力を得た弊害
文字数 3,138文字
ザウバーは、大きく欠伸をしながら話すと、寝たままの体勢で手足を伸ばす。
「そうだね。宿の人が優しくて良かった」
ダームは、安心した様子で腰を下ろした。
「だな。宿によっては、具合が悪そうだからって断られてたかも知れないもんな」
ザウバーは、ゆっくり上体を起こした。そして、彼は床に片手を付くと、静かにベネットの髪を撫で始める。
程なくして従業員が現れ、氷水の入った瓶や綺麗なタオルをザウバーに手渡した。持参した物を渡し終えた従業員は、冷たい瓶をタオルでくるみ、血流の多い場所にあてがう事を薦める。そして、もし本格的に具合が悪くなったら遠慮なく呼ぶよう伝えると、部屋から立ち去った。
「さて、治療に入りますか」
ザウバーは、従業員から渡された物を床へ下ろし、歯を見せて笑った。それから、彼は手際良くタオルを瓶に巻きつけ、ベネットの首や脇の下へそれらをあてがっていく。
「あと一本あるな」
最後の最後で彼は手を止め、溜め息を漏らしながら苦笑いを浮かべる。
「おでこに当てる用じゃない? 僕が熱を出した時、冷やして貰ったし」
呟きを聞いたダームは、青年の顔を覗き込む。そして、目線をベネットへ移すと、そっと彼女の額に手を触れた。しかし、まるで弾かれてしまったかの様に、ダームは触れた手を離してしまう。
「なにこれ、すっごく熱い」
驚いた様子で声を漏らすと、ダームはベネットに触れた手を空中で素早く振った。この時、彼の体は小刻みに震え、その瞳には再び涙が浮かび上がる。
「本当に大丈夫なの? 早く、お医者さんに診せた方がいいんじゃないの?」
ダームは、潤んだ瞳で青年の顔を見つめる。ダームの表情は焦りと不安に満ち溢れ、少しでも刺激があれば叫び出しそうな程であった。
「聖霊の力を手に入れた後は、多かれ少なかれ体に何らかの変化が起きる。フランメは火聖霊なんだから、体温が上がっていたって不思議じゃねえ」
ザウバーは持っていた瓶を床に叩き付け、悔しそうに唇を噛んだ。
「俺だって、心配していない訳じゃない。だがな、俺は信じてやりたいんだ。ベネットがフランメの力を得るのに相応しいかどうかを」
そう言うと、ザウバーは瓶を持つ手に力を込める。それから、彼は叩き付ける様に床へ手を付くと、そのまま目線を下に移した。この際、ザウバーの瞳は微かに潤んでいたが、少年がその涙に気付く事は無かった。
「ちょっと待って。力を得るのに相応しいかどうか、ってどういうこと? 聖霊の力は、聖霊に認められれば良かったんじゃないの?」
ダームは、怒りと驚きが入り混じった表情を浮かべて問い掛けた。
「確かに、聖霊の力自体は手に入る。だがな、大きな力ってのは、それだけ体に負担が掛かる。実際問題、聖霊の力を手に入れた後に死んだ奴は、生き残った奴より多いらしい」
この時、茹だるような暑さのせいか、彼の目に浮かんでいた涙は乾いていた。
それから暫くの間、ダームは驚いた表情を浮かべながら固まっていた。それでも、胸に手を当てて深呼吸を行うと、何か決心した様子で青年の目を見据える。
「ザウバーが、ファンゼやワダーから力を貰った後も、そうだったって事? 確かに、疲れていた様な気もしてた。だけど、気を失うまで、体力を奪われる様なことは無かったじゃん!」
ダームは、青年の目を見据えたまま強い口調で言い放った。その際、興奮し過ぎていた為か、彼の腕や瞳は静かに震えていた。
「考えてもみろ。元々、俺とベネットの体力には差が有る」
ザウバーは、諭す様に自らの考えを述べていった。
「何より、聖霊の力を得る前から、ベネットはかなり体力や魔力を消耗していた。加えて、この暑さだ。聖霊が関係して無くたって、堪えるだろうよ」
