第58話 オポポナックス(2) Sweet myrrh

文字数 1,474文字

 部屋の中は、甘い香りに満ちている。なるほど。ゲーテに言われてから意識し出したが、確かに、彼女の体臭は甘い。
 ニーチェは、FD『ドーゼンズ・オブ・チルドレン』を使用して監視を強化した後、ゆっくりと部屋を眺めた。ニーチェの部屋と同じく、GRCから支給されたベッドと机と棚がある。彼女らしいといえば、ピンクのカーテンにレースが入っているところと、香りを噴き出すクーネルト社の木製パイプ咥え人形がある程度か。特におかしなものは置いていない。他に目立つものは、机の端に、ピンクの日記が置いてあるくらいだ。
 どうせ、いつも自分に話しているようなゴシップが書かれているのだろう。ニーチェは、何となく日記を開いてみた。しかし、書いてある内容はゴシップではなかった。同じ結末しか書けない短編小説家のように、どのページも、どのページも、ただひたすらに、ニーチェのことが好きだという文章が綴られていた。
 ゲーテが彼女のことを好きだと知って以降、ニーチェは、彼女のことを意識したことがなかった。だが、彼女がこんなにも自分のことを愛しているのだと知って、初めて、彼女のことを女として考えるようになった。おそらく、ゲーテが他の人を好きだという話を聞いたことも影響しているだろう。
 同じ結末の短編日記を次々とめくっていく。一枚だけ、何も書いていないページがある。おかしい。ニーチェは推理した。前後の関係から、二年前、ニーチェが古城で死亡したという情報が流れた時のようだ。
 なるほど。普通なら、ただ、ニーチェが死んだことが悲しくて、感情的に日記を書けなかったのだと思うところだ。しかし、ニーチェは、何か違和感を感じた。
 オーラを目に凝縮させる。超集中。文字が見える。錬金術師がよく使う、FHF『スパイペン』で書かれた隠し文字だ。こんな一文が書かれている。
『私は、正義と思い、カミーラ殺害計画に加担しました。けれども、今では、罪の意識に苛まれています。誰にも言うことは出来ません。けれども、私と彼らが罰せられ、全ての罪が洗い流されますように』
 その下には、アンドレーエ副団長をはじめとした、カミーラ殺害計画に加担した錬金術師たちの名前が書かれている。その数、二十人以上。
 ニーチェは全員の名前を見て、一安心した。ゲーテの名前はない。やはり、友はこの計画に加担していなかったようだ。だが、やはり、クリスティアーネは加担していたことが確認できてしまった。ニーチェをカミーラから引き離して、自分のものにでもしたかったのだろうか。ニーチェは悲しみと同時に、なぜか、ありがたいとも思っていた。
 ニーチェは、全団員の名前を覚えた後、日記を閉じた。クリスティアーネが加担していた以上、この部屋にはまだ、証拠が残っているかもしれない。部屋の中を探してみる。
 たいして大きくもない2DKだ。少し探ると書棚の裏に、頭くらいの大きさの四角い箱が見つかった。これは怪しい。こわごわと箱を開ける。中身は、ワニの形をしたプラスティックのおもちゃ、だ。ニーチェは、背筋に寒気が走った。これだ。ニーチェレベルの錬金術師ともなれば、オーラを注ぎ込めばすぐに分かる。間違いなくFD。
 だが、ニーチェの持っているどの血液を利用しても、使用はできなかった。そして、同時に分かってしまった。このFDは、クリスティアーネの血を利用すれば、確実に使用できるということを。
 もういい。ニーチェは、おもちゃをそっと箱にしまって元の場所に置き、侵入した痕跡を完全に消した後、うなだれるようにしてクリスティアーネの部屋から出ていった。
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