不安ながらも穏やかな
文字数 2,485文字
院長は大きく息を吐き出し、前方を見た。
「そんな事が有ったんだ」
院長の話を聞いたダームは、悲しそうに目を伏せる。
「私も、気をつけねばならないな」
「ええ。治療をする者が倒れてしまったら、仲間も苦しむ羽目になる」
院長はベネットの目を見つめ、静かに息を吸い込んだ。
「でも、言いたい事はそれだけじゃ無い。誰にでも、心配をしてくれる人が居る。その人達を悲しませない為にも、自分の体も心配してあげて」
そう言うと、院長は優しく微笑んでみせた。
「心配してくれる人?」
そう言葉を漏らすと、ダームは院長の顔を見上げた。
「少なくとも、貴方達は互いに心配しているでしょう? もし、無理をして倒れたら、心配してくれる人が悲しむんじゃないかしら?」
院長は歯を見せて笑った。その後、彼女は大きく息を吸い込むと、腰に手を当てる。
「今のところ、貴方達に言いたい事はそれ位。じゃあ、そろそろ邪魔者は消えるわね」
院長は、間髪入れずに言葉を連ねると、軽く手を振りながら退室する。この際、院長の目に涙が浮かんでいたが、それが拭われはしなかった。
ルキアが病室から立ち去ってから暫くした時、ダームはベネットの方を振り返る。
「ルキアさん、泣いてたね」
「恐らく、話をしている内に、辛い過去を思い出してしまったのだろう。私が無茶をしていなければ、思い出す事も無かっただろうに」
少年の話を聞いたベネットは、辛そうに頭を抱えた。その後、ベネットは悔しそうに目を瞑ると、勢い良く布団へ顔を埋めた。一方、いつになく悲観的なベネットを見たダームと言えば、何と言葉を掛けて良いか分らず押し黙ってしまう。そして、自分の無力さを思い知らされたダームは、悔しそうに唇を噛んだ。
「すまない」
少年の心情を感じ取ったベネットは、静寂を打ち消す様に話し始めた。
「どうやら、また心配をさせてしまった様だな。だが、私は大丈夫だ。魔力と精神力は連動している。魔力が回復すれば、この様なことは無いだろう」
ダームは、返す言葉が見つからないのか、何も言わずに頷いた。
「悪いが、暫くの間寝かせて欲しい。今の心境のまま何かを話したら、くだらない事ばかり言ってしまいそうだ」
そう伝えると、ベネットは虚ろな瞳で少年を見つめた。願いに対してダームが頷くと、彼女は布団の中へ潜っていく。それを見たダームは悲しそうに天井を見上げ、彼用のベッドに腰を下ろした。ダームは、暫く座ったままでいたが、ベネットに起きる気配がない為、疲れた様子で体を倒す。
その後、ダームは仰向けに寝直すと、ゆっくりとした呼吸を繰り返しながら眠りに落ちた。
夜が明け、窓から差し込む光が強くなった頃、ベネットは眠っているダームの体を布団越しに揺する。
「起きてくれ。食事が用意されたから、冷めないうちに食べてしまおう」
呼び掛けられたダームは、眠そうに目を擦りながら起き上がる。
「大丈夫か? どこか悪いなら、遠慮なく言って欲しい」
一方、気怠そうな様子を見たベネットは、心配そうに少年の顔を覗き込む。
「何でもないよ。ただ、夜中に良く眠れなかっただけ」
心配そうな表情を見たダームは、ベネットを心配させまいと無邪気に笑ってみせる。しかし、少年の声に明るさは無く、その笑顔もどこかぎこちなかった。
「そうか。だが、ルキアが言っていた通り、強がって無理をするな。もし、ダームが倒れたとしたら、私は辛い」
声色から、少年が嘘をついている事に気付いたベネットは、まるで何かを諭す様に話し掛ける。彼女は、ダームの目を真っ直ぐに見据え、その表情から真意を探ろうと試みた。
「昨日の夜から、膝が軋む様に痛むんだ」
嘘を吐く事が辛くなったのか、ダームは途切れ途切れに説明を始めた。
「ただ、あの時に付いた傷じゃないし、痛みだしたのは昨日だった。だから、一日経って痛みが収まらなかったら、言おうと思っていたんだ」
一方、ベネットは軽く腕を組み、目を瞑って何かを考え始めた。
「でも、暫くしたらあまり痛くなくなってきて。だから、わざわざ言うことも無いのかなって」
ベネットは、何か思い出した様に目を開くと、少年の膝にそっと手を触れる。
「やはり」
ベネットは、触れた手を優しく動かし、喜びと安堵の入り混じった表情を浮かべた。
「もしかして、悪いの?」
ベネットが跪いている為、表情を伺い知る事が出来ないダームは、不安そうに尋ねた。質問を受けたベネットと言えば、ゆっくり立ち上がると、少年の目を優しく見つめる。
「それどころか、怪我や病気ですらない」
そう言うと、ベネットは嬉しそうに少年の目を見つめる。
「身長が急激に伸びる時、膝が軋む様に痛むそうだ。恐らく、ダームは成長期に入ったのだろう」
ベネットは、簡単に説明を加えると、軽く片目を瞑った。
「成長期?」
ダームは、まるで初めて聞いた言葉であるかの様に、一つの単語をゆっくりと聞き返す。
「ああ。ダーム位の年ならば、何も珍しくは無い」
ベネットは再び少年の目を見つめ、微かに目を細めた。
「じゃあ、ザウバーよりも大きくなれるかな? もし、ザウバーが戻ってきた時にそうなっていたら、何だか面白いね」
一方、ベネットの説明を聞いたダームは、楽しそうに歯を見せて笑いながら話し出す。
「一気にどれだけ伸びるかは、人によって差が有る。だが、ダームに身長を抜かされていたら、ザウバーは驚くだろう」
そう返すと、ベネットは口に手を当て、楽しそうに笑い始めた。彼女の笑顔につられたのか、ダームも楽しそうに笑い出し、病室内の空気は軽くなった。
「ザウバーの身長を抜かす為にも、沢山食べて栄養を付けると良い」
ベネットは、笑うことによって生じた涙を手の甲で拭うと、用意された料理に目をやった。
「そうだね。笑い過ぎて、ご飯のことを忘れる所だったよ」
ダームは、そう言葉を紡ぐと、うっすらと浮かんだ涙を上着の袖で拭う。そして、少年は用意された料理を眺めると、腹を押さえながら一つのパンへ手を伸ばした。