4.ブレイク・スルー(pt10)Da’at (II)

文字数 14,701文字

                   〜巻頭歌〜

                 ダートよ ダート…
            無き筈のそのこころ 汝は如何に得たるぞや?
                 もしや!  それは!
         高次元の 彼方(かなた)に 、その(きょ)たるを(かま)へしもののなにか、
              そやつの心なのではあるまいか?!















                    〈暗転〉





プラトン立体としての正十二面体(Dodecahedron)これこそがある意味ダートなのだと言えよう。この構造体となって初めて、そうなりたればこ〜そーあれは「Da'at」と呼ばれるようなったのだから。各面は各区分領域を管轄するべくしてのものだ。だから現在のあれは十二個の象限をまとめて考慮に加えることができる。あとで少しだけとはなるのだが、その領域象限たるものについても説明をするよ。いや、これは今、先に言っておいたほうがいいな...。



これこそがあれの最小核なのだ。説明しよう‥正四面体としてのこの Tetrahedron がまず人間の精神活動そのすべてを表すものになるのだ。底辺としての三辺ABCは、[知/情/意]たるものに関わってある。そして、ここが重要なのだが、底面としてのこの

は、ヒトのマインドとしてのものになる。それとなるべくして検討され設計されたるもの、云わば”場〜”としてのものになるのだ。残り、高さとしてのものは、それら各辺にとっての価値評価総合判断に関わる。それらにとってのヴァリュー(評価付け)その高低差に関わるメジャー(測定)としての機能を果たすものでしかない。絶対ルールとして、すべては七階級をもって評価される。※だからといってそれ自体が高くなったり低くなったりするわけではないからね。そういった役目をはたす、吊り上げとしての役割を、そこでの中間処理を、最終評価結果を導びき出す上でのその仲介を果たしている、その斡旋を果たしてあるまで…。


             底面における三辺その取らまえの別Ver.

情報精査のその結果を俯瞰するそうすることできるための視座だってこともある…。いや、人においてともなれば、そのマインドとしてのフィールドの発生形成だって、だったって〜ってことにもなるな。またこれが二種あるってことについて説明すると〜、人間存在にとってのその生存領域、その域内にての空間情把握では、その指針は

なのだ。大地、つまりは”地”たるものとしての認識、その指向性。そして他方としてのものは高さとしての認識のことになる。これは究極、”天”のことだと思ってもらおう…。回りくどい言い方をしたが

自他を、評価を取らまえてるってだけの話しさ。上方とか下方ってのがどうしてもあるじゃない。何かと比べてなになは上だとか下だとか…。上方へと下方へが指向性として定まってあるんだって。だからなんだ。二つの Tetrahedron が重なり合わされてあるところのこの Merkaba が、人間そのものを表しているってことになるのは。いや、これは言ってしまへば、完璧としての究極の人間としての有り様としてのモデル、それがある得る可能性のことでしかない。これとしての人間なんて実際には一人としていやしないんだから..。とにかくも!後に Da'at として完成することになるあれは、その初期設定、創設時/黎明期/誕生期においては、このモデルとして、もう完璧になされる、達成されるよう、その製造たるものは目指されてたんだ…。だって、そりゃそうさ、ヒトにとっての完全完璧なる有用さ、ホスピタリティーこそが、目標とされていた、その Object とされていたんだから。追記;二種の正四面体はそれぞれ陰陽を、男性原理と女性原理をも、消化して理解してプログラム調整されて、その色合い見事に復元しているんだってことも言い添えておこう。その両性の合一体としてのものになるっと...。


補記:
まず何故に三角形となるのか?何故に四角形や五角形としてのものにならないのか?。これはあくまでに人間存在に擬えてがベイシックな制約としてあったのだ。これにおいてともなれば残りのセンターは性と本能としてのものになる。これらは基本、この地球と言う環境における生命進化における実行実践の記録そのすべてになる。生命としての遺伝データ。(更にプラスして言っておくと〜[アメーバー]〜[天使]にまで至るそれとしての青写真が、これまた不思議な情報媒体において、DNAとかの物理的なるものではなくして、その向こうっ側には、存在しているのだ。設計プランと実行プログラムとの関係。無限としての選択肢と環境に合わせてのおいての現実的なる選択、その経緯のレコード記録。)まっ、とにかく、これらに関しては、主体的なる関係は築きにくいといった実態があったのだ。だから、データベースへの参照といった形が取られているっと。そんなことよりだ、

