第35話 逃走(3) Escape

文字数 1,229文字

「……なるほど」早回しで繰り返し見た後、ニーチェは、ゲーテに言った。
「カミーラは、もう、部屋にはいないんじゃないかな?」
「なぜ、そう思うんだ?」ゲーテが尋ねる。
 ニーチェは、映像を巻き戻して止め、スロー再生にしながら、画面を指さした。
「見てくれ。これは、研究職員が扉を開けた後だ。ほら。この扉の動き方。不自然だろ? 彼女は、アルカディアンだ。詳細なことは分からないけど、透明化する能力も、持っているかもしれない」
「アルカディアンは、想像から生まれる生物だ。女吸血鬼に、そんな能力があるのか?」ゲーテは訝しんだ。
 正直なところ、カミーラが逃げ切れたかどうかは分からない。だが、逃げきれていない場合にも備えるべきだ。ゲーテの質問に答えるふりをして、ミスリードをしなければならない。
 そうでなければ、ゲーテは頭がいい。カミーラが逃げていない場合、捕まってしまう可能性もある。捕まれば、買ってきたワンピースと口紅が、FDであることが分かってしまう。ニーチェ自身も、カミーラの逃走幇助を疑われるだろう。
 映像から目を離さないまま、ニーチェは姿勢を正した。
「ゲーテ。まずは、吸血鬼の基本的な特徴について、おさらいしよう。吸血鬼は、血を吸う。空を飛ぶ。蝙蝠になる。陽の光を浴びると灰になる。心臓を杭で打つと死ぬ。銀製品と十字架に弱い。こんなところか?」ニーチェは、なおも続けた。
「けれども、カミーラは、空を飛ばない。蝙蝠にもならない。陽の光も、銀製品も、十字架も弱点ではない。おかしいとは思わないか?」ニーチェは、自分で創作した話に夢中になっていった。
「僕は、仮説を持っている。たくさんの人の想像から生まれるアルカディアンと、個人の創造から生まれるアルカディアン。アルカディアンには二種類存在する、という仮説だ。彼女は、きっと、後者なんだろう。だからこそ、ステレオタイプの吸血鬼には当てはまらない。ひとつひとつ、研究して、分析しなければ、能力は分からない。分からないうちに拷問をすることは、愚の骨頂だ。隠した能力で、逃走するに決まってる」
 ニーチェは、自分に黙って実験をおこなったことを、小さくゲーテに批判した。もちろん、頭のいいゲーテは気づいたようだ。大きな肩を落として、しょぼくれる。こういう時は、言葉ではない。ニーチェは、ゲーテの腕を、軽く叩いた。
「まぁ。知らなかったことは仕方ないね。僕が手伝う。必ずや、カミーラを見つけよう。君の信頼回復のためにも、ね」
 カミーラを逃したことが本部に知られれば、ゲーテの出世は遅れてしまうだろう。話し合いの末、このことは、ごく、限られた団員以外には秘密にしておくことにした。
 執務室に呼んだ戦闘型錬金術師の三人には、嘘の偵察をお願いし、一時間ほど巡回してもらって、解散させた。今夜も、いつものような静寂を取り戻した。それぞれの頭の中には思惑が渦巻いているものの、夜は、物理的には変わっていない。今夜もやはり、いつも通りの夜だった。
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