第32話 相談(2) Consultation

文字数 1,136文字

「おい。ニーチェ」ゲーテだ。珍しい。いつもなら、友達らしく、ズカズカと入ってくる。だが、このゲーテは、ニーチェの返事を待っている。
 部屋が暗いので、寝ているとでも思っているのだろうか。ならば、好都合だ。このままゆっくりと、思考の森に溺れたい。だが、「ポー」という音を立てて、紅茶のポットが飲みどきを知らせてくれた。この音。ゲーテにも聞こえただろう。ポットに罪はない。ただ、沸騰したことを知らせてくれただけだ。ニーチェはポットの火を消し、電気をつけ、のろのろと扉を開けた。
「どうしたんだ? こんなに遅く」遅れて開けたことを後ろめたい。ニーチェは、わざと寝起きのように、不機嫌な顔をした。だが、ゲーテは気にする様子がない。
「知らないのか?」相変わらず、すごい熱量だ。
「目的語を言えよ。知らないって、何をだ?」
「カーミラが、脱走した」
 感情を、表に、出すな。
 ニーチェは、逃げてくれたことが嬉しかった。同時に、捕まらないか、心配でもあった。外は寒そうだ。ジョンと連携が取れたか、不安でもあった。が、表情を崩してはいけない。声も、うわずってはならない。
 よし。ニーチェは、思い通りの声質で話すことができた。
「……へー。よく、脱出できたな」下を向いて、ただ、自分の爪を擦りながら、ポットの前に行く。
「何を冷静にしているんだ? 君は、カミーラの研究主任だろ?」
「そうだよ」ニーチェは、ポットからお湯を注ぎ、紅茶の入ったティーカップを回した。紅茶を淹れるときは、沸騰したお湯を使う。飲む時は、六十度程度で飲む。いつものルーティーンを取りながら、ニーチェは、体内に、落ち着きを根付かせていった。
 もちろん、友だちのことは信じたい。だが、事実を知れば知るほど、ゲーテがカミーラ研究に関わっているとしか思えない。今からゲーテに伝える言葉は、言いづらいセリフだ。だが、確認しなければならない言葉でもある。
「確かに、僕は、カミーラの研究主任だ。だが、君たちは、僕の目を盗んで、知らない実験を繰り返していただろ? だから、僕は何も知らない」
「知らない実験? なんのことだ?」ゲーテは眉を顰めた。
 本当に知らないのか? ニーチェは友を信じたかった。だが、冷静に考えると、実際、研究所の所長であるゲーテが知らないはずがない。所長の知らないところで定期的に実験をおこなえるはずがない。
 素直に言ってくれれば追求せずともすむのに……。胸が痛い。一口、紅茶を飲む。やけに苦い。ニーチェは、ため息をついた。
「ふー。まだ、しらばっくれるのかい? 君は、僕が、本当に気づいていないとでも思っているのか?」
 ニーチェは、外していた赤いカードを首にかけ、ゲーテを押しのけ、部屋の外へ出た。ゆっくりと、廊下を歩いていく。
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