四章・覚悟(2)
文字数 3,583文字
「その通り。奴は魔素の影響を強く受けた生物、つまり変異種や魔素そのものである竜を支配して操作できる。
だが、どんな力にも欠点はある。奴の場合、対象の知性が高ければ高いほど操りにくくなるらしい。人間なら一人を支配下に置くだけで数分の時を要するだろう」
その説明を聞いた朱璃は「ん?」と眉をひそめる。
「アンタ、今まで操られてたんでしょ? 人間並みかそれ以上の知性があるように見えるけど?」
「我の場合、操られたというより同化されたと言う方が正しい。今この少年と一体化しているのと同じようなものだ。自我を有した魔素と記憶災害、良く似た存在だからこそ可能なことで、人間相手では同じようにはいかん。逆に記憶災害が奴に同化されると、知性に関係無く支配下に置かれてしまう」
「つまり、アンタもまた同化されて敵に回る可能性があるわけ?」
「いいや」
シルバーホーンは再び笑った。
次など無い。あれは、もう二度と自分を操れない。
「この少年──アサヒと共にある限り、我は傀儡にならん。この少年は特別なのだ。記憶災害でありながら奴には操れない。だから賢しくも母親の姿を借り、味方に引き入れようとまでした。失敗に終わったがな」
「……」
思い返す朱璃。その話はたしかにアサヒから聞いた。彼が偽のシルバーホーンにトドメを刺そうとすると、母・
「何が特別なの? たしかに人間を再現した記憶災害は珍しいけど、同化されたら知性の高さに関係無く支配されるんでしょ?」
どんな事象にも必ず理由がある。全ての記憶災害に適用される一〇分間の維持限界から外れていることもそうだが、彼だけが特別だというなら、そこには必ずそうなった原因があるはずだ。
しかし、その質問に対するシルバーホーンの回答は、初めて曖昧なものだった。
「……神、だろうな」
「は?」
流石に予想外だったようで、戸惑う朱璃。そんな彼女から視線を外し、天井を見上げる巨竜。昔を思い返すような表情でポツポツ語り始める。
「伊東 旭は、かつて奴等と接触した。この世界の伊東 旭ではなかったかもしれないが、とにかくどこかの“伊東 旭”が“始まりの神々”と出会い、影響を受けた。我もかつて“影”の支配下には置かれていたが、本物ではなかった。その差だろうな。真の神の力は並行世界の垣根すら超え、全ての同位体に影響を及ぼした……」
そこまで独り言のように呟き、ふと目線を下ろす。朱璃を見つめ、最初と同じく探りを入れた。
「覚えていないのか? あの場にいたはずだぞ」
「待ちなさい、さっきから何の話よ?」
「忘れたのか」
確認すると、彼は興味を失ってしまった。その言葉にも態度にも意味不明な点は多いが、詳しく語るつもりは無さそうだと察し、朱璃も一旦追及をやめる。
「とにかく、アサヒと一体化している間なら、アンタも操られないのね?」
「そういうことだ。それもまた、お前達との共闘を望む理由の一つ」
幸い、利害も一致している。もう一つ重大な事実を教えてやれば、人間達にもそうだとわかるだろう。
一方、朱璃は白い大蛇の能力について、さらに確認を行う。
「変異種や竜をけしかけて来たのがあの“蛇”の仕業だったとして、どう考えても遠隔で操作してたわよね? 距離はどの程度までいけるの?」
「正確な限界値は知らん。前回自分で追跡して来たことからわかるように、さほど長射程ではないはずだ。だが特定の条件を満たした場合、大幅に伸ばせる」
「条件?」
「他にもあるかもしれんが、我が知っているのは二つ。魔素を大量に含む水脈で繋がっている土地。ただし海水と結合した魔素には干渉できんようだ。だから水量の多い川や地下水脈にさえ注意すればいい。
もう一つは夜になること。奴の精神波は日光の波長と相性が悪い。だから夜間は射程が伸びる。お前達、というより、この体を狙って変異種共が襲って来たのは、二度とも夜になってからだったろう?」
「なるほど、日光ね」
特に驚きもせず納得する朱璃。彼女もすでに、敵が夜に変異種を操る、操りやすくなるという事実は状況証拠から察していた。
