密談とゆるんだ涙腺
文字数 2,781文字
ベネットと司祭は、向かい合う形でソファに腰を下ろしており、他愛無い話をしながらアークの到着を待っている。二人が応接室に入って数分が経った時、その部屋のドアを叩く音が響いた。
「どうぞ、お入り下さい」
その音を聞いた司祭は、落ち着いた声を発した。すると、応接室のドアは開き、そこからアークが顔を覗かせる。
「失礼します」
アークは頭を下げ、自ら開けたドアを閉める。彼は、司祭の言い付け通り着替えており、厚手の生地を使用した上着にはフードが付いていた。その上着は灰色の長袖で、丈は臀部を隠す程度の長さだった。また、緩めに作られたボトムスは、アークの足首までしっかりと覆っている。
「アークも座って下さい」
司祭は座る位置を変え、開けたスペースを軽く叩いた。彼の仕草を見たアークは司祭へ礼を言い、開けられた場所に腰を下ろす。
「サイズや着心地に、問題はありませんか?」
司祭は、そう問い掛けるとアークの方へ顔を向けた。質問を受けたアークは司祭の居る左側を向き、胸元に手を当てながら口を開く。
「袖の長さも丁度良いですし、肌触りも快適です。ただ……普段、こういった服は着ないので、似合っているかどうかは分かりません」
アークは恥ずかしそうに微笑み、対面に座っている女性を一瞥する。ベネットは、その一瞬の視線に気付いたのか、アークの服を見つめながら口を開いた。
「似合っていると思うぞ。私だけに言われても、納得がいかないかも知れないが」
ベネットは、自ら感じたことを述べると、司祭の意見を窺う様にその目を見る。
「二人共、否定的な物言いをしないで下さい。選んだ私までへこむじゃ無いですか」
彼の一言でベネットとアークは顔を見合わせ、どこか安心した笑顔を浮かべる。
「さて、そろそろ本題に移りましょう」
二人の緊張が解けたと感じたのか、司祭は真剣な眼差しでベネットとアークの目を見つめた。彼の視線に気付いた二人は小さく頷き、静かに話の続きを待つ。
「結界を張る為の、正式な手順をお教えします」
司祭は胸の前で手を合わせ、静かに目を瞑った。すると、彼の周りに銀色の光が生じ、それは段々と範囲を広げていく。その銀色の光は、ベネットやアークまでをも包み込み、室内の空気は厳かなものになっていった。
「さて」
司祭は目を開き、組んでいた手を離して膝の上に乗せる。
「この術の情報は、裏を返せば街を危険に曝しかねません。ですから、術式を組む手順が、文書として残されることは無いのです」
司祭は、そこまで話すとベネットの目を見つめ、大きく息を吸い込んだ。
「そして、その存在及び術式を組む手順は、代々信頼のおける聖職者にのみ語り継がれてきました」
司祭の話に、アークは気まずそうに目を伏せ、ベネットは一言も聞き漏らさぬよう耳を澄ませた。
「街へ入らんとする魔物を浄化する結界。これは、術者の力量だけでなく資質も重視され、神聖な力を持たぬ者が組むことは、限りなく不可能であるとされております」
司祭は、そこまで話したところで軽く目を瞑り、気持ちを落ち着ける為に何度か深呼吸を行った。
「また、一度術式を組んだ以上、その術者が亡くなるまで、他者が術式を組むことは不可能。逆に言いますと、術者の命が続く限り、結界が消えることはない」
司祭は大きく息を吐き出し、ベネットの目を見つめる。ベネットは彼の瞳を見つめ返し、司祭の思惑を探ろうと試みた。
「つまり、術者の一生をかけて、街を守る結界なのです」
司祭は長く息を吐き出し、ベネットの目を真っ直ぐに見つめる。
「それは即ち、結界を張り続ける為、死ぬまで力を使い続けるということ。それでも、この街を守って頂けますか?」
ベネットは、司祭の話に小さく頷き、胸元にそっと手を当てる。
「私に、それが出来るのならば」
返答を聞いた司祭は、安堵の表情を浮かべ口を開く。
「ありがとうございます。他に重大な使命が有るのに、負担を掛けますね」
司祭は涙を浮かべ、それを軽く指で拭った。彼の涙を見たベネットとアークは目を丸くし、心配そうに司祭の顔を覗き込む。
「ああ、すみません。年を取ると、涙腺が緩くなるようで」
そう話すと、司祭は内ポケットから一片の布を取り出し目頭に当てる。彼は、涙を拭った布を握ると、微笑しながら話し始めた。
「初めてお会いした時を思い出してしまって。随分と立派になられたものだと」
司祭は再び目頭を押さえ、ベネットとアークは静かに話を聞いている。
「すみません。今は、無駄な話をするべきではありませんね」
それだけ話すと、司祭は苦笑しながら白い布をポケットに仕舞い込む。そして、口元に手を当てて咳払いをすると、真剣な表情を浮かべて口を開いた。
司祭は術式を組む手順を告げていき、ベネットは彼の話を聞き漏らさない様に集中している。アークも司祭の話を聞いてはいるが、当事者では無いせいかどこか退屈そうでもあった。全ての話が終わった時、司祭はベネットの目を真っ直ぐに見つめ、説明した内容を理解したか尋ねる。彼の問いに、ベネットは肯定の返事をなし、それを聞いた司祭は微笑みながら頷いた。
「では、早速向かいましょう。お仲間さんが何時到着するか分かりませんし、早めに済ませた方が得策でしょう」
司祭は、左手を顔の高さに上げて指を鳴らす。すると、それをきっかけとするように銀色の光は消え、術を解いた司祭はゆっくり立ち上がった。彼の行動に気付いたアークと言えば、司祭が移動出来るようソファから立ち上がり、直ぐにドアの方へ向かって行く。そして、アークはドアを開けて右手で支えると、他の二人に外へ出るよう優しく告げた。
アークの台詞を聞いた司祭は小さく頷き、ゆっくりした足取りで廊下へ向かう。ベネットは、アークへ礼を言って立ち上がり、足早に応接室を出ようと歩き始めた。司祭とベネットが応接室を出た後、アークは二人の後を追う。そして、アークが応接室のドアを閉めたところで、司祭は他の二人を先導して歩き出した。
その後、三人は静かに教会内の廊下を歩き、地下へ続く階段を下りた。日光の届かない階段は暗かったが、アークが周辺を照らす呪文を唱えたことにより、彼らの周囲は明るくなった。階段を下りきった後、司祭は後方を振り返りながら歩みを進め、何の変哲もない壁の前で立ち止まる。彼は、手招きすることによって二人を引き寄せると、微笑しながら口を開いた。