知りえぬことの恐怖
文字数 2,588文字
その様子に気付いたベネットは、心配そうに少年の顔を覗き込む。この際、ダームは顔をしかめていたが、ベネットの視線に気付くなり、気丈に笑ってみせた。
「大丈夫。それより、あの人のことを聞こう」
ダームはベネットの目を見つめ、明るい声で話した。しかし、彼の声は震えており、言葉とは裏腹に動揺していることは明らかだった。
「そうだな。幸いにも、事情を聞けそうな人達が居る。女性の状態も気になるし、話し掛けよう」
ベネットは、前方に居る従業員へ近付いていく。そして、一番近くに居た男性に歩み寄ると、その肩を軽く叩いた。肩を叩かれた男性と言えば、驚いた様子でベネットの顔を見上げる。それから、男性は彼女の横に居るダームを一瞥すると、膝に手を当てて立ち上がった。
「忙しいところ、申し訳ありません。先程、ここに倒れていた女性について伺いたいのですが」
男性が立ち上がった時、ベネットは彼の目を見つめながら問い掛ける。一方、問い掛けられた男性は、困った様子で大きな瞬きをした。
「倒れていた女性ですか? 申し訳ございませんが、分かりかねます。私がこちらへ来た時には、二人の男性が居るだけでしたので」
一呼吸おくと、男性はベネットに対して深々と頭を下げる。そんな中、彼の後方に居た青年が、恐る恐るベネットの方に近付いてきた。
「もしかして、倒れていた女性とは、キーナのことでしょうか? 彼女なら、仮眠室で休んでおります」
「そうですか。もし、よろしければ、その仮眠室に案内して頂けませんか?」
話を聞いたベネットは、更なる質問を青年にぶつけた。
「案内するのは構いません。ですが、キーナが目を覚ましているか分かりません」
青年はそこまで話すと、申し訳なさそうに苦笑する。それから、彼はベネットの意見を窺う様に、彼女の目を見た。ベネットが返事をしようとした時、絹を裂く様な悲鳴が彼女の左側から聞こえてきた。この為、その悲鳴を聞いた者達は、反射的に声のした方へ顔を向ける。
「あの声は」
ベネットの前に立つ青年は、そう呟くなり声のした方へ向かっていった。ダームとベネットは顔を見合わせ、直ぐに青年の後を追っていく。その後、青年は突き当たりを右へ曲がった先で立ち止まり、目の前に有るドアを開けた。
そして、彼は部屋の中に居る女性を見るなり、彼女の元に駆け寄った。女性は、簡易ベッドの上で震えており、小さな顔を両手で覆っていた。その細い指の隙間から覗く顔色は白く、感情が高ぶっているのか瞳孔は大きく開いている。
彼を追ってきた二人が部屋を覗き込んだ際、青年は女性の体を抱き締めていた。少ししてから、青年は女性の背中に回していた手を離すと、震えている手を掴んでゆっくり下ろす。
「大丈夫……大丈夫だから落ち着いて」
「駄目……怖い。それに……次は、この街って」
女性は強く目を瞑り、途切れ途切れに声を漏らした。そして、彼女は先刻の悪夢を忘れようと、首を大きく横に振った。
「怖いのは分かるよ。でも、キーナ。次はこの街、ってどういうこと?」
青年は心配そうな声でキーナに問い掛けた。しかし、問い掛けにキーナが答えることは無かった。
「あの……実は僕達、そのことを聞きたくて来たんだ」
重苦しい空気に耐えきれなかったのか、ダームが怖ず怖ずと口を開いた。すると、ダームの声を聞いた青年は、ひどく驚いた様子で振り返る。青年の目は大きく見開かれており、不意に聞こえた声に怯えている様でもあった。
「立ち聞きしちゃって、ごめんなさい。でも、キーナさんは僕達より先に、あの場所に居たから」
青年の表情を見たダームは、慌てた様子で言葉を加える。
「だから……だからね、フェアラの街が喰われたっていう前に、何が有ったのかなって」
ダームは必死に話を続けていくが、取り留めの無いものだった為か、青年は困った表情を浮かべる。
「先ずは話を整理しよう。混乱したまま話しても、問題を複雑にするだけだ」
ベネットは、少年の肩を軽く叩いた。
「キーナ、と言ったか。私の名前はベネット。貴女の悲鳴を聞いて、あの場所に駆け付けた内の一人だ」
ベネットは女性に目線を送ると、先ずは自らの事について伝えていく。すると、キーナは横目でベネットを確認し、青年は困った様に俯いた。
「私達が到着した直後、信じ難い事が起きた」
ベネットは青年の顔を見つめながら、尚も説明を続けていく。この時、青年は渋い顔を浮かべるが、ベネットの話を遮ることはしなかった。
「思い出したくも無い事だ。だが、あの言葉を無視する訳にはいかないだろう」
ベネットは気持ちを落ち着かせる為に、深呼吸を数回する。一方、キーナは辛そうに唇を噛み、拳を強く握った。
「フェアラの街は魔物に喰われた。次はこの街」
ベネットは、ゆっくり言葉を紡ぐと、その目線をキーナへ向ける。キーナと言えば、辛そうに目を細め、口元を両手で押さえた。
「突然のことで気が動転してしたから、一字一句が合っている訳ではない。だが」
ベネットは、ダームの目を一瞥する。
「この少年も聞いていた」
ベネットが話を終えた後、キーナは嗚咽しながら布団に顔を埋める。
「大丈夫、キーナ? 僕が話を聞いておくから休んでいなよ」
青年はキーナの肩を抱き、落ち着かせる様に話した。彼はキーナの髪を優しく撫でると、ベネットの顔を見る。
「外で待って頂けますか? 話は、私が伺いますので」
青年は深々と頭を下げ、ベネットとダームは部屋を出る。そして、二人はドアを静かに閉め、互いに顔を見合わせた。
「まずかったかな?」
「分からない。だが、私達がフェアラに向かうなら、その間のことを任せる人間が必要だ」
辛そうに話すと、ベネットは大きく息を吐き出した。
「無論、何も起きないのなら、心配する必要も無いのだが」
彼女は、そこまで話したところで、言葉を続けることを躊躇った。この為、二人の間には、重苦しい空気が流れ始める。そうして、何の結論も出ないまま、時間だけが過ぎていった。