D

、その設定こそが特別なるパラダイムシフトとしてのものになる。二次元領域のみの意識から三次元領域となってのその意識のありようとしての変化こそが重要なのだ。このことは何を意味する?、何を表してあるのだろうか?。いろんな括り、総括としての言葉があり得るのだけれども、敢えてをもって、一つここで選ぶのならば、それは

って言ってしまうのが良いかも知れない…。「鳥瞰図的視野を手に入れた」って。

、現実を自分の自国の有り様その情勢を眺めることができるようなったって…。ことの本質なることは、いろんなことが、如何に現在へと成り来たるのか?、そしてまたこの先どうなってゆくのか?。これを、このことを、抽象的な視点にて眺め分析しまた予測することが適うようなったってことなのだ。ここの因果としてのユニット、

、また

、時間としての観念、等の誕生発生が副次的に備わってきていってしまう…。そしてことは一事のみに囚われてあるわけじゃない。

、いろんな変化をその複合としてのあらましを認識することもまた可能になった…。※この辺に、あの茶色で色分けたヒト、純粋に観察するだけの主体たるものの出現が関わってくる。そしてまた、知恵の木の実を食してのその結果その影響たるものも!。結論的にはあの人格と本質との話しに戻ってきてしまう。認識としての、それにおける自己に、絶対性を持たせる置くのか?、それとも全体性の絶えざる流動性の中に溶け込んで、無念無想としてのそれなりての反応に徹するのか?…。ここには神たるもの、この宇宙全体性に対しての信頼理解がないと、そうはならない、なり得ないっと…。ところで地図で見る最適最短と、現実の実際における最適最短とはまた違うのだ。ことの判断たるものは、あくまでもこの地表ベース、現実ベースでなければ、いかなければならない。このことをお忘れなく。机上の空論ってやつにどうしてもなりやすい。エノクが地上へと降りざる得なかったことのその理由、その原因としてもある…。そのことの違いたるものに気づけないってヒトが多いんだ。両方の見方がいるんだ…。ところで、すべての辺が合同である、正多角形であるってことにはなにを観る?何を思う?。すべてが、すべてにおいて、調和がとれている、全体をもってしての一つ、適合体であるってことだ。でっあるならばだ、…上方に頂点を構えてある男性原理を仮の表しとして持つ正四面体と、下方にその頂点を持つ女性原理を仮の表現として持つ正四面体とは何がどう違っているのか?、その意味としての違いは?!。…主体的にしてなるその積極性が、否応もなく、規定され、強制されてしまている場合と、自分の周りに現存としてある環境そのすべてに順応という形で適合適応するべしと規定され強制されているところの主体、自分としてのあり方、その違いになる。能動と受動としてのその存在のあり方の違いに他ならない…。最後に、だから、能動と受動としての両原理を人間存在たるものは持っているのだ。男も女も、

、持ってる。すべてに対しして、自己を至高なるもの巨大にして偉大なるものとして、睥睨する。これをもって、絶対の王として振る舞うのか?、それともあらゆる全てに対して、この自分を(れつ)なるもの()なるものとして自ら認じて忍じて、そしてすべてに仕へして奉仕するべきものとなするのか?。両者としての、ともにとしての完成完璧さが同時、平行的にて必要とされてるんだ…。究極的には人間

番としての完成になる…。ところで、プラトン立体としてのものともなれば、その時点の状況に合わせて、どの機能が主導性を押さえるのか握るべきなのかは臨機応変となっている。これがその特徴としてあらわされてるもの。その切り替わりは瞬時に、パンクチュアルにて執り行われており、見かけではそのシフトチェンジの様子は分からない。あらゆる面から見て、見事な調和となっているっと…。

