緊迫
文字数 2,707文字
アークが居なくなってから直ぐに、今まで黙っていたザウバーが口を開いた。しかし、ダームは今迄の戦いで疲れきっていた為か、椅子の背もたれに寄りかかりながら眠っていた。
ダームの寝顔を見たザウバーは、頭を横に振り息を吐く。彼は、アークが去った方向を一瞥すると、少年が座っている椅子の横へ腰を下ろした。
何時間か経った後、大司祭の元へ向かったアークが、数人の部下を従えて戻ってきた。アークは、ザウバーの目を鋭く見据えると、後方に居る部下達へ合図を送る。
「やりなさい」
命令を受けた部下達は、数人掛かりでザウバーの体を押さえ込む。何人もの兵に押さえ込まれたザウバーは、苦しそうな表情を浮かべ、何か言おうとした。
しかし、彼が何か言うことの出来る前に、その首へ文字の刻まれたチョーカーが巻き付けられる。その瞬間、チョーカーからは藍色の光が発せられ、ザウバーの首を締め付けた。
ザウバーは、その刺激に軽く咳き込み、恨めしそうにアークの目を見据える。
「一体これは」
「先に警告をしておきますが、暴れないで下さい」
ザウバーは、何か言おうと口を開いたが、話し終える前に言葉を遮られてしまう。
「もとい、暴れた場合は、無傷では済まないと思って下さい」
ザウバーが、気迫に押されて言葉を失っている間に、総司令は新たな言葉を紡いでいった。アークの声は低く、その眼差しに温かみは全く感じられない。
アークは、ザウバーの額に右人差し指を押し付けると、他の者には聞こえない小声で呪文を唱え始める。
アークが呪文の詠唱を終えた刹那、ザウバーの体は重々しい紫色光に包まれる。詠唱者はその反応に首を振り、気怠るそうに口を開いた。
「非常に残念です。まさか、本当に貴男が犯人だったとは」
アークは、溜め息混じりに言い放つと、細めた目でザウバーの顔を真っ直ぐに見つめる。
「それは……一体、どういう事だ?」
体を拘束されたままのザウバーは、アークが何を言っているのか分からないといった様子で問い掛けた。
「ベネット様の傷を調べたところ、魔法によって出来た傷である事は容易に判りました」
アークは、疲れ切った様子で溜め息を吐く。
「魔法の使い手であれば御存知と思いますが、発動した魔法には、それぞれ個人特有の波長が御座います」
淡々と説明すると、総司令は本題へ入る前に数回の深呼吸を行った。
「幸か不幸か、その波長に覚えが有りました。また、その波長に合う術者を探し出し、早急に封魔術を施せ。そう、大司祭様から命じられております」
そこまで伝えると、アークは残念そうな表情を浮かべる。
「私は、大司祭様の命に従う為、傷付けた張本人のみが術を使えない様、呪文をチョーカーへ刻み込みました」
そこまで伝えると、総司令はザウバーの目を鋭く見据える。
「つまり、このチョーカーで、ベネットを傷付けた奴だけが、魔法を封じられる訳か」
そう話すと、ザウバーはアークの目を真っ直ぐに見つめ返す。彼の表情に不安は無く、隙あらばやり返そうとしている様でもあった。
「はい。私の思い違いであるなら、貴男に封魔術は効きません。そのチョーカーには、ベネット様を傷付けた魔法の波長。その波長を元に、呪文を刻み込んでおきましたから」
アークは、ザウバーの目を見据えたまま、しっかりとした口調で言葉を紡いでいく。
「傷付けたのは自分で無い。そう証明したいのなら、どんな簡単な魔法でも良いですから使ってみせて下さい。そうすれば、貴男の無実は証明され、裁きにかけられることも無いのですから」
アークは、至極冷淡な口調で言い放つと、ザウバーを見下すかの様に笑った。
対するザウバーは、現在の状況を打開しようと、目を瞑り呪文を唱え始める。しかし、彼が呪文を唱え終えても何も起こらず、ザウバーは新たな呪文を唱え始めた。
「仕方が無いですね。恩人である貴男を捕まえるのは大変心苦しいですが、私の力ではどうにもなりません」
魔法を使えないことが判明した為、アークは部下である兵士に目配せをした。その兵士は、上官であるアークが予め指示した通り、抵抗の術を失ったザウバーを力任せに連行していく。
兵士達は、ザウバーを連れて執務室から立ち去り、ダームとアークだけが残された。静まりかえった執務室は冷たい空気に支配され、ダームは目を丸くして部屋の出入り口を眺めている。
「すみません、ダーム。総司令とは言え、一兵士でしかない私には、ザウバーを解放する権限が御座いません」
アークは、静寂を壊す様に話し出すと、目を伏せ悔しそうに唇を噛む。
「そして、ザウバーがこれからどの様な扱いを受けるか。その決定権も有りません」
この時、少年は突然起きた出来事で困惑し、硬直していた。アークは、そんなダームの顔を見つめると、申し訳無さそうに頭を下げる。
「時間も遅いですし、色々あって疲れていることでしょう」
不安そうな少年を見たアークは、出来る限り優しい声で話し掛けた。
「部下に部屋を用意させました。ですから、今日はもう休んで下さい。詳しい事情を話すのは、ダームの気持ちが落ち着いてからでも遅くありません」
そこまで伝えると、アークは少年の頭に手を乗せ、軽く叩く。しかし、それでもダームは俯いて押し黙り、言葉を発することもままならない様子だった。そんな様子を見たアークは、少年の横へ腰を下ろし、彼の頭を優しく撫で始める。
「大丈夫ですよ、きっと。あのザウバーの事です、何かの理由が有って魔法を使ったのでしょう? それを証明出来れば、いくらか罪は軽くなります。それに、教会配下にある病院が、治療に尽力しております。ですから」
アークは、少しでもダームを元気付けようと、言葉を紡いだ。しかし、彼は話している途中で言葉を詰まらせてしまう。
すると、二人しか居ない執務室には、暫く無音の時が流れた。その間、アークは幾度となく何かを言いかけたが、そのどれも声として発せられる事は無かった。
「ごめんなさい。暫く、一人にさせて下さい。一度、ゆっくりと気持ちを整理したいから」
ダームは、静寂を壊す様に話し出し、力のない眼差しでアークの顔を見つめる。少年の声は小さく震え、その顔色は青ざめていた。
「分かりました。それでは、用意させた部屋まで御案内致します。どうか、その部屋で、気持ちを整理して下さい」
絞り出す様な少年の声を聞いたアークは、そう言うと静かに立ち上がる。彼は、ダームの小さな背中を軽く叩き、立ち上がるよう促した。一方、ダームは彼に促されるまま立ち上がり、アークに手を引かれながら執務室を出る。