第68話 出発 Departure

文字数 1,391文字

 『イコン』の回収作業のため、ニーチェは、ジョンと共に、ダイバーダウンで、第一研究所の自室へと戻った。
 FDB『エリクシール・ポワゾン』で幻覚を作り、ジョンに黒マントを羽織らせ、地下一階にあるニーチェの専用実験室に連れていく。ジョンとクリスティアーネは同じくらいの身長だ。監視カメラに顔を映さなければ、クリスティアーネだと言っても分からない。ジョンは、ニーチェが死ぬ覚悟を持っていると知らない。嬉々として、ニーチェの使用している重要な実験道具を梱包していく。
 その間に、ニーチェは、本部に電報を送った。
『私、ニーチェは、先日、世紀の大発明をいたしました。三日後の正午、本部へと向かいます。幹部の皆様、ぜひ、お集まりの上、御照覧くださいませ。これは、歴史を変える発明です。
             第一研究所所長 ニーチェ・フラテルニタティス』
 ニーチェがこのような電報を本部に送ったことは、今までにない。天才との呼び名が高いニーチェが、満を持して連絡してきた世紀の大発明。もし今回、見ることができなければ、又聞きでしか情報を得られない。錬金術は、動画や文字で残しておくことが禁じられているからだ。
 この機会を逃せば、錬金術のレベルが、大発明を見た人より低くなる。低くなれば、出世競争に絡むことはできない。GRCの高名な錬金術師や幹部たちは、全員が集まるだろう。
 次にニーチェは、ヨハン・ベルンハルト・バゼドウAPEを、執務室へと呼んだ。バゼドウは、ゲーテ子飼いの錬金術師だ。年齢は四十代で、おおらかな体格をしている。だが、体格や表情とは違い、しっかりとした人間だ。錬金術師ではなく、政治家、教育者として優れている。現在は幹部候補生。第一研究所では、クリスティアーネの次に頼りになる存在だ。
「バゼドウ。私とクリスティアーネは、さる人から特殊任務をいただいた。これから、しばらくの間、研究所を留守にする。次の本部への報告までには帰る予定だ。それまでは、この第一研究所の運営、よろしく頼む」
「分かりました」バゼドウは、艶やかになったニーチェの変わりように驚いていた。けれども、いつも通り、忠実に指示に従った。ニーチェは、バゼドウの耳元で囁いた。
「私たちの任務が終われば、ここは、君のものになる。任務の成功を祈っていてくれたまえ」
「はっ。ははっ!!」バゼドウは、夢から覚めたような表情でかしこまった。

 次の日、自分にFDB『エリクシール・ポワゾン』を振りかけ、誰も見ていない深夜に、ジョンと二人で、移動の準備をする。馬車を二台用意し、片方にはクリスティアーネが入った棺を、もう片方には、梱包したステンドグラス型の『イコン』を運び込んだ。研究道具は、すでに『イコン』で古城の地下秘密研究所に運んである。もう、第一研究所には、残っている大事な荷物はない。
 『エリクシール・ポワゾン』の効果で、見送りに来ていたバゼドウや、二人の門番も、ジョンのことを、完全にクリスティアーネだと勘違いしている。
 それぞれが手綱を操る二台の馬車は、第一研究所の門を出て、闇夜の森の中を、カンテラで照らしながら、ゆっくりと進んでいった。
 もう、元には戻れない。青春時代の自分とクリスティアーネが、三階の自分の部屋から、目で追っているように感じる。黒い森を進む二台の馬車の灯を。紅茶を飲み、クワルクトルテを食べながら。
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