街の結界
文字数 2,230文字
数拍の後、司祭は病室の隅に置かれた椅子へ目線を移す。滑らかな素材で作られた椅子は、重ねられた状態で五脚用意されていた。司祭は、その内二脚をベッドの近くに移動させると、音をたてぬ様に椅子を置く。椅子は、ベッドの長辺と平行する形で並べられ、司祭はその内ヘッドボードに近い方へ腰を下ろした。
「さ、座って下さい」
司祭の言葉に、ベネットは開いている椅子へ腰を下ろした。彼女は、なるべく疲れない様に座り方を調節すると、首を傾げながら司祭の方に顔を向ける。彼女の目線に気付いた司祭は小さく頷き、ゆっくりと息を吸い込んだ。
「それでは、話を始めましょうか」
司祭は微笑し、ベネットとアークの顔を眺める。彼の話を聞いた二人はそれぞれに肯定の返事をなし、司祭は安心した様子で口を開いた。
「単刀直入に言いますと、街の結界が弱まったままです」
彼の台詞を聞いたアークは目を伏せ、ベネットは司祭の目を見つめて口を開く。
「それは」
「ええ。結界は、術者の状態を反映しています」
司祭は、ベネットが言い終わらないうちに話し出し、口元を押さえて咳払いをする。
「ですから、弱まった原因は
フェアラでの一件のせい
。そう考えていました」司祭はアークの顔を見つめ、その反応を待つ。アークは何度かゆっくりとした呼吸を繰り返し、司祭の顔を見つめ返した。
「はい。結界が弱ったのは、ベネット様の身に何か起きたのだろうと。だからこそ、あまり交流の無かったフェアラに兵を送ったのです」
そう言葉を紡ぐと、アークは目線をベネットの方へ動かす。彼の目線に気付いたベネットは小さく頷き、アークへ言葉を返そうと口を開いた。
「確かに、フェアラでは一悶着有った。だが、今も結界が弱まったままというのは」
ベネットは、そこまで話すと眉間に皺を寄せ、続けるべき言葉を模索する。しかし、直ぐには浮かばなかったのか、三人の間に静かな時が流れ始めた。
「ですから、組んだ術式自体が弱かった。私は、そう仮説を立てたのですよ」
司祭は、静寂を壊すように話し出すと、ベネットとアークの顔を交互に見た。彼の話を聞いたアークは目を細め、ベネットは顎に手を当てながら思案する。
「確認するまでは断言しかねますが、司祭様の仰る仮説は正しいと思います」
ベネットは顎に当てていた手を離し、話を続けるべく息を吸い込んだ。
「私の体力は、こちらに戻ってから回復しました。それに、あの術式を組んだのは」
「そう言うことです。元々、正式な流れで組んだ術式ではありません。今になって不具合が出ても、おかしくはありません」
司祭は、ベネットの話を補足する様に話し、微笑んでみせる。彼の言葉を聞いたベネットは小さく頷き、無言で話の続きを待った。
「そこで、改めて儀式を執り行おうと思うのですが、その前に二人の意見を聞いておかねばと思いまして」
司祭の話を聞いた二人は顔を見合わせ、彼に返すべき言葉を思案する。そして、ベネットは数秒間考えた後に司祭の顔を見つめ、真剣な面持ちで口を開いた。
「やりましょう。いくら大きな街に魔物が来にくいとは言え、結界があると無いとでは違います」
そこまで話すと、ベネットは司祭の目を真っ直ぐに見つめる。彼女の返事を聞いた司祭は大きく頷き、アークは慌てた様子で口を開いた。
「確かに、結界があれば街に魔物は入れないでしょう。ですが、体への負担が」
「大丈夫だ。確かに体への負担は大きいが、あの時とは違う。それに」
ベネットは、アークの声を遮る様に話し、そっと胸に手を当てた。
「帰るべき場所を守りたいと思うのは、間違った考えでは無いだろう?」
そこまで話すと、ベネットはアークの目を見つめて微笑んだ。彼女の微笑を見たアークは目を丸くし、どこか安心した様に息を吐き出す。
「そうですね、その考えに間違いは有りません。それに、そこまで言われたら、私は協力する以外の選択肢が有りません」
アークは微笑し、司祭の顔を見つめながら頷いた。彼の話を聞いた司祭は満足そうな表情を浮かべ、静かに立ち上がる。
「では、院長にアークの外出許可を貰ってきます」
司祭は腰に手を当て、ゆっくり背中を伸ばす。
「少々時間が掛かりますから、アークと待っていて下さいね」
司祭の話を聞いたベネットは直ぐにその願いを受け入れ、司祭は病院長を捜すべく病室から去った。
それから数十分が経ち、司祭はやや疲れた様子で病室に戻った。彼の手には大きな布袋が握られており、その底面は床に擦れそうな程である。
「思ったより手続きがありまして。結構、時間が掛かってしまいました」
明るい口調で話すと、司祭は病室に居る二人を見つめて微笑する。
「そうそう、先ずは着替えて下さいね。病院のそれだと、悪目立ちしそうですから」
そう伝えると、司祭は手に持っていた袋をアークへ手渡した。彼の話を聞いたアークは袋の中を確認し、司祭に頭を下げる。
「では、私達は退室します。着替えが終わったら、こっそり教会まで来て下さい」
司祭はベネットの肩を軽く叩き、彼女へ退室する様に言った。
「また後で会おう」
彼女の話を聞いたアークは小さく頷き、それを見たベネットは病室の外へ向かう。
「それでは、私も」
司祭はベネットの後を追い、病室にアークを残して退室する。部屋に残されたアークは立ち上がり、司祭が持ち込んだ服に着替え始めた。