第1話 友達(1) Friends

文字数 1,111文字

 ドイツのほぼ真ん中、ヘッセン州カッセルの街から車で二時間ほどの森の中。第一研究所は、地上三階、地下三階のぶっきらぼうな建物だ。
 フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェは今夜も研究を終え、三階の自分の部屋に戻った。首にかけている赤いカードをベッドの柱にかけて、実験用の白衣を脱ぐ。体臭はない方だが一日働いたのだ。男臭い匂いが部屋中に蔓延する。
 ニーチェは窓を開け、青く透き通った瞳で外を眺めた。真夏だが、夜風は爽やかだ。肩まで届く金色の天然パーマがふわりと揺れる。研究所を囲う塀の外は、見渡す限りが闇と森に包まれている。
 猫がミャオと鳴いた。
 どんな僻地でも、人がいるところには必ず猫か犬がいるような気がする。森の中では猫を見たことがない。人家も遠い。ということは、団員の誰かが飼っているのだろうか。少しだけ考えてみたものの、ニーチェは他人にあまり関心がなかった。すぐに窓から流れこむ自然に身を委ねる。
 ニーチェは、この窓から見える景色が好きだった。毎朝決まった時間に起き、剣術の練習をし、決まった時間まで研究を続け、一日の終わりに窓の外を眺める。精一杯生きた今日の自分を褒めてやりたくなる。
 開放感。暗闇がどこまでも広がっている。自分が一体となって溶けていく。小さな光。陶酔を続けていたニーチェの視界に、突然、目障りなノイズが飛び込んできた。
ーーん? 飛蚊症? 今日は目を酷使したからかな?
 いや。違う。暗い森の中に光るのは、馬車にぶら下げられたランタンの灯だ。馬車は闇夜を第一研究所へと一直線に向かってくる。こんな時代に馬車に乗ってくるのは錬金術師しかいない。
ーー誰の馬車だろう?
 ニーチェはすぐに閃いた。幼馴染で親友の、ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテに違いない。

 二人は共に、黄金薔薇十字団、ゴールデン・ローゼン・クロイツ、略称GRCに所属している錬金術師である。GRCは、十七世紀から続く、由緒ある錬金術の秘密結社だ。ドイツを中心にして、錬金術師七十名以上。団員二千名以上で構成されている。
 二人は同期で同い年、今年二十二歳になったばかりの錬金術師だ。だが、ニーチェとゲーテの気質は正反対だった。研究ができればそれで良いというニーチェと違い、ゲーテは研究よりも出世に情熱を燃やす、政治家気質だった。
 ヨハン・ゲーテは、ヨハン・ヴァレンティン・アンドレーエ副団長と同じヨハンという名前であることをキッカケに、権力へと近づいた。その後、得意の話術と大きく威厳のある体格が気に入られ、今では幹部候補の一人となっている。
 こんな夜中に第一研究所へと戻ってきたのは、本部でおこなわれていた幹部会議が長引いたからだろう。
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