第78話 ラインの黄金 Das Rheingold

文字数 1,569文字

 二台の馬車を道なりに走らせる。しばらくすると、三叉路に当たる。リアルカディアへとダイバーダウンできる一番近い『イコン』は、フランクフルトにある。フランクフルトはGRC本部の南だ。
 ジョンは馬車を、右の道へと運転した。運搬している『イコン』を、フランクフルト経由でリアルカディアへ持っていく。そうすれば、もう誰も、リアルから古城地下の研究室へ入ることができなくなる。
 だが、ニーチェは、そのまま左に北上する。北には古城がある。臆病者のジョンは、このままニーチェと共に、フランクフルトへと逃げる予定だった。先ほどGRCに向けた宣戦布告は、ただ、敵の追跡を欺くための詭弁だと思っていた。だが、ニーチェは本気だった。たった一人で、GRCの全団員と、そして、KOKと戦う気なのだ。
 ジョンは迷った。戦う理由が何もない。引き留めるべきかどうか。手綱を持つ腕が緩む。
 その時、ニーチェの馬車から、高い声の鼻歌が聞こえてきた。『十三日目のクリスマス』だ。歌声に聴こえる男の覚悟。ジョンは、ニーチェを引き止めることができないと理解した。歯を噛み締める。
「また、後で会いましょうぞ」ジョンは、なるべく明るい声でニーチェを見送った。ニーチェの幸運を祈り、再び、手綱を握りしめた。

 ニーチェは、無事に古城へと到着した。一日も経たないうちに、五百メートルほど離れた周りには、徐々に人が集まってくる。皆、テントを立て、忙しなく陣形を整えている。GRCが、ニーチェとの戦争の準備を始めているのだ。
 最初は二十人ほど。だが、三日目には、百人を超える規模のGRC団員たちが集合してきた。ニーチェは、FDD『ドーゼンズ・オブ・チルドレン』で、GRCの様子を監視しながら、尖塔の頂上にある部屋でホットワインを飲んだり、クラシック音楽のレコードを聞いたりして、余生を楽しんだ。
 終了期限の近づいている人生。もはや、研究をする意味もない。それでもニーチェは、自分がつくづく、錬金術が好きなのだと感じていた。
 本部で手に入れたFを順番に並べ、何度も、何度も、順番に掃除していく。FDには、人間の生き方が詰まっている。ニーチェの体に刺青のように咲いている薔薇の園。これは、人生が咲いているのだ。
 たくさんの人生と共に、この生を終える。代わりに、友が幸せになる。
 悪い人生ではなかった。ニーチェは、椅子に揺られながら、これまでの人生を思い返した。
 捨てられていた自分。気づいた時には、孤児院に入れられていた。九歳でGRCへと入団。同期のゲーテとクリスティアーネが、一生の友になってくれた。いらない存在として捨てられた自分が、二人の大事な友を得た。そして、カミーラとジョンと出会い、ヤマナカに助けてもらった。たくさんの人間にお世話になった生前だ。
 クリスティアーネに対しては、申し訳ないことをした。だが、他の大事な人たちは、自分の死によって幸福を得られるだろう。
 ゲーテは、私の死を悲しむかもしれない。だが、望んでいた通りに出世できるはずだ。カミーラとジョンも、迫害されないリアルカディアへと移住することができた。クリスティアーネには、死んだ後の世界で謝ることにしよう。後は、ヤマナカに対しての恩返しだけだ。死ぬ前に、なんとしてもカトゥーを道連れにしなければならない。それで、自分の一生は悔いなく終わることができる。

 四日目の朝、ようやく、ニーチェの待ち望んでいた巨大キャンピングカーが到着した。尖塔の窓から、その車を眺める。
 昔は、自室の窓から、闇に覆われた黒い森を眺めていた。だが、今は、尖塔の窓から、雪で覆われた白い森を眺めている。人生とは不思議なものだ。心は、白から黒へと変わったというのに。
「オポ、オポ、オーッポッポッポッポ」
 最終決戦を前に、ニーチェは笑いが止まらなかった。
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