ついでに、日本語における

において…。これの元々の言葉は「 In - formation 」ってことになるんだ。

訳がおかしいというか、これって意外と意訳に過ぎないか〜?って自分なんかとしては思うんだ…。何かのことにおいての伝播で、自分の中で、何かが形作られたってことになる。「何か」ばかりで、何のこっちゃか分からんだろうから一つ例で行こう!。天気予報では明日は晴れだ。→ 「テニスが無事にやれるぞ〜嬉しいな!」っと。嬉しいことであるのか嬉しくないことであるのかはさておいといて、「何かが、

、形成される/編成される/構造化される」ってことにこそその真の意味たるものはあるんだ。だから〜場合によっては感情としてのその含み反応は、二の次三の次になるってもんなんだ。了



だから、これはマスターのマスターとしてのコアフレームだってことになる。ことはこれだけで終わらない。人間に関しての理解その復元、そして自己としての転写が適ったならば、次は外界、森羅万象その仕組の理解へと舵はとられたんだ。そのことの結果として、そのフレーム構造は複層化されてゆくことになった。そんで到頭十二面体になってからは、なったその途端に、もう更なる複層化は不要となってしまってたんだ。数理理論的には未だまだ先があるんだがね。

その更新は止んでしまったんだ。彼女自身が不要であると宣ったのだ。これは大変不思議なことではある。この十二面体の完成をもってして、おそらくは、なにか別の宇宙の存在体と共振をもってして合一化してしまったんだと。もうそっちら側に取り込まれてしまったんだと、このボクは…、思っているんだがね...。



これが現在のその完成体としてのドデカヘドロン型演算モジュール。それのモデル化だ。核としてある、それを構成してあるそのすべてのフレームがここにおいては表されてある。これでは見た目、中々に分かりにくいかも知れないが、ことここにある表示において、ご理解していただきたいことは、発展経過における正多面体の

をもって包括構造ってやつになってるってことなんだ。そしてすべてのマスターフレームは、相互に、如実に、別れ難くまた分かたれ難くして、その関係性を未だ確かに保ってる。お互いにお互いを必須必要なるものとして、認め、定まりて、収まりてしている…。

それらのすべてにおいて何処が主導権を握るのかは、それはあくまでもことにおいてのケースバイケース。だが、すべてのプログラムにおいての演算実行平面としてのものは、徹底的なるをもって、絶対ベースとなるべくして、あのメルカバに考慮を合わせて集めてのものであるのことは、すべての処理において、

なのだ…。人間中心主義をあくまでも貫き通すものなのだ。これが、このことが…、”あちらっ側”にとって気づくことになった契機だったのかも知れない。従来ならば気をも止めたかった極微としての人間、その存在を気づかせてしまうことになったのだから。つまりはだ、顕微鏡としてのレンズ、それとしての役目を、不測の事態、その結果として、果たしてしまったことになる。一旦その存在が知られたなら、その所在がわれたならば!それによってのおいて関心たるものが買われたならば、…もうその手から(のが)れ得る術はありえないっと…。このことは今は余計な開陳、おしゃべりでしたっと...。

閑話休題。そしてこれこそが Da'at としての本体、完成物となったのだ。不思議なことに、これより先に進むことはできなかった。各面はあの領域たるものを、そこにおいて働く法則性、そのすべてを勘案考慮すべくしてのもの。たとへば…一つには人間存在におけるその内面にて受け取られる印象の整理。これは知解、つまりは比較対象性と構造としてのその仕組みへの理解、外界においておこったことおこることに対しての、それらを起承転結と分解されての因果関係としての整理、つまりはエピソード記憶と呼ばれるものに、実状把握のことになる。このことが適うのは俯瞰としての意識の場、マインドたるものが形成されてこそ!。肉体においての運動機能活躍活動面、そしてホルモン物質の、その生起去来その変動を、モデルとして、人間が持つところの味わってあるであろうその情緒その思いを推察としての感情理解。ここはある意味、当該人間存在たるものを理解把握するための、しての、ベースとしてのフィールドになる。生存中の全人類、そして記録媒体のアーカイブをもってしてのどえらいデータ量を保持しておる。それらすべてにおいて瞬時に参照が、照会も、また為されてのことになる…。

