第53話 平穏 Restful

文字数 1,718文字

 その後、ニーチェは、KOKの下部組織である『ダビデの星』によって、第一研究所まで送り届けられた。ニーチェが部屋で倒れていたのは、カミーラによって閉じ込められていたからだ。そういう調査報告が、KOKからGRCに届いていた。
 さらに、吸血鬼に拐われたトラウマにたいする療法として、ニーチェの部屋の窓は、例の『イコン』、スタンドグラスへと変えられていた。これらは全て、錬金医師であるアンリーの診断結果に基づくものだった。
 監禁されていたので、心身ともに疲れ果てている演技をとっていたニーチェだ。だが、演技とは裏腹に、心には希望がある。頭の中は、研究に対する情熱で煮えたぎっていた。カミーラの毒を解除したい。まだ三年はあるが、少しでも早く、研究を完成させたい。
 ニーチェは、カミーラのことを抱きしめていた時、出来るだけ多くの血を得ようと、カミーラにも『ダスティネイル』を挿していた。人間たちと違って、アルカディアンは不死身だ。血を採っても死ぬことはない。そのため、ニーチェの体内には、多量のカミーラの血液が内蔵されている。
 だが、カミーラの血液でできた薔薇の刺青は、赤ではなく、ドス黒かった。しかも、場所は心臓だ。常に、鈍い痛みを感じる。ニーチェは、この痛みのおかげで、自分が瞬時でも、カミーラを忘れないでいられることが嬉しかった。
 第一研究所に帰って以降、クリスティアーネは、さらに激しくニーチェの部屋へとやってくるようになった。ニーチェが死んだと聞かされていたからだろう。以前までの軽い感じではない。やや、気持ちが重い。絶対にもう、危険なことはやめてくれという感情が、ヒシヒシと伝わってくる。まるで、愛情の監視人だ。
 逆にゲーテは、以前と比べて、一気にニーチェの部屋へ来ることがなくなった。最初は、自分がカミーラと共謀していることを疑っているのかと思った。だが、それは、ただの勘ぐりだった。
 ゲーテは、今回も頭が良かった。カミーラ事件を、自分の失敗として終わらせなかった。言葉と文章と根回しにより、まず、団員たちが殺されたことを、アンドレーエ副団長の仕業にすることができた。さらに、カミーラを退治したことを、自分の手柄とすることができた。その結果、幹部会議により、研究所統括所長へと昇格した。
 おかげで今では、第一研究所だけではなく、十一ある研究所の全てを見て回らなければならないようになった。新しい役職が忙しく過ぎて、ニーチェの部屋へと来る余裕がなくなったのだ。
 それに、もう一つ。ゲーテは、ニーチェを、第一研究所所長へと推薦もしていた。友達のニーチェを所長に据えることで、自分の権力を伸ばす狙いだろう。ニーチェは研究者肌なので、政治や運営に疎い。それでも、ゲーテの子飼いの部下たちが実務は担当してくれるという契約で、ニーチェは言われた通り、第一研究所所長へと就任した。
 ゲーテには、色々と迷惑をかけた。そして、この研究が完成すれば、また迷惑をかけることになる。それまでは、なるべくゲーテの役に立ちたかったのだ。
 ニーチェは、就任式に参加し、体調の回復を報告した後で、第一研究所へと戻った。運営と実務は、クリスティアーネとヨハン・ベルンハルト・バゼドウAPEがおこなってくれる。パゼドウは、ゲーテ子飼いの錬金術師で、やはり研究よりも政治力に優れた男だった。ニーチェは、何も気にせず、前以上に集中して、研究に力を注具ことができた。
 ただ、体調はそこまで悪くないが、なぜか、外見は疲弊していく。ニーチェは、まだ、二十代前半だ。年齢が問題ではないだろう。目はくぼみ、皮膚はカサカサに荒れていく。もしかしたら、カミーラの血を取り入れたことで、人間には効かない毒の効果が、自分にうつっているのかもしれない。それでも、研究に全精力を集中できるようにと、友達のクリスティアーネが懸命に実務と、体調が悪い時には、看護すらしてくれた。
 こんな自分に気を遣ってくれたとて、一体、何の得になるかは分からない。だが、それが友達というものだろう。ニーチェは、いつか彼女にも恩返しをしたいなという気持ちを持ちながら、なるべく彼女を傷つけないようにして研究を続けた。
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