第55話 犯人(1) Culprit

文字数 1,140文字

 初冬のある日、ゲーテが、半年ぶりに、第一研究所へとやって来た。ニーチェは研究に明け暮れていたが、その情報は、いつものように、クリスティアーネが教えてくれた。二日後の夜、クリスティアーネから伝言を渡されて、ニーチェは、ゲーテの泊まっている、幹部用の貴賓室に向かった。
 コンコン。ノックをする。ニーチェには、研究以外の体力が残されていない。声を出すことも億劫である。だが、友だちなのだ。多少の無礼ならいつだって許される。ニーチェは声もかけずに、そのまま貴賓室の扉を開けた。
 ゲーテは無礼に対して怒ろうという顔をしたが、ニーチェだと分かった途端、ほころんだ髭面の笑顔で出迎えてくれた。
「おう。来たか」普段は威厳をもって生活しているが、友だちの前ではそんなものだ。ゲーテは、洗面所でうがいを終え、顔を拭きながらソファーに腰掛けた。ニーチェも、対面しているソファーに腰を下ろす。
「呼んだ理由は分かるか?」
 問いかけに、ニーチェは首をすくめた。
「相変わらずだな」ゲーテは笑う。
「今回呼んだのは、お前が第一研究所の所長だからだ。副団長補佐兼、研究所統括所長として、この研究所の研究成果を知りたいのでな」
「僕は知らないよ」ニーチェは軽く微笑んだ。
「知ってる。それでいい。クリスを先に呼んで、仕事に関する情報の引き継ぎはすでに済ませておいた。つまり、今の俺の立場は、こうでもしないと、お前と会うだけの時間がない、という訳さ」ゲーテは大声で笑った。
 さすが友だちだな。ニーチェも釣られて、軽く笑った。あまり大きく笑うと、心臓に咲いた黒薔薇の棘が刺さる。
 二人は久しぶりに酒を飲み交わし、何の屈託もなく、錬金術の研究についてなどの四方山話を語り合った。ゲーテは、元気のないニーチェを心配しているようだ。不意に立ち上がり、近づいてきて、ニーチェを覗き込む。
「ん? 元気ないな。まだカミーラのことが忘れられないのか? もう、あいつは死んだんだ。気持ちは分かるが、いい加減忘れろ。クリスとでも付き合ったらどうだ? あいつは良い女だぞ」
「ははは」ニーチェは、ゲーテがクリスティアーネを好きなことを知っている。友よ。そんなに無理をしなくてもいい。ニーチェは、力無く笑った。
「そういえばニーチェ。お前、なんか、香水でもつけてるのか?」
「いや?」体臭ならわかるが、香水はつけていない。ニーチェは、自分の体の匂いを嗅ぎながら否定した。
「そうか。なんか、甘い匂いがするんだよな。この匂いは確か、あの……、古城の最上階の部屋で」ここまで言って、慌ててゲーテは首を振った。
「いや違う違う。関係ない。最近どこかで……」早口で否定した後、しばらく考え、顔を上げると同時に、膝を叩く。
「ああ。そうだ。クリスの匂いと似ているんだ」
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