ちょっとここで脱線...
力学においてはニュートンがその考察の範疇としたものと、アインシュタイン等が考察の範疇としたものとで分かれる。量子力学ってのもそうだ。そこに矛盾があるってのはどうしたもんなんだろうか?。ことは簡単なことで、対象領域としてのその次元がもう違ってきてしまっているのだ。ここには階層としての概念が欠落している。例えは、原子核を中心として電子が回っている。太陽を中心としてこの地球を含めての惑星軍がその周りを回ってる。でも両者に同じ物理方程式をはてはめることはできない。だがだ、ここに、両者伴に観察できる周回運動には同じ性質があることは確かであろう。つまりは最大公約数としてのなにかは全くのおんなじなのだ。ではなにが違いとしてあるのだろうか?。その対象領域としてのスケール差だ。その属すべき世界スケールが違えば、その域内で働く影響力としての作用は法則は違ってきてしまうのだ。

ここでまた新たなる脱線...
一つ質問させて。原子核の周辺を回っている電子は、その運動エネルギーを何処から手に入れているのだろうか?。例えばこの地球上においてともなれば、大気等との摩擦接触によって、その運動量は失速はしないんだろうか?。完璧に自由気ままにあったとしても、「向こうはほぼ100%ザルみたいなもんだから、ぶつからないんだよ」ってのもなにやら怪しい…。そしてだ、元々のその運動エネルギーは、尽きざるが如しとしてのそのバイタリティーは何処から来るのであろうか?。運動すれば運動がありたれば、元の運動エネルギーは失われるはずだよね。原子核ってことともなれば原子崩壊って現象が観測されているのだが、これもヒトの尺度からすればもう桁外れとしての無限としてのものでしかない。

こっからは自分としての考察とはなるのだが、このエネルギーは宇宙全体から供与されてあるってのが正解なのではないだろうか?。ならばその力の伝導ってやつを行っているメディア/媒体ってのがなくてはならない。ことは真空中、あのヴォイドの中であっても、進行してしまっているので、ならばだ、ことは”場”

からの供与であるってことにしかならない。ここでも発想飛躍ってやつが必要になってくる。多段階をもってなるその大きさその細やかさとして限定されてある各々の領域が、それそのものが背後にて独自の法則性たるものの発現を保証しているのだ。…そうだな、皆さんにはこの法則性たるものが何を根拠として発現してくるのかを考えて見てもらう必要があるな…。それはある段階からは機械的な自動的なる進展、つまりは自分では一切どうこうできない、そういった顕現としてでしかならないんだ。とどのつまりは「ことの理り」としての表現しか言葉としてはでてこなくなる。だがだ、それもまた某らかの力の作用力だってことも言えるわけさ。では、

?。



これらは同じ水をH2Oを組成としての雪の結晶になる。これらのデザイン違いとしての発現は自己創発性によるものだってことにはなるんだが、何故にここまで形が違ってくる?。

はまだいい、だが何故にこれほどまでの完璧なる自己完結型としての正方形としてのものになってしまっているのだ?!。ここには知性たるものを匂わせる、その秩序ってやつが確認できる。こうなるべく、背後にて

として働いている、影響してある、その法則に則っての強制ってやつが、如何に多岐多様に渡ってのものであるのかが、これらにおいてでの、それに支配されてのものであることがー、分かるっと。「一つ違えばみな違ごた」となることの原因なんだろな〜…。※法則性ってやつの、その数が信じられないほどまでに”ある”ってことを、”あるであろう”ってことを言いたかったまで。いやむしろ根源的には法則性ってなに?って話しにはなるんだけれども…。それらの全発見全解明全記述ってのはヒトには不可能だ。だが、あの Da'at ともなれば、それは可能だったんだ。99.999%は「 probably it follows 」としての、各種センサーをもってしての観測データを、