一方、秋田から来た調査官達は彼女の説得に取りかかる。
「で、殿下……」
「やはり、あの少年を王都へ連れて行くことは……」
アサヒの危険性を改めて訴える彼等。シルバーホーンを体内に宿し、それ以上の怪物に狙われている存在。そんなものを連れ帰ることは自殺行為に等しい。常識的に考えたなら、たしかにその通りである。
しかし、それでもやはり彼を頼るしかない。アサヒとシルバーホーンを味方として受け入れる以外に、選択肢など存在しないのだ。
やはり朱璃だけが気が付いていた。
「……アンタが、アサヒの中の“心臓”に宿っていたのは必然ね」
「……その根拠は?」
「さっき自分で言ったじゃない、日本語を学ぶ機会には事欠かなかったって。オリジナルの“伊東 旭”と対話してたんでしょ? なら彼は、わざとそうしたのよ。あえて人類の天敵であるアンタをアタシ達の元へ送り込んだ。自分の
「……」
「何故? 理由はいくつか推察できる。でもアタシは、これが一番可能性が高いと思うの。彼にとっても怨敵だったアンタを頼らなければならないほど敵は強く、そして人類全体が、いや、惑星全体が切羽詰まった状況に立たされている」
違う? 目で問いかけて来た彼女を、シルバーホーンは今度こそ声に出して称えた。
「素晴らしい。この世界の人間は奴以外どれもこれも下等な存在だと思っていたが、認識を改めよう。星海 朱璃。貴様は我が認めた二人目の例外だ。その頭脳には大いに価値がある」
「どうも。おためごかしはいいから、さっさと答えなさい。アンタ、それを説明したくて自分から会談を申し込んだんでしょ?」
そう、今回の対話は彼の方から持ちかけた。同じ体を共有する同居人のアサヒを通じて申し出た。
「貴様の考えている通り、人類は──いや、この惑星の生物は全てが死滅の危機に瀕している。何も手を打たなければ近い将来、必ずその瞬間は訪れる」
「なっ……」
「それは、どういう……?」
司令官も調査官達も、愕然として彼の言葉の続きを待つ。
けれど答えたのは、彼ではなく彼女。
星海 朱璃は辿り着いた。
世界の危機の真相に。
「アサヒと伊東 旭。そして伊東 陽の三人だけが持つ無限の魔素吸収能力。さらに世界でアンタのものだけしか確認されていない“消えない竜の心臓”……つまり、あの蛇には魔素が必要なのね? それも、この星の生命を死滅させるほど膨大な量の魔素が」
──二五〇年前、月から溢れ出した大量の魔素。それに地球が汚染され長い時が経ったことにより、人類も他の種も多かれ少なかれ魔素に適応し、それを利用できる体に自らを変異させた。進化と言ってもいいかもしれない。
しかし、その代償として体内の魔素が枯渇した場合、死に至るリスクも背負ってしまうことになった。
あの蛇を放置することで全生物が死滅するとしたら、他に原因は考えられない。魔素の枯渇。地球全体に満ちた魔素が一点に集約すること。その予兆ともとれる現象を自分達はとうの昔に目撃している。
東京を覆う、渦巻く魔素の壁を。
「アサヒが“渦巻く者”になって、初めて目の前で能力を使った時から思っていた。あの渦は東京を囲む雲に似ていると。そして案の定、もう一体のアンタがアイツを追って来た時、雲も一緒に移動した。
つまり、あの壁はアンタに化けていたあれが、例の蛇が作ってるのよ。いや、正確にはアレの中に取り込まれたオリジナルの伊東 旭と、彼の母親の持つ力。それによって形成されている」
「そうだ」
「アサヒを狙っているのは、さらに魔素の集積効率を上げるためね。アイツは三人目まで手に入れるつもり」
でも一つだけ、肝心なところがわからない。
「なんのために? アイツはどうして魔素を集めたいの?」
「流石に、そこまでは貴様にもわからんか」
恥じることは無い。ここまで自力で辿りつけただけで十分に驚かされた。アサヒの姿を借りた巨竜は、囚われの日々を思い出し、その中で得た情報をついに語る。
「奴の名は“ドロシー”という」