第69話 蜘蛛の巣 Spider Net

文字数 1,743文字

 二日後の正午、ニーチェは、GRCの本部へと到着した。門の前には衛兵。そして、銀マントにスーツを着た、髭面の無頼漢が立っている。ゲーテだ。待ってくれていたのだろう。
「やあ。友よ」ニーチェは嬉しかった。もうすぐ、彼の心を激しく揺り動かすことができる。興奮が、自分の心をも激しく揺さぶっている。
「おう。元気そうだな」ゲーテは、ガッチリと握手を交わし、ニーチェが馬車から降りるのを手伝った。
 その瞬間、吹っ切れていると思っていたニーチェの心が、人間の心を取り戻す。急に、心が痛み始める。
「世紀の発明をしたんだって?」ゲーテは何も知らない。嬉しそうに聞き返す。
「ああ。この中に入ってるよ」ニーチェは、馬車の荷台を指差した。
「何を作ったんだ?」
 もう、ニーチェの心臓には、毒で作られた黒い薔薇は咲いていない。だが、代わりに、クリスティアーネによって作られた青い薔薇が咲いている。ゲーテの声を聞くたびに、毒とは違う痛みが心に突き刺さる。同じ友であるクリスティアーネの血液が、何かを訴えかけているのだろうか。ニーチェは、必要以上におどけてみせた。
「ダメダメ。それはお披露目の時のお楽しみだ。ただ、きっと、ゲーテは喜ぶと思うよ。なんせ、これは、君が欲しがっていたモノだからね」
「そうか。お前がそう言うだなんて、よほどのものなんだろうな」
 ゲーテの言葉に対して、ニーチェは満面の笑みで返答した。
「ゲーテ。君はこれから、外仕事かい? いつ帰ってくるんだい?」
「第六研究所に行くんだ。スケジュール通りに行けば、一週間後だな」
「そうか。それじゃあ、今から準備して、ゲーテの戻ってくるその日に、お披露目するとしよう。戻る時間が分かったら連絡をくれ」
「分かった。楽しみにしてるよ」
 ゲーテは、一度ニーチェを抱擁し、馬車に乗って、第六研究所へと向かっていった。一週間後に帰ってくる。その日が、作戦決行の日だ。
 さらば、友よ。これが、人間として君と会う最後だった。ニーチェは、ゲーテの馬車が見えなくなるまで、ただじっと、ゲーテの行先を見つめていた。

 GRC本部に入ったニーチェは、すぐに本部に申請を出す。専用の簡易研究室を借りるためだ。ジョンには、黒カードと黒マントを渡してある。身分を示す黒カードは、あらかじめ第一研究所で作成した偽造品だ。第一研究所の一部の人間にはバレてしまうかもしれないが、本部の人間で見抜ける者はいない。入団させる権限は、幹部や所長なら持っている。報告は、月に一回すればいい。つまり、最近入ったと誤魔化すことが簡単にできる。
 ニーチェは、本部の事務係に、「発表にはタイミングが重要だ」という話をした。お披露目は、ゲーテが帰ってくる予定の、今から一週間経った頃に設定した。いつ帰ってくるかの正確な時間は分からない。だが、ゲーテが帰って来た時に、見せたい景色がある。錬金術師の名門、フラテルニタティスの名を受け継いでいるニーチェだ。要望は全て通った。

 それから一週間。ニーチェはその間、今までとは別人のように、社交的な振る舞いを見せた。また、本部に集まった全ての錬金術師たちと、熱い会話を交わしていった。
 錬金術師は、一週間をかけて、全国各地から、続々と集まってくる。まるで、街灯に集まる蝶の群れのようだ。蝶たちは、蜘蛛の巣に自ら飛び込んでいるとは、想像もしていなかった。
 ニーチェの思惑通り、アンドレーエ副団長は、自分の腹心を中心に、GRC本部に、幹部や錬金術師を集めてきた。ニーチェの新しい発明を全員が知るよりも、味方にだけ教える方が、今後の自分の政権を盤石にしやすい。
 それだけではない。ゲーテの腹心たちに、研究所の所長が多いことも一因としてある。所長が長期間留守になることは、各研究所の運営にとって、都合のいいことではない。
 全てが順調だ。人の心を失くしたニーチェは、冷たい表情でほくそ笑んだ。集まってきた彼らが、この後、どうなるのか。未来を知っているのは、ニーチェだけだ。
 ニーチェは、さらに彼らの未来を確定させるため、本部の建物の構造と、データで知った錬金術師たちの能力が正しいかどうかの検証をしていった。笑顔と美貌の裏には、微塵の隙もない。これが、天才ニーチェに狙われるということだ。
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