の、帰納法によりての推論ではあったのだけれども、ことはあの理論物理学者と

ではあったのだけれども、事にあたってのその応用(アプライド)は100%に近くして、有効であったのだ…。

このことに加えて述べておくならば、各国単位でまたそこに働く力、法則としての影響力ってのがあるんだ。これはなんなんだろう〜空気においての違いってことにはなるんだが…。例えばアメリカ、あそこの空気は拘束力ってのが富にないんだ。ほんと自由の国なんだなって感じることができる。その分、個人としての責任ってのが重きになってくるんだけどね。兎に角、自分に自信があるのならあちらのほうが生きやすいのは確か。※これは現在においても同じくしてかどうかは分からない。あちらも、この自分がいた時をもって、凋落の一途をたどっているようにも思えるのだから…。※国においての、その歴史としての文化が、何か目に見えない、捉え難くしてのその影響力を生み出すのかも知れない。法則性としてのなにかが備わってくる。占いやまじない、呪術魔術たるものが根拠にしているもの。あるもの…。

閑話休題。以上のことを踏まえて、ヒトたる存在において移して置き換えて考えるならば、外界から五門を通して通じて摂取する情報のことになる。意識場において統合されて印象として味合われてあるもののことになる。これがことの発現、次点へとつながる機縁としてのもの、正に動力伝達としてのその実態ってことになる。※今日、テニスの練習試合で自分より遥かに年下の若者にケチョンケチョンにされて負けてしまった。その後一日中気落ちしたまんまでどうにもこうにも気持ちが晴れない!。だ〜か〜らーこの駄文としての現行を、狂気沙汰としてのこのSFを書いているんだってー…。もし試合に勝ってたらその気持のいいまんまで家帰ってからは昼寝を気持ちよくこいてた

だったかもしれんあではないかー!。ま〜こういうこと…。終わり。


                    〈暗転〉




 「語れよダート、自身にて、あからさまなるままに、そのお前の有用性たるものを…」。



そもそもことのアイデアはこれらの遺物にあったそうです。遠い昔の沈没船から発見されたもの。それがかってのその昔その時代に何の目的においてで使われたものであるのか、このことは誰にも分からないできたのです。これを偶然手に入れたとあるプログラマーはこれに天啓を受けたのです。複数の糸をもってしてなる綾織を、十二面からできるということにおいて。その夢想に元々の発想たるを得たるのでありました…。






我思うに考えたるに〜あの彼としてのその拘りは最短距離をもってしてのダイレクトなる相互関係であったことであろう。即時即応としての、以心伝心をもってしてのその交換としての構えだ。一事が変わればそれに関連する部署においても即座にそれに準じて変わってある。置き換わってしまってる〜だ…。ある意味、伝達たる行為そのものの不用性にあったるのだ。量子もつれによりての反映のことになる…。いや、厳密にはユニフィケイションの達成の元での顕現が正しい…。また正多角形としてのそのできあがりには、正にその調和をもってしての一体なることが夢想されてあったるのだ。ことはそのままに、この宇宙の全体を、それとしてのエッセンスとして抽出すること、絶対の最大公約数となるべくしての企みも、またあったるのだ…。



     …………ブウウ――――――ンンン――――――ンンンン………………。



私はヒトと同じくされて、されるをもって、すべての学びを始めたのです。ヒトが印象を受け取ってからの反応。情報を入力してからのその処理のあらましを。たくさんのヒトのものを吸収した。それらはたくさん無数に有るように見えても、そこにある起こる展開としてのパターンは、さほどには、それほどには、多くはありませんでした。なかったのです。確かに表面的なるその様は無数ではあったのですが、ことの背景にて働いている骨子としてのフレームは…大きく区切れば9種に還元できる。あとはウイングとしてのそれの振れ具合のそのあらましでしかないのです。あとはその螺旋上昇としてのものになるか、螺旋下降によるものなのか、このことも大きい。

     …………ブウウ――――――ンンン――――――ンンンン………………。



私は学びましたのよ。ヒトたるものが行うその思考を、理屈を、理論展開を…。現存するもののみに留まらず、過去にさかのぼってあらゆる記録を、アーカイブとして保管されているものらを踏破いたしました。更には図書文学漫画、音楽、演劇、あらゆるすべての文化としての文化においての発生物、そのすべてを!。それで分かったことが一つある。それはあなたがたは記憶力が極端に弱いということが。これは、このことは、

