十一章・開戦(1)
文字数 4,053文字
「うん」
南の日本国民一〇万人から一斉に頭を下げられた
「貴方達も無事でね。もしも私達が敗れたら、その時は北へ向かいなさい」
すでに話はついている。北日本の福島では、こちらからの難民の受け入れ態勢を整えてあるはずだ。
もっとも、術士は全員が対
(この戦力で、はたして何人辿り着けるやら。そもそも王太女殿下を無事に帰さなければ、門前払いを喰らうかもしれないわね)
もちろん、その時はその時。どう転ぼうとも対策は講じてある。少なくともここにいるうちの三割程度は生き残るだろう。
彼女は振り返り、今度は自分から頭を下げる。
「よろしく、お願いします」
「お任せを。あんじょう気張ってください」
月華の要請に応じたのは、京都を牛耳る“国会議員”達だった。彼等もまた、術士隊が敗北した場合には北へ移ることになっている。この場にはまた下院議員だけが顔を出していた。
「しかし、ホンマにええんでっか? 王太女殿下をこっちで預からんでも?」
「本人が戦いたいと言ってるのよ。気が済むまでやらせてあげるわ」
「けったいなお子やな。流石は“螺旋の人”の血筋」
「あの家は、代々戦場に立つのが習わしだそうですからなあ」
「変わっとるわ」
まあ、彼等の目にはそう映るだろう。
戦う必要の無い立場で、何故戦に出るのかと。
「結局、陛下への挨拶にも来はりませんでしたな」
「必ず連れて来ますよ、後ほどね」
わかるはずもない。
保身以外、なんら興味の無い連中には。
それからほどなくして、大阪へ戻る道中、馬上にて問われた。
「陛下のご様子は、どうでした?」
「元気だったわ」
月華は当代の天皇と懇意にしている。先代も、先々代も、さらにその前の代とも同様に良好な関係を保って来た。
問題は国会の方だ。
「奴ら、陛下を守り切れますか?」
「まあ、五分五分よ」
「なら、生き延びないといけませんね」
「当然」
あんな連中に可愛い主上を任せておくつもりは無い。今回もやはり生き延びることこそ最優先。
だが、同時に待ち望んだ好機であることも確か。
「可能な限り、蒼黒は始末するわ」
「はい」
あれが存在し続ける限り、人類に安息の時は訪れない。仮に“ドロシー”を先に倒せたとしても、あの怪物はやがて第二の“ドロシー”に成り果てる。実際に自分は昔、あれと良く似た怪異が“ドロシー”以上の怪物となった姿を見た。
こういう想像をする時、いつも身が震える。
(いったい、この星には今、いくつの“災厄”が生じているのかしら……)
日本だけで惑星壊滅級の怪物が複数体。世界全体を見渡せば、きっと他にもまだ何かが生まれているだろう。蒼黒やドロシーを倒せたとしても、人類の戦いはきっと終わらない。終わりがあるかさえわからない。
まるで、あの頃の自分達。
「母様?」
肩越しの声。見た目には後ろで手綱を握る彼女の方が、よほど母親らしい。けれど実際には自分こそが養母で、そしてまだ、親として成すべき役割が残っている。
「
「はい」
「死んでは駄目よ」
かつてのこの子の姉のように、儚く散って欲しくはない。
「了解です」
無事に羽化できた娘は、そう答えて微笑んだ。
──そして、ついに時は訪れた。日が彼方の山の向こうへ沈み、夜の帳が下りる。同時に海からは鳴動が響き渡った。
『母様! 奴が起きました!』
霊術によって拡声され頭上から届く報告。長年大阪を守り続けて来た術士隊の長・月華は閉じていた瞼を開き、傍らの少女へ語りかける。
「いよいよです、殿下」
「……そう」
珍しい。結った赤毛を揺らし、緊張した面持ちで頭上の亀裂を見上げる少女。北日本の至宝と呼ばれる王太女・
そんな彼女の左手を掴み、背の高い少年が頷く。北日本王国の初代王・
「大丈夫だよ朱璃。きっと上手くいく」
「……当たり前でしょ」
少女はようやく、いつも通り不敵に笑った。
そして振り返り、仲間達を鼓舞する。
「さあ、おっ始めるわよ!」
「押忍!」
「いつでも!」
「待ちくたびれたぜ、なあ?」
「ああ」
「全隊士、死力を尽くせ!」
「はい!」
DA一〇二を装着した二人が、ベテラン調査官二人が、
「北からの客人に負けず、こちらも獅子奮迅の活躍を見せてやりなさい」
「もちろんです、母様」
カトリーヌ、
後は決着をつけるだけ。
──頭上からは巨大なものの気配が迫りつつある。海が盛り上がり、津波となって大阪を目指し押し寄せて来ている。
『距離、残り一〇〇〇!』
「頃合いね」
「よし!」
朱璃の手を離し、右の拳と左の手の平を打ち合わせるアサヒ。数歩前に進み、もう一度だけ振り返った。
「行って来るよ、朱璃」
彼はそう言って、直後に驚く。
そして、嬉しそうにはにかむ。
