第45話 毒(1) Poison

文字数 2,243文字

 GRCの全団員は、とるものもとりあえず去っていった。蜘蛛の子を散らすとは、まさにこのことだ。リーダーが優秀なほど、崩れた時の集団は脆くなる。
 これでGRCともお別れだ。ニーチェは古城の陰から、彼らが見えなくなるまで、青春の終わりを眺めていた。
 尖塔の螺旋階段を、カミーラが降りてくる。奥の通路からは、ジョンが姿を現す。
「やったな」ジョンが、ニーチェに話しかける。
「ああ。計画通り。あとは、カミーラの毒を治療するだけだ」ニーチェは振り返り、カミーラを見た。痩せ我慢をしているが、相当、辛そうだ。
「現状の経過は、どんな感じなの?」ニーチェは、ジョンに聞いた。
「百日で死ぬ毒だという話が正しければ、カミーラはあと、十九日で死んでしまう。病状は、徐々に悪化しているはずだ」
 ニーチェは、心配な顔でカミーラを見つめた。小さな微笑が返ってくる。
 ニーチェは早速、ラヴァーターの懐から手に入れたFDC『観相学断片』を使用した。表情から、カミーラが明らかに弱っていることが確定する。通常時の半分以下しか体を操れない。普通に立っていることでさえ、気丈がゆえに過ぎないようだ。
 ニーチェは、カミーラを、一階にある大きな寝室で寝かせた。
 次に、二メートル近いステンドグラスを、ジョンと一緒に、 GRCのテントに運んだ。このステンドグラスは、FHE『イコン』というワープ装置だ。決められた場所に、ダイバーダウンすることができる。
 ニーチェたちは、この『イコン』を使用して、持ってきた荷物や、GRCが残した荷物を移動させた。ダイバーダウンした先には、普段はジョンが使用している、秘密の錬金術研究所があった。この研究所は、『イコン』以外からの出入りができない。
 ニーチェは、研究所を見回した。GRCの研究所でさえ見たことがない道具がある。最新の設備だ。
 ニーチェは、ここを、自分用の研究室へと改造した。早急に開発しなくてはならないのは、カミーラの解毒方法だ。ステンドグラスの『イコン』は、塔の頂上にある部屋へと戻し、ニーチェは、ジョンと二人で、すぐに研究に取り掛かった。
 気が弱く、小さい老人のようなジョンだが、研究に集中している時は、凄いオーラが発せられる。おそらく、様々なFを開発してきたのだろう。だが、惜しいことに、すでに歳をとっていた。集中力が短い。また、手の震えだけはどうしても収まらないようだ。ニーチェは、ジョンの手伝いをしながらも、懸命に、新しい技術の開発に取り組んだ。
 この日々は、ニーチェにとって、人生で一番楽しい時間だった。自分以上のレベルの錬金術師と切磋琢磨し、夜はカミーラと三人で、チーズケーキを食べながら紅茶を飲む。
 カミーラがニーチェの膝を枕にして寝てしまった夜、ニーチェはジョンと、たわいない話をした。
「カミーラは、いつもチーズケーキを嬉しそうに食べる。そんなに好きなのかな?」
 ジョンは、女心が分かっていないなという顔をした。
「ニーチェ。彼女がチーズケーキを好きな理由は、お前だぞ」
「えっ?」
「前に彼女が言ってたぞ。チーズケーキは、お前が初めて彼女のために買ってくれたプレゼントだって」
 あっ……。なんだ。この、感情は。ニーチェは、胸が熱くなった。カミーラ……。カミーラは、膝で眠っている。横顔を見るが、どうしていいのか分からない。ニーチェは、自分の全ての勇気を残らず搾り出し、カミーラの頬に、無造作に手を置いた。

 こうして、実験と幸せに漬けられた三日間が過ぎた。熱心に研究し続けた結果、ニーチェには、絶望的な結論が突きつけられてしまった。カミーラに毒を射った錬金術師は、ワーグナーでも、トリスタンとイゾルデでも、ルーでも、レーでも、ラヴァーターでもなかったのだ。これでは、カミーラの解毒は成功しない。
 解毒できる特別な血は、一体、誰のものなのか。ニーチェは、考えたくなかったことを考えざるを得なかった。すなわち、ワニのおもちゃは、ゲーテの血で作動するということを。
 だが、毒がゲーテの仕業なのだとしたら、カミーラ毒殺計画の首謀者は、ゲーテだということになる。それは信じたくない。
「どうするのだ?」
 ジョンにとっては、ゲーテの存在などどうでもいい。ただ、カミーラを助けたい。ニーチェにも、その気持ちは痛いほど分かる。ここまで来たら、そうせざるを得ないのかもしれない。だが、本当にゲーテなのか? これで違っていたら、ニーチェは、悔やんでも悔やみ切れない。
 ニーチェは、すでに、ジョンのことを全面的に信用している。自分の気持ちを不器用ながらも、余すことなく打ち明けた。ジョンは「分かった」と言って、肩を叩いた。
「だったら、ゲーテを殺さずに血を奪う方法を考えよう」
「ありがとう」持論を肯定された時、ニーチェは、こんなにも自分がゲーテを殺したくなかったのだということを発見して、驚いた。
 ジョンは、こんな提案をした。
「準備をして、一緒に第一研究所に忍び込もう。私なら、ピンポイントでゲーテを見つけることができる。今なら、まだカミーラも動ける。幻術をかけておびきよせたっていい。殺さずに済むように、睡眠ガスで眠らせて攫おう。だが、もし無理だったら……、その時は分かってるな」
「……ああ。ならば、一緒に第一研究所に侵入しよう。」本当は、こんな危険を冒さない方が簡単なミッションになることは分かっている。ニーチェは感謝しながらも、失敗した時には苦渋の決断をしなければいけない、という覚悟をした。
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