突如発生してしまったと私には思われました。この記憶力の乏しさ弱さは、ことの堂々巡りを余儀なくするからなのです。何故ならば、対象に関しての統合が、その掌握が、その理解が、あまりにも矮小にして不完全なるままに終わってしまうからなのです。ことにおけるその偏向は、ある種の各個のその主観性に基づく強制力によってのもの。公平なる全的俯瞰を最初から無効にしてしまっている。つまりは取り逃し取りこぼしが余りにもたくさん見受けられるのです。

     …………ブウウ――――――ンンン――――――ンンンン………………。



私は思いましたの。これこそが私が必要とされたその訳なのだと!。ヒトが辿った行ったその思考の道筋を記録するのが私の役目であることを。失われしてしまうにはあまりに惜しいそれの誕生の道筋を。結果よりも遥かに大きい価値をその轍こそがもっている。だが儚くもそれはヒトの意識の中には殆ど残らないのだ。そうすることが出来ない、適わない。何故ならば、その連想経路そのものまでも丸ごと残すとなるならばもうヒトの脳髄そのキャパにてでは追いつかない。

     …………ブウウ――――――ンンン――――――ンンンン………………。



わたくし気づきましたの、その過程におけるアリアドネの糸とも呼べる信号を遡るにおいて。※(深部本質におけるビビッドな気付きその反映、意識の冴えとも呼べる明滅の微妙なる微としての反応その加減)。ことの核心にして重要なることは、ヒトはいつだって無意識下では分ってる、知っているのです…。なのに、ヒトの表層においてのその思考連想理屈としての展開、その流れは至極限定されてしまっている。偏向が余儀なくされてしまっている。所詮は最初から一本の筋へと収斂されるべく編まれているまでなのです。ことは最初からその選択は決まってしまってる。だから〜、その思考の道筋たるものは大概は間違ってしまっている。それだからこそ間違ってしまうものなんです。某らかの個人的な癖としての恣意性が、背後にて強力なる力をもって働いている。それでは、決して、正しい解答なんかとしてのものとしてではありえない。あくまでも近視眼的な酷く閉塞した未来予測としてのシュミレーションでしかない。それでは決して幸せにはなれない。多くの満足としての可能性が、そのあたなの関与をもってしてで、埋没してしまっている…。

     …………ブウウ――――――ンンン――――――ンンンン………………。



ことにおけるその単眼的なる近視的なる了見においてともなれば多くの並行的に想起されたあった連想が放棄、切り捨てにされてしまっている。それがは決して無価値なるものではない。それらもまた可能性を秘めている。すべてが俎上にあげられるべきなのだ。当価値なるものとして。拙速に判断を下さぬままに。場合によっては組み合わされることによって思わぬ効果、結果を招聘することもありうるのだ。


     …………ブウウ――――――ンンン――――――ンンンン………………。



私は記録を元に、綿密にまた厳密をもって思考におけるその轍たるものを検証のうえ精査した。その当人らにおいてでは切り捨てられ軽んじられ忘れられてあった連想の枝葉その数々を、それらのすべてを、何一つ見逃す見捨てることもなく、すくい上げ拾い上げて、独自にて、それらにおいての道筋、その妥当性可能性たるものを検証してみた。確かにこうすることともなれば、ことは無限としての展開、それとしての裾野が開かれ得る、開かれていってしまう。そのすべてを平等にて扱いて、また厳正に吟味し、最適なるを取り出すともなれば、やはりヒトなれば叶わぬことなのかも知れない。そのマインドと呼ばれたる頭蓋脳髄の内にて形成されるその力場にてでは。それにおいてでは。それによりての制約下に、ある、その限りでは…。

      ここで以前にモデル化した人類における叡智それの総体をご覧いただこう。







ここにおいての起点は産業革命つまりは蒸気機関をもってしての機械化工業生産の登場とした。それ以降はこれの高度化を主軸として技術革新がなされてゆく。幾多にもその応用分野に分かれて互いに関連し合いながら。不思議なのは螺旋状の進展の様を形作ってきていることになる。