ザウバーは、自らの膝に手を当てると、ダームの返事を待つこと無く立ち上がる。その後、彼は荷物の中から鍋を取り出し、それを持って先程まで居た場所に腰を下ろした。
ダームは、訝しげな表情を浮かべながら青年の行動を眺めている。一方、ザウバーは少年から問い掛けられる前に、瓶の中身を鍋に出した。
氷水を注がれた金属容器は、乾いた音を微かに発し、辺りに冷涼な空気を拡散させる。この時、ザウバーの行動を見ていた少年が、驚いた様子で口を開いた。
しかし、ザウバーは彼の様子に気付く事無く、瓶と共に渡されていたタオルを氷水に浸す。その後、タオルにたっぷりと水が吸い込まれたことを確認すると、ザウバーはタオルを引き上げて数回半分に畳んだ。それから、そのタオルを軽く絞ると、ザウバーはそれをベネットの額にあてがった。額にタオルが触れた瞬間、その冷たさに反応したのか、ベネットの瞼は微かに震える。
「とにかく、病院に連れて行ったって治療法なんてありゃしねえ。それどころか、下手に移動させれば、無駄に体力を消耗しちまう」
少年の顔を横目で見ながら話すと、ザウバーはベネットの頬に手を触れる。一方、青年の説明を聞いたダームは、目を見開いて発言者を見つめた。
「でも、ザウバーの考えが間違っていたら」
少年は、ひどく興奮した様子で言い放ち、強く拳を握り締める。
「お前、何度言えば分か」
「二人共、止めてくれ。私は、もう大丈夫だから」
ザウバーが苛立った様子で話し出た時、今まで気を失っていたベネットが話し出した。そして、彼女は頬に触れていた青年の手を握り締めた。
「すまなかった。二人の会話は聞こえていたが、体が動かなかった」
そう言うと、ベネットは額に乗せられたタオルへ手を伸ばす。そして、そのタオルを握って腹部に置くと、床に両手をつきながら上体を起こした。しかし、手にあまり力が入っておらず、その状態を見たザウバーは、慌てて彼女の背中を支えた。
「気がついたのは良いけどよ。もう暫く、大人しくしている方が身の為じゃねえか?」
ザウバーは、心配そうに言葉を発すると、目を細め大きく息を吐き出した。
「そうだよ。それに、目が真っ赤だけど大丈夫?」
仲間のやりとりを見ていたダームは、ベネットの顔を覗き込むと、心配そうに涙を浮かべた。少年の言う通り、茶褐色である筈の瞳は、まるで燃えさかる炎の様に紅く染まっている。
「眼の色、か。ある程度予測していたが、今回も変化したのか」
問い掛けを聞いたベネットは、そう呟くと軽く目を瞑る。数秒後、彼女は閉じた目を開き、微笑みながら少年の方に向き直った。その際、ダームの瞳からは涙が溢れ出しており、それに気付いたベネットは心配そうに目を細めた。
「大丈夫だ。ちゃんとダームの姿も見えているし、聖霊の力を得た後の変化は付き物だ」
そう説明すると、ベネットは少年の頬を伝う涙を指先で優しく拭う。温かな指先で触れられたダームと言えば、恥ずかしそうに顔を赤くして微笑んだ。
「でも、本当に大丈夫? どこか痛いとか、苦しいとかは無い?」
ダームは、目の周りを乱暴に擦ると、確認する様にベネットへ問い掛ける。
「そうだな。敢えて言うなら、喉が渇き過ぎて、痛んではいる」
ゆっくり質問に答えると、ベネットは少年の頭に手を乗せて優しく撫でる。そして、彼女は触れていた手を離すと、目を細めて微笑んだ。
「だったら、何か飲み物を買ってくるよ。暑い所に行ったから、買い込んでおいた飲み物も無くなってきてるし。ザウバーも、冷たいものを飲みたいよね?」
返答を聞いたダームは、微笑みながら話し出した。その後、彼は勢い良く立ち上がると、青年の顔を見つめながら首を傾げる。提案を聞いたザウバーは、軽く頷くことによって肯定する。この為、ダームは硬貨の入った袋を握り締めると、ベネットの返答を待つこと無く部屋から駆け出した。