急転
文字数 2,948文字
ベネットが待っている筈の場所へ戻った時、ダームはそこに誰一人として居ないことに気付いた。
「自分んちに戻ったんだろ。あの後、特に騒ぎも無かったし」
「確かに、この村の人はそうかも知れない。けど、ベネットさんはどこに居るの? 酷い怪我だってしてるのに」
緊迫感の無い声を聞いたダームは、苛立った様子で青年を睨み付けた。
「酷い怪我ねえ」
「覚えてないんだ」
素っ気ない態度に怒りを覚えたダームは、小さな声で呟いた。彼の瞳には涙が浮かび、唇は小刻みに震えている。
「覚え」
「あ! この場所から血が点々と続いてる」
ザウバーが話し出したのも束の間、その声は少年に遮られてしまう。この時、ダームの目線の先には、乾いた土に浸み込む黒い斑点が有った。また、その手懸かりは、ミーアの家とは反対側に向かって続いている。
青年の反応を待つことなく、ダームは目線を下に向けながら血の跡を追って行く。ザウバーは、首を傾げながらも少年の後を追い、歩きながら周囲を見回した。
血の跡を追い掛けていった先には、躰を枯れ木に寄りかからせているベネットの姿が在った。彼女の衣服は傷口を中心として赤く染まり、その目は力なく閉じられている。
衝撃的な光景を見たダームはベネットの元へ駆け寄り、その肩を掴んで前後に揺らした。
「駄目だ……全然気付いてくれない。それに、ベネットさんの体が、凍っているみたいに冷たい」
ベネットの体に手を触れたダームは、その指先から感じられる体温が異様に低いことに気付き、震えた声を漏らした。
「どうしよう。あの時、僕を庇ってくれたから、こんな」
そう言うと、ダームは攻撃を受けた時のことを思い出したのか、大粒の涙を零し始める。その後、少年はベネットの体温を少しでも戻す為に、荷物の中から毛布を取り出す。彼は、それをベネットの体に被せると、凍てついてしまったかの様な体へ抱きついた。
「俺は回復魔法を使えねえし、オーマに病院は見あたらなかった。これじゃあ、手の打ちどころが」
「だったら、病院が在る場所に魔法で移動してよ」
ダームは、顔だけを青年の方に向け、淡々と自らの意見を述べていった。
「ザウバーなら、出来るでしょ?」
ダームは青年の目を見据え、その両手に力を込める。
「病院、か。大きな街なら在るだろうが、正確な場所迄は分からねえ。闇雲に転移したら、探すだけで時間が掛かっちまう」
「だったら、ヘイデルに行こうよ! あの街には、回復魔法を使えるアークさんが居る。だから、ベネットさんの傷を治せるかも知れない!」
意見を否定されたダームは、その事に対して言い返しもせず、直ぐに新しい考えを告げた。
「ヘイデルには、警備兵用の救護室も在った。ダームの言う通り、行ってみる価値は有りそうだな」
二つ目の提案を聞いたザウバーはそれ受け入れ、目を閉じる。
「御地に宿りし精霊よ、我らをヘイデルへ誘い賜え……ヴェーグリヒ!」
ザウバーが詠唱を終えた瞬間、三人はヘイデルに在る警備兵用施設へ移動を終えた。
「しまった。アークの正確な居場所が分からねえ」
「しかも、警備兵の人達が集まって来てる」
転移を終えて暫くすると、ダーム達は警備兵に囲まれてしまった。
「貴様ら、一体、何処から現れた? この施設の入口は、全て閉ざしてあったのだぞ!」
警備兵のうち一人が、威嚇する様な大声で言い放ち、そのままザウバーの前に立つ。彼は他の兵士よりも重装で、そのせいか体格も良く見えた。
「話は後で聞くし、事情もちゃんと説明するよ。だからお願い、ベネットさんを助けて!」
ダームは、ベネットの体を抱き締めたまま、懇願する様に泣き叫んだ。
「いきなり現れた奴の言う事を簡単に認めたら、警備兵は務まらない。その位は、子供でも分かるだろう」
ダームの必死の願いは、警備兵達に受け入れられなかった。それどころか、騒ぎを聞きつけた警備兵達が、次々に三人の周りに集まり始める。
「一体、貴方達は何を騒いでおられるのですか? 会議室まで、品の無い叫び声が聞こえてきましたよ」
ダームが、聞き慣れない声に気付いて振り向くと、初老の男性が疲れた表情を浮かべながら立っていた。その男性は、簡素なデザインの法衣を纏い、三人の居る方へ顔を向けている。
「大司祭様、ここは大変危険です。申し訳御座いませんが、どうか会議室へ御戻り下さい」
大司祭から一番近い位置に居た警備兵は、慌てた様子でその元へ駆け寄った。一方、大司祭は駆け寄ってきた男の顔を見つめ、小さな溜め息を吐いてから口を開く。
「危険、ですか。警備施設内が危険、これは由々しき事態です。会議室に戻ったら、シタルカー総司令に注意をせねばならない様です」
大司祭は、落ち着いた様子で言葉を返すと、騒ぎの中心に居る三人へ目線を移す。大司祭は、傷だらけのベネットの体を見つめると、細く長い息を吐きながら軽く目を瞑った。
「詳しい事情は分かりかねますが、怪我をされている方が居るではありませんか」
酷い怪我のせいで体を動かすことすら出来ないベネットの存在に気付いた大司祭は、話し掛けてきた警備兵へ告げた。
「男性二人の処遇については、総司令であるシタルカーに任せます。ですが、あの女性は、直ぐに教会配下の病院へ搬送して下さい。これは私からの命令です」
そこまで話すと、大司祭は警備兵達の顔を見回し、どこか冷たい笑顔を浮かべた。
「しかし、あの者達は、素性の知れない侵入者ですよ?」
思いもよらない命令を受けた警備兵は、驚いた様子で大司祭へ問い掛けた。彼の声は上ずっており、その瞬きは早くなっている。
「これは命令だと申し上げたでしょう? それに、あの女性の命、みすみす失う訳にはいかないのですよ」
そう言うと、大司祭は警備兵の目を鋭く見据えた。彼に見据えられた兵と言えば、その威圧感に息を飲み、直ぐに深々と頭を下げる。
「大変失礼致しました。大司祭様の御言葉通り、あの女性を病院へ搬送いたします」
大司祭の命令を聞いた兵は、驚いた表情を浮かべながらベネットの元へ向かっていった。警備兵は、ベネットへ手が届く位置まで来ると、膝を地面に付ける。
「助けてくれるの?」
押し黙ったままベネットの体を抱きかかえていたダームは、近付いてきた警備兵の顔を見つめ、質問をした。
「大司祭様の御命令だからな。さあ、その女性を渡しなさい」
警備兵は冷たく言い放つとベネットを抱き上げ、大司祭の元へ向かっていった。
「私は、この者達と共に教会へ戻ります。シタルカー総司令に、男二人の処遇を任せること。また、話し合いについては、後日改めて連絡する旨を伝えておきなさい」
大司祭は、警備兵達に向かって指示を出し、静かにその場から立ち去った。ベネットを抱える兵もその場から去り、ダームは心配そうに彼らの行く先を眺めている。
「誰か総司令を呼んで来い。大司祭様の言う事は絶対だ」
大司祭が去った後、ザウバーの前で警戒を続けていた者は、他の警備兵達に言い放った。彼の指示を聞いた警備兵達と言えば、暫くの間ざわめきながら顔を見合わせていた。しかし、その視線が一人の元に集まった時、その者は敬礼をしながら返答をし、直ぐに総司令を呼びに向かった。