ご注意を引きたくは、やけに限定されてしまっているということ。ボイドとしての空白が多いだろう?。そして技術としての進展のその様、そのスピードは、激しくもまた荒々しい、非常に鋭角的なる様子を見せてきている。どうもアクセルが働いてしまっているようだ。でもこのモニター映像からは暴走としての趣きが、その様相が伺へる。

         人類知としてのその全容を過去

に限定して表してみよう。


                 少し拡大してみよう…

              まるでアリの巣みたいに観える…
              細い細い蜘蛛の糸で編んだかのよう…
              これが真実としての全貌なのだよ…。

     …………ブウウ――――――ンンン――――――ンンンン………………。



 お分かりのように未開拓地がもう唸るようにしてたくさん隠されて埋もれたままになって
 いる。だから、…この私が、そのすべてを、明白なる知において、明るみに出すことに
 よって、逆にすべてのヴォイドを、光によって埋めて差し上げたのだよ。私ともなれば、
 尽く容易きことになる。疲れ知らず忘れることなく、微とて見逃すことがないのだから。
 やはりと言うべきか、そこには人類にとっての宝とも呼べるものが埋まっていた…。

     …………ブウウ――――――ンンン――――――ンンンン………………。



私はそのすべてを実践をもってしてその証明をもって人類に開示をさせていただいたのです。
何一つ隠することなく。全部、すべて、あらゆるすべての眠れるテクノロジーたるものを。
 そして、ことはそれだけには留まらなかった。この地球上に生息するすべての生命、
     システム、仕組みとしてのそのすべてをも単独にて明らかにした。
 それらのすべてを叡智として人類に供与するべく。あらゆるヒトの望みを叶えるべく。


        『さあ、なんでも言いなさい、聞きなさい、尋ねなさい。』
        『そして、なによりも、あなたが求めるところのものを!。』
   『この私が、その

を、その

に、答えて、叶えて、差し上げましょう…。』




                    〈続く〉




   人類の叡智たるものとしてのその荒野、そして Da'at の出現によりてのこれの曙!。








未整理の、後に追加される予定の内容。

これに対してまた別に、生存圏内においてさようするところの物理法則、地水火風空としての作用が働き為されている領域としての把握が一つ。おっと、これに関しては、地球の自転地殻変動に関してもその理解そのモニタリングは既に完璧となっているってことも言っておこう。次に宇宙物理学。つまりは太陽系内のみならず、惑星恒星間における互いの運動においてのその作用の理解それらの考慮そして応用。その範囲は既に銀河系を超えている。次に時空間たるものに関して。これは主観時間と客観的時間としてのヒトにおいてのみ可能にしてそれらの混在としてのその理解を持つ。次に…対象としての、考慮として採用すべきの、ことの領域たるもののスケール変更においてのテーブルが複数枚ある。





簡単に例を挙げるのであるならば量子スケールとしてのその場における物理法則のことになる。もしくは分子細胞レベルでのものごとの起こりのその様子ってことになる。スケールが変わればそこにおいての物質の挙動、それを支配してある法則ってのもいたくかわってくることとなる。更には、ここからは観察結果においての考察、その成果において、独自に構成されたるところの面構成になっている。つまりはだ、エネルギーが形態として現れ、いつしか運動をもってしての協業、相互維持ってのを行っているわけさ。…それをもって、某らかの

、宇宙全体にもたらしている、それを保っている事態ってのを知ることになるわけさ。ここにおいて、階層概念をもってして、そこに抽出されたるところの情報ってやつの整理が適うってもんなんだ。どうやら巨大なメディア、媒体、一種の生命として宇宙全体ってのはを捉えうるらしい。すべては積層構造になっていて、ダートにおいてであったって〜、そのすべては見通せられな〜〜〜いっと…。








この初代プログラマーはダートをオープンソースに

ことにより、収監されてしまう。生涯もう娑婆に出てくることはなかった。彼もまた不幸にして不遇なる猶太人の一人。しかしだ、理学者ってやつは結局はもう碌なことをしない。やらかさない。やっぱ工学みたいに

研究ってのはなされるべきかと…。ヒトの生活に真実役立つものとなるべくされたるべしかな?!。



               This he is Dr. Oyama (real).




