた。
「まったく、趣味の悪い事を」
惨事の起きた場に残されたベネットは、横目で肉片を見る。それから、彼女は大きく溜め息を吐き、半ば叩き付ける様に壁へ寄りかかった。彼女は、目を細め軽く口元を押さえると、涙を浮かべる程に激しく咳き込んでしまう。
「大丈夫ですか?」
すると、その音に気付いたのか、通りかかった従業員が、心配そうに問い掛けた。
「ああ、私は何とか。だが」
「こりゃひでえな……これを見たキーナが気を失っても、おかしく無い」
ベネットが返答し始めた時、女性が倒れていた辺りから、低い男の声が響き渡る。この為、ベネットは話すことを止め、声がした方へ向き直った。
「支配人、これはどう処理したら」
「とっとと片付けろ! うちは客商売だ。客が不愉快になるものを、放置する訳にはいかないだろうが」
声の聞こえた場所で、恰幅の良い男が細身の青年へ指示を出していた。一方、青年は深々と頭を下げると、慌てた様子で建物の奥へ向かっていく。支配人は、不快な気分を払拭しようと、首を勢い良く横に振る。この時、彼の視界に見知らぬ女性が現れ、男性は半ば強引に笑顔を作った。
「お騒がせして申し訳御座いません。直ぐに片付けますので、お客様は部屋に戻ってお待ち下さい。勿論、今日の宿泊代は頂きませんから」
ベネットの方に向き直ると、支配人は頭を深く下げた。それから、男性はベネットの横に居る従業員へ目配せをすると、彼女を部屋まで案内する様伝えた。この時、従業員は上手く事情を飲み込め無かった為か、不安そうな表情を浮かべ支配人に歩み寄ろうとする。
「お客様を案内して、冷たいお茶をお持ちしなさい」
一方、支配人はそれを遮る様に言い放ち、この場から早く立ち去る様、表情で訴える。この為、従業員は彼に頭を下げ、直ぐさまベネットに部屋番号を尋ねた。そして、彼は軽く頭を下げると、彼女を先導する様に歩き始める。
目的の客室前に到着すると、従業員は深く頭を下げて立ち去った。従業員の背中を見送ったベネットは大きく息を吸い込み、目の前のドアを静かに開ける。室内には、青ざめた表情で横たわるダームと、彼を心配そうに見つめるザウバーが居た。ザウバーは入口に背を向けて座っており、現れた気配に警戒をしながら振り返る。
「ベネットか。驚かせやがって」
彼は、その気配が仲間のものであったことに気付くと、途端に安堵の表情を浮かべた。
「驚かせるつもりは無い。それに、鍵も閉めずに入口に背を向けているのも、どうかと思うが」
彼の言葉を聞いたベネットは、半ば呆れた様な語調で話す。
「ダームの調子が気になって、そこまで気が回らなかった。確かに、あんな事が有った後にしては、不用心過ぎたな。そういや、あそこに残っていなくて良かったのか? 知らない奴が通りかかったら、あれを見て気絶しちまうかも知れねえ」
ザウバーは、ベネットに歩み寄りながら問い掛ける。この為、ベネットは彼が立ち去ってから起きた出来事を、事細かく説明していった。
「成る程。支配人から言われちゃ仕方ねえ。それに、責任者が出てくりゃ、色々と上手く処理するだろ。良くも悪くも」
ザウバーは軽く腕を組み、納得した様子で言葉を紡ぐ。そして、彼は数回大げさに頷くと、ベネットへ一休みするよう促した。
「ところで、これからどうする? 話からして、今日はタダでここに泊まって良いみたいだが」
ザウバーは、ベネットが腰を下ろした時を見計らい、先程とは異なる話を切り出す。しかし、彼が言い終えることの出来る前に、部屋にドアを叩く音が響き渡った。
「サービスで紅茶をお持ち致しました。部屋に入っても宜しいですか?」
ドアの外側からは、若い女性と思しき声が聞こえてきた。この為、ベネットは直ぐに立ち上がり、部屋のドアを開ける。