穏やかに過ぎる時間
文字数 2,096文字
それから暫くして、ベネットの耳にゆっくりとした足音が届いた。その足音が止まった時、ベネットは立ち上がり、足音の主へ軽く頭を下げる。足音の主は、右手に陶器製のカップを、左手にポットを持っており、ポットの注ぎ口から白い湯気が立ち上っていた。彼は、ポットやカップをバスケットの横に置くと、ベネットの顔を見て微笑んだ。
「お待たせしました。お茶が冷めない内に、食事を始めましょう」
司祭はバスケットの蓋を開け、ベネットへ好きなものを取るよう告げる。彼は、ベネットがパンを選んでいる間に二つのカップへ茶を注ぎ、その一つをベネットへ差し出した。カップを差し出されたベネットは礼を述べ、カップを受け取った。その際、手に持っていたパンを落としそうになるが、ベネットは持ち方を変えてそれを防ぐ。
「すみません。ちょっとタイミングが悪かったですね」
司祭は気まずそうに苦笑し、頭を下げた。それを見たベネットは頬を赤くし、何度か首を横に振る。
「いえ、私の持ち方が悪かっただけです。司祭様の謝る理由はありません」
ベネットは司祭の目を見つめ、再び首を横に振った。
「謝りあうのも長くなりそうですから、先ずは食事を済ませてしまいましょう。アークの見舞いに行く予定も有りますし」
司祭は手元のカップへ茶を注ぎ、バスケットの中からパンを取り出す。彼は、軽く目を瞑って感謝の祈りを捧げると、パンを食べ始めた。それを見たベネットは、彼と同じ行動を取り始める。一方、司祭は安心した様に微笑み、カップへ注がれた茶で喉を潤した。
「味はどうです? 少し前に頂いたので乾燥しているかも知れません」
司祭は苦笑し、手に持ったパンを指差した。彼の話を聞いたベネットは目を丸くし、パンの部分だけを口に含む。ベネットは、何度か咀嚼した後で首を捻り、司祭の目を見つめながら口を開いた。
「乾燥している様には……バターの味も感じられますし」
返答を聞いた司祭は顎に手を当て、満足気に目を瞑った。
「良かったです。下手なものを食べさせるのは、気が引けますから」
そう話すと司祭は微苦笑し、指先で頬を軽く掻く。
「これだけの量を私だけで食べるのは大変です。なので、遠慮なく食べて下さい」
司祭は、バスケットをベネットの方へ寄せた。ベネットは、彼の言葉を受け入れ、ゆっくりながらも食事を進めていく。数十分程かけて食事は終わり、ベネットは改めて司祭に礼を述べる。
「どう致しまして。私は、これを片付けてからまた参ります」
そこまで伝えると、司祭はバスケットの蓋を閉め立ち上がる。
「片付け以外にもやることがあるので、一時間程したら戻ります」
司祭は、話し続けながらバスケットを持ち上げ、それを軽々と胸に抱えた。
「では、ゆっくりで構いませんので、お見舞いに行く準備をしておいて下さい。勿論、体力的に辛かったら、無理は禁物です」
そこまで伝えると、司祭は指先でティーカップやポットを掴んで持ち上げる。彼は、それらを軽く持ち直すと退室し、ベネットは頭を下げながら見送った。
ベネットは部屋を見回し、着替えが置かれている場所を探した。その後、彼女は部屋の入口と平行する様に備え付けられたクローゼットへ近付くと、その取っ手に手を掛ける。
ベネットがクローゼットを開けると、中に何組かの衣服が用意されていた。ベネットは、その中から何着かの上着を選ぶと、それを抱えて洗面所へ向かう。部屋の奥に在る洗面所へ入ると、ベネットは軽くその中を見回した。洗面所には、小さいながらも籐籠が置かれており、その中に真っ白なタオルが敷かれている。
クローゼットから出した衣服を籠の中へ入れると、ベネットは目線を洗面台へ移した。洗面台には身嗜みを整える為の道具が揃えられ、上半身を映し出す鏡は綺麗に磨かれていた。また、洗面台の横には木製のラックが在り、柔らかそうなタオルが積み重ねられている。
洗面所を一通り目視したベネットは、洗面台の蛇口を捻って水を出す。彼女は、流れ出る水で口を濯ぎ、洗面台に用意されていた石鹸を使って顔を洗った。ベネットは、薄く右目を開けながら手を伸ばし、ラックに置かれたタオルを掴み取る。彼女は、そのタオルで顔に付いた水分を拭き取ると、衣服を入れた籠へ体の正面を向けた。
ベネットは、今まで着ていた服を脱ぐと、軽く畳みながら籠の縁に掛けていく。その後、ベネットは新しい服を身に纏うと、今まで着ていた服を籠の中へ移動させた。着替え終えたベネットは洗面台の方を向き、そこに用意された櫛を手に取った。堅い木で作られた櫛の目は細かく、ベネットは毛先から順に髪をとかしていく。
数分後、髪をとかし終えたベネットは、鏡に映す角度を変えながら身なりを確認する。そして、そこに不潔な要素が無いことを見てとると、籠に入れた衣服を抱えてベッドサイドへ戻っていった。