フェアラへの帰還
文字数 2,300文字
小さい声で話すと、ザウバーはベネットの傍らでしゃがみ込む。
「可も不可も無く……と、言ったところだ。術で体の傷は治せても、精神的なものはどうにもならない」
ザウバーは頷き、立ち上がって周囲を見渡す。彼の見渡す限りには、命に関わる様な傷を負っている者はおらず、治っていない者は数える程しか居なかった。この為、ザウバーはベネットの顔を一瞥すると、安心した様子で目を瞑った。
程なくして、ベネットは生存者全ての傷を治し終え、疲れた様子で大きく息を吐き出した。彼女は、仲間の顔を静かに見ると、首を傾げながら口を開く。
「一通りの治癒は終えた。そろそろ、次の段階に移るか」
自らの考えを述べると、ベネットはザウバーの目を見つめた。その眼差しに気付いたザウバーと言えば、彼女の目を見つめ返す。そして、彼は大きく頷くと、ダームの顔を一瞥した。
「だな。こんな辛気臭い場所にいたら息が詰まる。もう、脱出しちまおうぜ?」
気怠そうに言葉を漏らすと、ザウバーは溜め息を吐きながら周囲を見回した。
「それで、ここに居る全員を転移させられるのか?」
ベネットは心配そうに問い掛けると、集められた人々の数を大まかに数え始めた。そこには、軽く見積もっても数十の人々が居り、それを一度に転移させるのは難しく思えた。その為か、ダームは不安そうに目を細め、無言で青年の顔を覗き込む。
「さあな。街に着くまでに色々やられたから、正直良く分からねえや」
仲間の問い掛けに答えると、ザウバーは恥ずかしそうに笑ってみせる。青年の言葉を聞いたダームは肩を落とし、ベネットの方へ目線を移した。
「大丈夫だ。時間はちょっとかかるかも知れないが、人数自体は問題ねえ」
そう話すと、ザウバーは勢い良く少年の背中を叩いてみせる。ダームが、思わず青年の顔を睨み付けると、そこには自信有りげな表情があった。この為、ダームはわざとらしく溜め息を吐き、仕返しと言わんばかりに青年の腹部を強く叩いた。
「フェアラに戻ってから、色々なことを考えようぜ? あちこち痛くてかなわねえ」
そう言って笑うと、ザウバーは少年の肩を掴んで後方に押しやる。それから、彼は静かに目を瞑ると、腕を前に伸ばした。そして、彼は大きな呼吸を繰り返すと、口を開き、呪文を唱え始める。
「御地に宿りし精霊よ、我らをフェアラへ誘い賜え……ヴェーグリヒ!」
ザウバーが呪文を唱え終えた瞬間、集まっていた人々は、薄暗い洞窟から転移を終えた。その場所は、暗い場所に慣れた目には耐えられない程に明るく、転移を終えた者の殆どは、瞬時に強く目を瞑った。
この内、暫くして目を開いたダームは、その瞳に映し出された光景に目を見開く。そして、彼は狂った様に叫ぶと、体を震わせて気絶してしまった。その声に気付いたベネットは、直ぐにダームの体を支え、心配そうに少年の顔を覗き込む。ベネットの目に映った顔は青白く、まるで抗えないものに出会ったかの様な恐怖で引きつっていた。ザウバーは、直ぐに後方を振り返り、少年が見ただろう場所を確認する。
そこには、嫌な煙を発しながら燃え盛る樹木があり、その炎は今にも近くの家屋へ燃え移りそうな程であった。ザウバーは不機嫌そうに舌打ちすると、その炎へ向けて腕を伸ばす。
「命を生み出す清らかなる聖霊よ、我に力を貸したまえ!」
ザウバーが、目一杯に声を張り上げると、燃え盛る炎の上部には大量の水が現れる。その水は、燃えている木を目掛けて降り注いでいき、炎が完全に消えるまで生じ続けた。そのおかげか、炎は他の場所へ燃え移ることなく消えた。
何人かの人々は、ザウバーが行った一連の光景を見ていた。しかし、自らを取り巻く状況が目まぐるしく変わるせいか、大きな反応を見せなかった。また、多くの人々は、景色が一変したという驚きの為か、動きを忘れてしまったかの様に固まっている。
暫くして、ザウバーは大きく息を吐き出すと、まるで全身の力が抜けてしまったかの様にくずおれる。ベネットは、青年が膝をついた音を聞くと、慌てて彼の方を振り向いた。
ザウバーは前方をきつく見据えると、拳を握り締めて力一杯地面に叩きつけた。そして、彼は大きく頭を振ると、苦笑しながら仲間の方へ目線を移す。ベネットは、彼の行動に驚いた様子を見せたが、ザウバーの動きを待つように首を傾げ静かに微笑んだ。
「すまねえ、取り乱しちまった」
ザウバーは目を細めて微苦笑する。
「とにかく、無事に町には着いたんだ。ダームは、休ませておこうぜ?」
ザウバーは、気を失っている少年を一瞥し、ベネットの考えを窺う様に首を傾げた。
「ああ。だが、ダームを休ませる場所の当ては有るのか? それに」
そこまで話すと、ベネットは牢に閉じ込められていた人々を軽く見る。
「他の方々も休ませねばなるまい。それに、全員がフェアラの者とも限らないだろう?」
心配そうに話すと、ベネットは無言で青年の瞳を見つめた。すると、ザウバーは困った様子で頭を掻き、その返答を言いにくそうに片目を瞑る。
「いや……近いだろうからと思って転移したんだがな、正直なところ」
彼は落ち着かない様子で体を揺らすと、仲間から目線を逸らして目を泳がせた。
「フェアラのことは、全くと言っていいほど分からねえ」
弱々しく伝えると、ザウバーは手の平を合わせ、頭を下げた。ベネットは、彼へ返す言葉を模索し、それからゆっくり息を吸い込む。
「分かった。では、先ずはフェアラの住人を探そう。一人でも町を知る者が居れば話は早い」
自らの考えを述べると、ベネットは少年の体を地面に横たわらせた。