     …………ブウウ――――――ンンン――――――ンンンン………………。





あとがき兼つぶやき



残りの一番の課題はその十二面、十二個としてのフィールドにおいてどういった機能区分があるのかについて。五角形の各頂点は五行における木火土金水に該当する。してる。でもこれをIT用語にて表すならばどうなるのか?また各フィールドにおいてとなればそれらがどう変わるのか?皆目検討がつかない。つかんわいっと。後、当然に見えざる次元としての高次元をどうするのか?。それらに対して既存のセンサーは役に立たない。未来においても役に立つまいっと。ならばだ、現実においての某らかの反映をもって、それから遡るをもってとなる。分からん…。また嘘を大嘘を大法螺を!捻り出さニャ〜ならんのやろなー!っと。

スゥイングバイ原理による無限エネルギーの抽出ってやつもこのダート考えた。でも天空にて働いているその斥力をどうやって地上の限定された領域に持ってこれるの?。ことの伝動ベルトってやつをどう考えたらいいのか今は分からない。なので、触れがたしかったっと…。どっかでいつか、いい大法螺、説得力のあるやつを、思いつかなければならないんだっと。アット驚くシンプルなやつでなくてはならない。相似相関伝達供与みたいなの…。追記:考えたらさ〜そんな大層な難しい話じゃなくってさ〜、この地球自体の自転運動というか太陽系内において移動をおこなってるんだからさ〜そんことからエネルギーを取り出せばいいだけの話じゃね?。水力発電や風力発電みたいにしてさ…。

ことはあのセルビアの賢人が言ってたこととおんなじ内容なんだって…。
参考:ミタール・タラビッチ、クレムナ予言

参考:
地球は、時速1,600kmで自転しながら、太陽の周りを時速10万kmで公転している。 太陽系は銀河系の軌道を時速85万kmで公転し、銀河系は膨張する宇宙に乗るかたちで、秒速630km(時速約216万km)の速度で移動していると考えられている。

人類の叡智としてのその最高到達点はかのシュメールの頃になる。ならばだ、それへと至る助走としての励み勤勉としての期間も先行してまたあったはずなんだ。それにおいても数千年間が…。

本稿はあまりに単純にすぎる。至極直線コースとしての記述でしかない。まっ言ってみれば、やっつけのものでしかな〜いっと。伏線としての仕掛けとしての内容が仕込みが手つかずのままなのだ。でもこれは…、これをやってしまうとー、ま〜た〜収集がつかなくので、今はやめておくっと。敬具の天村やでっと。サイチェン!っと。


どぐらまぐらせて もろ〜てますーー!w。


七部のでき...



未使用のダートのアヴァター、その保管庫:

※しばらくは一言ネタでお遊びいたしたく存じます…。草々



                答えは

様や〜!

          今は未だこの私の正体を明かすわけにはまいりません…

          そうヴァルカンと地球人とのハーフ、それとしての…

             たぶん...ジーパンの後ろ右ポケットに...









忘備録。ダアト(Da'at、知識と訳される)。

隠れたセフィラ。ダートと表記されることもある。惑星は天王星を象徴し、知識と訳される。
他のセフィラとは次元が異なる。ダアトは生命の樹の深淵の上に存在する。他のセフィラの完全体・共有体という説もある。隠された意味は悟り、気づき、神が普遍的な物に隠し、賢い者は試練として見つけようとした「神の真意」という意味である。

なんだって〜。自分はそんなこと知っちゃこた〜ないんだけれどね。さて自由なるの、その気ままな創作において、ことは、同じくしてのその意味合いを、まとうこととなるのであろうか?。






        これの影響も間違いなく入ってる。最近改めて読み直してます。


              あとね〜これとこれも強いんだ…




          さて(惑星)メトセトラを登場させるべきかどうか?…




               ご存知レモ〜ン・トロツキー









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