第100話 真雪の雪だるまひゅん!

文字数 1,939文字

「よし、始めよう」

 真雪は大きな雪だるまの着ぐるみの中で、誰にも聞こえないような声で言った。
 教室内は元の喫茶店の雰囲気が戻り、お客さんも少しずつ増えてきた。

 無理にできないことをしなくていいんだ。
 今の私にできるオンエアをしよう。

 真雪は一度だけ大きく深呼吸をした。
 それから、両手を広げて客席にいる人たちに向かって手を振った。

「みんなー、今日はこの喫茶店に来てくれてありがとうひゅん。雪だるまはとっても嬉しいひゅん」

 真雪は廊下まで聞こえるような元気な声で言った。
 一瞬で真雪の雪だるまのほうに注目が集まってくる。

「いろいろあったけど、今からみんなと楽しい時間を過ごしていきたいひゅん! 僕の名前は雪だるま。寒い寒い国からやってきた、雪の妖精ひゅん!」

 一つの迷いもない、堂々とした姿。
 普段のおどおどした真雪と比べると、まるで別人のような印象だった。

「僕はここに来るまで、たくさんの人と会ってきたんだひゅん! 何度もくじけそうになったけど、みんなのおかげで来ることができたのひゅん。とっても感謝してるひゅん!」

 真雪はオンエア席を離れて、客席の方へ歩いて行った。
 ちょうど教室の前で雪だるまを見ていた親子に手を振って、じっと真雪の方を見ていた女の子に手を差し出す。

「僕と握手してほしいんだひゅん」
「うん! ねえパパ、この雪だるまさんがいるところに入ろう?」

 女の子はぱっと明るい表情になり、両手で雪だるまと握手した。

「おっ、やっと気に入った場所を見つけたな。じゃあ、そうするか」

 父親は子供を連れて教室に入ってきた。
 子供は父親と手をつないで、嬉しそうにぴょんぴょん跳ねている。

 父親はすれ違いざま、真雪に向かって言った。

「ありがとうございます。せっかく文化祭に来たのはいいんですけど、今まで娘があまり楽しそうじゃなかったから。でもあなたのおかげで、初めて笑顔になってくれました」
「はい。素敵な時間を過ごしてください!」

 なんだかあんな風に言ってもらえるとすごく嬉しいな。
 もっと多くの人に、楽しんでもらいたい!

 真雪の気持ちが高ぶってきた。
 いつも以上にやる気も出て、わくわくした気持ちになる。

「それじゃあ、早速始めていきますひゅん! 僕のふるさとの冬は真っ白な雪で覆われるひゅん。とっても寒い寒い中で、狐さんたちが歩いているのがよく見えるひゅん。狐さんたちが僕の前を通りかかったときに、ちょうど面白い話をしていたひゅん。僕は耳を澄ませてその話を聞いたひゅん」

 真雪の雪だるまは、手を動かして気持ちを表現しながら丁寧に話をした。

「『遠くの国で文化祭というお祭りをやっているらしいよ。いろんな出し物があって、とっても楽しい時間が過ごせるみたいだよ』って言ってたひゅん。僕は狐さんから詳しい話を聞いて、お友だちの雪だるま数人と一緒に、文化祭に行ってみることにしたひゅん」

 雪だるまは歩きながら移動してきたことを表現する。
 トークというよりも、お芝居の舞台を見ているような感じだった。

「あれ、面白そうじゃん」
「ちょっと見てみる?」

 真雪が話を進めるにつれて、廊下がにぎやかになってきた。
 少しずつ教室にも人が集まってくる。

 その様子を、文香とゴブは裏の方でじっと見ていた。

「真雪、すごくハキハキと話してる。最初の方のオンエアとは全然違う」
「真雪さんも成長してるんでしょうね。それよりも、私にはあの振る舞い方のほうが気になるわ」
「? どういうこと?」
「成長しているというのは、以前と比べて話し方が上手になったところなのよ。これは経験や学習によって上達してくるわ。でも、今の真雪さんはそれだけじゃない。まるで別人のように、演技をしながらうまく話をしている」
「それは確かに言えるかも。普段の真雪を見ても、そんなことができる子には見えない」

 真雪は授業で先生に当てられておどおどしたり、近くにいてもまったく気がつかなかったり。
 どちらかというとクラスでもあまり目立たない地味なほうだ。
 このように人前で演技ができるタイプではなかった。

「雪だるまの着ぐるみという本人とは違う匿名性が、真雪さんを大胆にさせてるのかもしれないわね。それに彼女は今、おそらくゾーンに入ってるわ。かなり集中してるから、周りの声があまり聞こえてないはずよ」
「ゾーン?」
「集中力がいつも以上に高まって、驚くほどの力が発揮できることよ。スポーツとかでよく使われる言葉じゃないかしら」

 粉雪が舞うような、控えめだけどはっきりとした存在感がある雪だるまの動き。
 真雪の演技は、見ている人を引きつけるものがあった。
 
「知らなかった……。真雪って、こんなすごいことができる子なんだ」

 文香の口から自然とそんな言葉が出ていた。
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登場人物紹介

真雪(まゆき)


主人公。

ちょっと人見知りする高校一年生。

明夏(めいか)


真雪の親友。

活発でレトロゲームが好き。

日菜(ひな)


真雪のクラスメイト。

ちょっと変な性格で語尾が変。特技は自己流の落語。

樹々(じゅじゅ)


オンエア部の部長。

いつも冷静でクールな先輩。

メロン先輩


真雪に親切にしてくれる謎が多い先輩。

自由気ままな人。

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