8. 状況

文字数 2,014文字

イリヤからの報告は驚くべきものだった。

南極に突如、未知の山脈が存在していることが確認されたからだ。
またタクラマカン砂漠の地下に構造物が埋もれていることが分かった。
両方ともこれまでまったく探知されたことはない。
熱源反応からアクティベイトは確実とのことだった。

これはありえない話だった…。

このメタトロンは地球の遥か上空1,000キロ、エーテル圏に配された哨戒コルベットである。
地上の状況すべて、また全天の変化を、常時監視し記録を行なっている。
スキャニングのためのアイカメラは、その数三十六万五千機を擁する。
それらをもって探査しえない物など絶対に、永遠にありえない。

過去ログを確認すべく緊急アクセスを行った。
だがモニターには『Babel』(混乱)のサインが画面一杯に繰り返される始末だった。
過去データへのアクセスができなくなっていた。

「いったいどういうことだ?」

 『私にもわからないわ。でも、ありえないことが起こっているのは確か。
  メタトロンに異常なんか起きるハズがないもの…』

「あれらは一体なんなのだ?」「なぜ閲覧が不能(Babel)となる?」

 『あれらがなんであるかは分かっているの…。エノク…驚かないで聞いてね。』

 『現在メタトロンは南極のあの山脈は《Mount Madness》と、
  そしてタクラマカンの構造物は《Kadath》と認識しているわ。』

「ばかなことを言うな!」「それらは空想上の産物ではないか。」

そう、それらの名称はアメリカのとある幻想小説作家のお伽話にて語られた地名だった。
あの作家のインスピレーションの源泉が深淵からの波動に基づくものであったことは間違い
ない。彼自身としては気づかなかっただろうが共振してしまったのだ。

彼の創作物の殆どは【地獄】を、その現存を、夢幻の語彙にて翻訳したものに過ぎない。
創作の間、彼は、さぞやただならぬ超常の陶酔感を味わっていたことだろう。
呪われた作家と呼ばれるのもこれが理由による。
哀れにも、彼は、加護に恵まれていなかった…。

 『そう..よりにもよってだと思う。』
 『でも現時点においてはアレらは現実に存在しているのよ。』
 『もし、その状況が、「本体」の写し身となれば、とんでもないこととなるわね』。

封印を跨いで現世に転写されている…。
本質は本物と寸分違えずに解放されている…。

 『それと..あのモニター表示は、情報の多重化が原因。
  正確には過去の記録が複数同時に存在しているのよ。
  あまつさえ混線している岐路さえある…』

 『今現在へと至る道筋、そのどれもが{valid}のステイタスを主張できる
  ので処理ができない。過去が複数あるだなんてありえない話よ』。

 『過去が上書きされた…。
  でも「Babelの連呼」は、メタトロンだからこその非常事態宣言とも取れるわ。
  もしかしたら過去はすべて変えられちゃって、今の〈現存〉こそが唯一の筋道として
  承認されていたかもしれない。そうなれば私だって…。
  あなた独りが取り残さていたかもよ…』。

「イリヤ、僕は地上に降りてみるよ。」

ことはあまりに想定を超えた事態である。
あり得ないシステム異常でさえ起こっている。
直に状況の確認が必要と思われた。

 『ダメ。エノク…。
  現在、地球への干渉は、【天上の者は一切禁ずる】との発令が出されている。』

緊張の面持ちでイリヤは僕を制した。

そして続けて…、

 『すべては、人の子ら(人類)の活動範囲内での出来事であるとの結論だそうよ。』

「そんなわけない。作用はここにまで及んでいるではないか!」

「今の事態が人類によるものだけのわけがない。」

 『主よりの絶対命令よ』。

イリヤはただ冷徹な面持ちでその言葉を口にした。



空間は突如、完全な沈黙の檻となった。

メタトロンのモニターは、ただ連綿と、延々と、あののサインを繰り返し続けるのみ。


Babel・Babel・Babel・Babel ・Babel・Babel・Babel・Babel ・Babel・Babel ・
Babel・Babel・Babel・Babel ・Babel・Babel ・Babel・Babel・Babel・Babel ・
Babel・Babel・Babel・Babel ・Babel・Babel ・Babel・Babel・Babel・Babel ・
Babel・Babel・Babel・Babel ・Babel・Babel ・Babel・Babel・Babel・Babel ・
Babel ・Babel・Babel・Babel ……



〈続く〉
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