十二章・結意(3)
文字数 1,998文字
『班長、なんで』
「殿下っ!?」
驚く仲間達の間を抜け、朱璃は空を駆ける。できるという確信は無かった。しかし霊力を覚醒させて以来、彼女には見えるようになったのだ。術士達が霊術を使う際に編む術式なるものが。
正確には感じ取れるといった方が正しい。近くで見るか、あるいは触れることによって直感的にその術の仕組みを理解できる。まるで最初から知っていたことを、思い出すかのように。
この事実は誰にも明かしていない。月華達に妙な疑いを抱かれるかもしれないし、時と場合によっては彼女達に対抗するための切り札となる。その可能性があったから。
そう、だからもうわかっていた。どうやって空を飛べばいいのか──
「くっ!?」
──ただ、知識と実践はやはり別。生まれて初めての単独飛行。前方から放たれた高圧水流を躱しただけで、あっさりとバランスを崩してしまう。
瞬く間に地面が迫って来た。咄嗟に疑似魔法で風を起こし衝撃を和らげる。
「うぐっ!?」
肩から落ちた。骨が折れそうなダメージ。霊力障壁も併用していなければ確実に死んでいた。けれど彼女は、その反動を利用して再度の上昇をかける。両目は今もアサヒの声が聴こえて来た方角をまっすぐ見据えたまま。
直後、鮫型の竜が襲いかかる。鋭い歯が受かりを捉える直前、紙人形が割り込んで突進を阻んだ。動きが止まったところへカトリーヌが銃撃を浴びせかける。
「朱璃!」
敵の意識を引きつけながら叫ぶ。だが、たった一人の友人の声にも、やはり少女は振り返らない。そのまま頭上を覆う結界に向かって突っ込んで行く。
「殿下、危険です!」
「危ない!」
月華が通過を許可しない限り、障壁を抜けることはできない。だから激突すると誰もが思った瞬間、しかし朱璃は意外な行動に出た。さらに加速した上、自身を保護する障壁を消したのだ。
【ッ!?】
やられた! 咄嗟に通過を許してしまう月華。同時に朱璃は障壁を再展開し、結界外の海へ突っ込んで行った。
(憎たらしい子)
歯噛みする。あのタイミングでは、こうする他に無かった。こちらは立場上、極力彼女に生き残ってもらわなければならない。つまり、あの少女は絶好のタイミングで自らの命を駆け引きの材料に使い、我儘を押し通したのである。冷静さを失ったように見えてなお、この機転。流石と言わせてもらおう。
だがその時、朱璃には新たな脅威が迫っていた。海に飛び込んだ途端、彼女を保護する障壁に次々と“髪”が絡み付く。
ついには、その場に無理矢理引き留められてしまった。
「なっ!?」
動きが止まったところへ、さらに巨大なクジラの変異種が口を開けて迫って来る。このまま飲み込ませるつもりだ。
しかし、今度は後方で光が生じる。青白い霊力の輝き。それが凄まじいスピードで駆け上がって来たかと思うと、朱璃に絡み付いていた髪を切り裂き、何故か目の前でピタリと停まった。
「はぁ!? な、なによこれ?」
流石の天才も理解が追い付かない。なんと、その正体はホウキだった。クジラの変異種が迫ってくる中、再び頭の中で声が響く。
【貸してあげる。使いなさい】
月華の声だ。となるとこれは罠かもしれない。けれどもう、選んでいる時間は無かった。巨影が覆い被さり、飲み込まれる直前、反射的に柄を掴む朱璃。
瞬間、爆発が起きた。
「う、あ、あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!?」
海水を柄の先端で切り裂き、朱璃に掴まれたまま、信じがたい速度で水中を走るホウキ。完全に置き去りにされたクジラが口を閉じた時、すでに彼女達は海面から飛び出していた。
「う、おえええっ」
あまりの急加速に耐え切れず、胃の中のものを吐き出してしまう。
構わず、ホウキは遥か上空まで彼女を連れて飛び、やがて徐々に減速を始めた。同時に角度も変わっていく。
「ちょ、ちょっと、まって……」
何をする気か悟った朱璃は、少しだけ猶予をくれと頼んだ。ところが謎のホウキは主の怒りが乗り移ったかのように、聞く耳持たずに先端を彼方の海面へ向ける。
【体内の水分を操作しなさい。でないと死ぬわよ】
「──!」
再びグンと引っ張られる感覚。ホウキが加速していく。どんどん速度が上がる。人間が耐えられる限界の領域まで躊躇無く踏み込む。
ああ、そうか。そっちがその気なら、それでいい。凄まじいGに耐えながら朱璃は語りかけた。
「アタ、シ……を」
渾身の力を振り絞り、少しずつホウキの柄によじ登る。いや、角度的にはよじ降りると言うべきか?
「連れて……行き、なさい!」
とうとう跨ってやった。これも正しく言えば、しがみついたという状態。
海面が近付く。ホウキはやはりスピードを緩めない。朱璃は霊力障壁の維持に全神経を注いだ。
そして両者は夜空に尾を引き、再度海中へ突っ込んだ。