第13話 陳情(1) Petition

文字数 1,851文字

 話はまとまった。アンドレーエ副団長にお願いするため、二人はGRC本部へと向かう。カミーラが引き取られたのは四時間前だ。急いで行けば、まだ引き渡しの時間に間に合うだろう。
 普段、GRCに所属する錬金術師は、権威を保つため、馬車で移動する。だが、今は急いでいるのだ。二人は軽自動車に乗り込み、八時間ぶっ通しで、メルヘン街道を全速力で、本部へと向かった。

 本部に到着する。車を降り、そのまま、一直線に副団長室の扉を叩く。衛兵が二人立っていたが、ゲーテの威厳と、ニーチェの勢いを止められない。
「誰だ?」部屋の中から、力強い声がする。
「ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテです」
「フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ」
 少し遅れて返事が聞こえる。
「入れ」
 ニーチェは、雑な動きで扉を開けた。中は他と同じように、大きな黒い事務机が置いてあるだけの殺風景な部屋だ。二人の男が話をしている。
 立ったままで、机に拡げられた地図を見ているのが、アンドレーエ副団長だ。幹部を意味する銀色のマント。細身で大柄な体躯。豪胆な顔。おでこはM字型に禿げているが、横髪と髭はライオンのように伸びている。還暦も近いというのに、威厳は全く損なわれていない。
 もう一人は、椅子に浅く腰掛けている三十代の男性だ。姿勢がいい。細長いが、筋肉はついている。金髪でオールバックの7:3分け。綺麗な顔立ち。羽織っているマントは金色だ。マントの色は地位を示す。黒が一般団員。赤が錬金術師。銀が幹部。そして、金は一人しかいない。
「ローゼンクロイツ団長ですか?」ゲーテは、急いで最敬礼をとりなおした。だが、ニーチェの目には、ローゼンクロイツ団長など映ってはいなかった。一直線に、アンドレーエへと向かっていく。
「どうした、ニーチェ。久しぶりだな」
「カミーラの件です」語気が荒い。
「カミーラ……? ああ。吸血鬼のことか? それがどうした」アンドレーエは少し考えた後で、こともなげに言った。本当に忘れていたようだ。
「どうした?」ニーチェは肩を震わせた。
「僕は彼女と約束したのです。大人しく古城を明け渡してくれるなら、代わりに住む場所を提供しましょうと。それはゲーテにも話し、本部からも了承を得たはずです。これではまるで、僕が彼女を騙したようなものではないですか!」
「それは違うぞ」
 アンドレーエは、落ち着き払って続けた。
「お前があいつを騙したのではない。私がお前を騙した。ただそれだけだ。お前は善良だ。責任は私にある。気に負うことはない」
 ニーチェは絶句した。言葉の意味は分かるが、何を言っているかが分からない。アンドレーエは、ゲーテを見た。
「ちょうどいい。ゲーテ。カミーラの件だ。これから本部では、あいつをバルサーモ様に引き渡す準備をする。これ以降の準備は、全て、お前に一任する」
「はっ、はいっ!」ゲーテは、ニーチェを横目で見ながら返事をした。
「し、正気ですか?」ニーチェは、怒りで声が震えた。カミーラを渡すこともおかしい。陳情してきた団員の友達を使って処罰を下そう、という命令もおかしい。ニーチェは、自分の襟元についている団員バッヂを、血が出るほど強く握りしめていた。
「お前こそ正気なのか? サヴォイ家に逆らい、団員を傷つけた吸血鬼だ。匿おうとするお前こそ、逆に、頭がイカれているとしか思えない」アンドレーエが、冷めた目でニーチェを睨む。
 垂れた目の奥に光る残虐で冷酷な瞳。肌には潤いがなく、シワシワになったすべての細胞が、無慈悲なオーラを醸し出している。胸がムカムカする。この気持ちはなんなんだ。もう……。お互い視線を外さないまま、しばらくの間、沈黙は続いた。
「……そうですか。分かりました」ニーチェは、自分のバッヂを引きちぎり、荒々しく副団長の机に叩き置いた。バンッ!!
「今までお世話になりました。僕はもう、一分たりとも、こんなところに在籍したくはありません」ニーチェは、踵を返した。
 もう知らない。ニーチェは、なんでも断ち切る名剣、『ゴールデン・グローリー』を背中に隠し持っている。このままカミーラのいる牢屋へと向かい、彼女を、力づくででも救出しよう。そして、口座が凍結される前に資金を引き出し、そのまま、どこかへ逐電しよう。それが、命を賭けると言った彼女との、約束の対価だ。
「待て」
 その時、瑞々しい声が、部屋の空気を切り裂いた。ここまで静観をきめこんでいた、ローゼンクロイツ団長だ。ニーチェは、何故か逆らえず、扉に手をかけたまま、立ち止まった。
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