「必ず、帰って来るから!」
「あ……」
朱璃は手を伸ばした。けれど、その時にはもう少年は、空中の障壁を蹴って地上へ駆け上がってしまっていた。
グッと奥歯を噛み、愛用の対物ライフルを握る。
自分は王族。班長。この場に集った戦力の一部。
背筋を伸ばし、声を張り上げた。
「勝つわよ、アンタ達!」
「おう!」
アサヒの代わりに、マーカスが隣に並ぶ。逆隣では月華がほくそ笑む。
「信じなさい、殿下」
「んなこと、言われるまでもないわ!」
言い返した、その瞬間──天が“海”に覆われた。
亀裂から地上へ飛び出したアサヒは、想像を絶する光景に度肝を抜かれた。その時にはすでに怒涛が眼前にまで迫っており、慌ててさらに高い位置へ退避する。
障壁を足場に空中で立ち尽くすと、あっという間に眼下の全てが波に飲まれてしまった。それどころか、もはや見渡す限り一面が海。いつの間にか沖まで移動したのかと錯覚してしまいそうな光景。
「こ、これが……“蒼黒”……?」
あまりにも巨大すぎる。まさに月華が言っていた通り、敵は“海そのもの”だった。
想像はしていた。敵は津波だと、あらかじめ聞いていたから。小学生の時、二〇一一年に東北で発生した巨大津波の記録映像を授業で見た。彗星が地球に衝突した場合のシミュレーション映像だって、何度もテレビで流れていた。
でも、これは違う。それらを遥かに圧倒する光景。
「どこまで行くんだこれ……全然止まる気配が無い」
大阪どころか、その奥の京都まで飲み込みそうな勢い。どうりで関西一円が草一つ生えない荒野と化してしまうわけだ。
(友之さんが出した“堤防を築く”って案も、たしかに無理だよ)
彼は、霊術や疑似魔法で壁を作って防いだらどうかと言ったのだ。だが朱璃にあっさり却下された。それを実行するには時間も人手も足りないし、そもそもやったところで無駄だろうと。この光景を見れば彼女が正しかったことは理解できる。どれだけ高く分厚い壁を建てたところで、こんなもの防ぎようがない。
そう思った、直後──
「うぶっ、あ、あああああああっ!?」
「なっ!?」
さっきまで監視を行っていた術士。彼女が水中から顔を出した。姿が見えず地下都市へ戻ったものと思っていたが、いつの間にか波に飲まれてしまったようだ。
アサヒは迷わず助けに走る。水中に飛び込んで彼女を捕まえ、すぐさま再浮上を試みた。
ところが、そう簡単にはいかない。
(なんだ!?)
恐ろしく暗い水中。何かが手足に絡み付いて来た。それが彼と彼女を、より深い領域へ引き込もうとする。
しかも流れが速い。水中は上から見て想像した以上の激流だった。アサヒは二つの力に翻弄され、それでいながら、冷静に意識を研ぎ澄ます。
(この程度でやられて、たまるか!)
彼とて幾度も激闘を潜り抜けた身。相応の経験は積んでいる。どうやらこの海水と結合した魔素は“蒼黒”の意識に支配されているようで吸収できない。しかし彼の中には自ら魔素を放出するゲート化した“竜の心臓”がある。
(邪魔だ!!)
その心臓から汲み上げた魔素を放出し、吸収能力と組み合わせて渦を作った。回転する光に海水が押し退けられ、中心に空間が生まれる。同時に手足に絡み付いていた何かも千切れ飛んだ。
いける! 確信した彼は海面目指して跳躍する。数枚の障壁を蹴って駆け上がり、術士と共に空中へ跳び出す。
ところが、そんな二人を黒い影が追いかけて来た。
「このっ!?」
足場を兼ねた障壁を拡大し、追撃を防ぎながら上空へ退避すると、やがて触手は諦めたように海へ戻っていく。
(俺が狙いじゃない?)
変異種や竜なら執拗に追跡してくる。しかし蒼黒にとって、自分は優先すべき目標ではないらしい。
「げっほ! ゴホッ!!」
抱えられたまま、海水を吐き出してえづく術士の女。生きていたことを確認し、ホッと息を吐くアサヒ。
だが彼女は、すぐに彼の胸を叩いた。
「よ、余計なことしとらんと、はよ“核”を叩いて!」
自分の命など、どうでもいい。そんなことより蒼黒の本体、この怪異の元凶をどうにかしてくれと頼む彼女。
アサヒは頷き、手を離す。術士は自力で空に浮かび、彼方を指差した。
「この方向にあるはず、お願い!」
「わかりました。あの、どうかご無事で」
「こっちのセリフよ。助けてくれてありがと。もうヘマはしないから、行って!」
「はい!」
障壁を蹴って駆け出すアサヒ。直後、背後から悲鳴が上がった。また蒼黒が彼女に襲いかかったのかもしれない。
でも、アサヒは振り返らなかった。言われた通り“核”を叩くことに専念する。こんな状態が長く続けば朱璃達だって危ない。だから──
「すぐに、倒しますから!」
さらに強く踏み込んだ瞬間、彼は音速を突破した。