第82話 神々の黄昏(4) Götterdämmerung

文字数 1,556文字

 たった五歩。この間に、口には出していないものの、二人は、たくさんの会話をおこなった。初めてGRCにやってきてから、すでに十六年が経過している。二人は、たくさんの友情を育みあってきた。そして今、敵として、剣を持って、目の前に立っている。
 数奇な運命。互いに殺し合う気はある。だが、憎しみはない。あるのはただ、立場と、愛情と、尊敬の気持ちだけだ。
 透明な空間。何もない。ただ、親友のことだけを考える。二人は、ごく自然に、お互いの胸に、剣を突き立てた。
 だが、この空間は、ニーチェが支配している。ニーチェは元々、ここでゲーテを殺すつもりはない。怪我を負わせるだけだ。ゲーテの剣も、『ノートゥング』で自動的に避ける。
 あつっっっっっっっ!!!!!!! その時、背中から、体が弾けたような熱い痛みを感じた。横を見る。五メートルほど右に、ナイフを構えているカトゥーがいる。先ほどとは真反対の場所だ。
 なるほど。ニーチェは理解した。原理は分からない。だが、ニーチェは、背中の弱点にナイフを刺され、体内に電流を流されたようだ。おそらく、これがカトゥーの隠し球だったのだ。
 ニーチェは、スローモーションのように眺めていた。電撃による反応だろう。手が開き、握っていた『ノートゥング』が、ゆっくりと、地面に向かって落ちていく。
 同時に感じた。ゲーテの『ゴールデン・グローリー』が、ニーチェの胸へと刺さってくる感触を。『ノートゥング』を手離しているので、絶対防御は解除されている。
 ズブ。ズブブ。まるで、押しつけられた特大の愛情だ。ニーチェはなぜか、女性の性を想起した。深く、熱く、剣の形を感じる。『ゴールデン・グローリー』は見事に、ニーチェの胸から入り、背中までを刺し貫いていた。
ニーチェは、一瞬で悟った。これは致命傷だ、と。
 ヤマナカ。すまん。舐めすぎていた。カトゥーを排除することはできなかった。だが、今は、友との最後の時に集中したい。許してくれ。ニーチェは一瞬、天を見上げ、再び、抱き締めるようにゲーテを見つめた。
 ゲーテは、『ゴールデン・グローリー』を刺したまま、なおも、ニーチェを押し込んでいく。まるで二人、ダンスでも踊っているようだ。一歩、また一歩と、壁に向かってよろめいていく。
 ああ。この感覚は。何か、新しいものを創造できそうな。ニーチェは、これから英雄として生きるゲーテのために、何か遺品を残したくなった。刺さっている『ゴールデン・グローリー』に、自分の持っている全ての血とオーラを注ぎ込む。ゲーテに対する愛情を注ぎ込む。『ゴールデン・グローリー』の刀身には、薔薇の刃文が、次々と浮き上がっていく。
 ニーチェの背中が、壁の窓にぶつかった。外は断崖絶壁だ。
 だが、命の終わりに間に合った。新しいFDは完成した。狂ったように視線が細かく揺れ動いていたニーチェは、この瞬間、昔の知的なニーチェへと戻っていた。人間としてのニーチェに戻っていた。
 愛を知った瞬間、『ニーベルングの指環』の効果が切れる。『ゴールデン・グローリー』は、さらに深くニーチェを貫く。剣先が、背後の窓ガラスを突き破った。
「さらば。……友よ」ゲーテは、剣を押す手に力を込めた。
 友。君の口からその言葉が聞けた。本望だよ。
 ニーチェは笑顔のまま、窓の外へと落下していった。胸に『ゴールデン・グローリー』を刺したまま。
 意識は朧だ。ニーチェは、深く雪に埋もれた谷底へと吸い込まれていった。塔の上からゲーテは、いつまでもニーチェと目を合わせていた。
 オポポ。白くて深い谷は、ゴウという巨大な音を立てて雪崩を引き起こす。ニーチェの業が飲み込まれていく。思考がなければ、全ては自然だ。雪も死体も、思考が無ければ分けることができない。
 こうして、全ては無となった。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み