七章・幻日(2)
文字数 3,614文字
(それに大阪が壊滅した場合、こっちの人間は死に物狂いで攻め込んで来るでしょうね)
最悪、自分達を人質に取って地下都市の明け渡しを要求するかもしれない。そんな事態は避けたいところだ。重要な戦いは、もう一つ控えているのだから。
月華によると次の“蒼黒”襲来までは六日しか無いという。敵は一ヶ月に一度、大阪を目指して押し寄せる。次は八月一三日。
「八月はね、一年の中で最も奴の力が強くなる時期なの。援軍の到着が間に合って本当に良かったわ」
微笑む月華。
朱璃の隣で、アサヒは首を傾げる。
(お盆だから?)
死者の魂が故郷へ帰りたがって、それで力を増すのかもしれない。まあ、実際にそんな単純な理由ではないと思うが。
馬鹿げた考えを振り払いつつ立ち上がると、月華に呼び止められた。
「アサヒ様、貴方は私と来てくださらない?」
「え?」
「作戦を万全なものとするために、ちょっとした訓練を受けてもらいます。危険が無いと言えば嘘になりますが、試練を乗り越えられた時、貴方は格段に強くなる。蒼黒との戦いでも、その先で待つ“蛇”との戦いでも、この経験は大いに役に立つでしょう」
つまり“人斬り燕”と戦う前に朱璃達とやったような訓練? あるいは、もっと単純に稽古をつけてくれるという話かもしれない。
「……えっと」
返答に迷いつつ朱璃を見ると、彼女は問われるより先に答えた。
「行きたいんでしょ? 行って来なさい」
「ありがとう」
実際、強くなれる方法があるなら、なんでもやっておきたい。言葉にする前に気持ちが伝わったことを喜び、破顔するアサヒ。その笑顔を見た朱璃がそっぽを向いたことには気付かず、月華の背中を追いかけて退室する。
入れ替わりに、マーカスが近付いて来た。
「朱璃」
「あによ?」
「ふてくされんな。ヤロウはオマエを置いてったりしねえ」
「珍しいじゃない、アンタがアイツの肩を持つなんて」
「話を逸らすな。わかってんだろ、もう?」
自分も、それを理解できたから態度を変えたのだと、言外に告げるマーカス。彼の顔を見上げ、朱璃はしばし戸惑うように目を泳がせてから、問い返す。
「アンタは信じてるの? アイツを」
「……ああ」
「そう、アタシより早く、そうできてるのね」
「朱璃……」
マーカスは目を見開き、数年間見守って来た少女が初めて見せる表情に驚いた。
そしてすぐ、目を細めつつ白い歯を見せる。
「オマエにもできるさ」
「だと、いいんだけどね……」
珍しく気弱な発言に、彼はやはり、かえって喜びを覚えるのだった。
「えっ? ここですか?」
月華に案内された場所。その前で立ち止まり、眉をひそめるアサヒ。そこは彼と朱璃が大阪滞在中の寝室としてあてがわれた、あの部屋だった。
「ええ、貴方がすることは、ここで寝ること。それだけ」
「寝る?」
再び訝ってから、ハッと目を見開く彼。
顔を真っ赤にして後退る。
「ま、ままままま、まさか!? 駄目です! 俺には朱璃が──」
「馬鹿、変な勘違いしないの。こんな身体で貴方みたいな図体のでかい子を誘うわけないでしょ。それに私は、今でも夫に操を立ててるんだから」
「あっ!? そ、そうですよね……すみません……ああ~」
とんでもない誤解をしてしまったと、己を恥じて頭を抱える。
対する月華は嘆息しつつ苦笑い。
「まあ、私の言い方も悪かったわね。思春期の子なら仕方ないわ。殿下を見るに、貴方はどうも年下好きのようだし」
「い、いや、そんなことは……」
「冗談よ。ともかく、お互い様ということで下世話な話はおしまい。じゃあ早速、そこのベッドに横になってくれる?」
「……」
月華が促しても、アサヒはなかなか従おうとしない。
半眼になって問い質す彼女。
「まさか、まだ疑ってる?」
「いえ、その……」
「ハァ……もういい、力づくで進めるわ」
「ええッ!?」
──突然、アサヒの体は回転して逆さまになった。見えない何かに足を掴まれ宙吊りにされる。
月華はそんな彼を、いともあっさりベッドの上へ投げ飛ばした。
「うわっ!?」
「本当、若い頃の彼にそっくり。反応まで同じだなんて」
「ちょ、あ、あの?」
動けない。足を掴んだ見えない何かが、さらに全身に絡み付いてがんじがらめになっている。そういう感触だけはある。
月華は戸惑う彼に構わず、周囲に箱を置き始めた。数は四つ。それぞれ天面に春夏秋冬の文字が一字ずつ。
彼女はさらに、袖口から取り出した符をアサヒの額へ貼りつけた。
「ほいっ」
「んあ!?」
ぱんぱんと手を払い、問いかける彼女。
「日本が南北に別れて戦争をした話は、知ってる?」
「あ、はい。一応は……」
北日本の教科書に書かれていた。ただし詳しい記述は無く、朱璃達からも詳細な説明を受けたことは無い。
「たしか、何日かで終わった小競り合いだったって……」
「そう。しかも実際に戦ったのは、私と貴方のオリジナル、二人だけ」
「え?」
「当時の彼は、今の貴方と大差無かったわ」
月華は懐かしそうに目を細める。
「その時にも、こうやって投げ飛ばした。実際のところあれは、私が稽古を付けてあげただけね。彼はまだ、自分の力を十分に使いこなせていなかった」
表情は優しい。それでもアサヒを拘束した謎の力は緩まない。
「言っておくけど、その“糸”は腕力では切れない。魔素を使えば切れなくもないけれど、どうせすぐにまたグルグル巻きにされるんだから大人しくしてなさい」
(糸?)
言われてみれば、体に食い込んだそれは糸のような細い物体に思える。
「さて、ではこれから眠ってもらうわけだけれど、その前に今回の訓練の目的を説明しておきましょう」
「お、お願いします」
理由もわからずこんな目に遭わされては、彼としてもたまったものじゃない。アサヒが下手に出ると、月華は上機嫌で頷き、言葉を続ける。
「貴方とオリジナルが共通して持っている力、無限の魔素吸収能力。周囲に旋風が生じるほどの吸引力で周辺の魔素を引き寄せ、己がものとする。なのに他の生物から魔素を奪うことはない。その理由、知ってる?」
「えっと……」
それも一度、朱璃から説明を受けたことがあったはずだ。
思い出したアサヒは、さほど間を置かずに答える。
「意思……生物には意識がある。それが防壁になって俺の能力の干渉を防ぐって、たしかそう聞きました」
「正解」
水分と結合し大気中を漂っているだけの魔素は簡単に吸収できる。それは意識という名の壁に守られていないからだ。術士が使う障壁も、霊力によって意識の壁の干渉力を高め、物質世界にまで影響を及ぼせるようにしたもの。
一方、呼吸や飲食により水分と共に生物の体内へ取り込まれた場合、魔素はその個体の意識によって守られ、吸収能力の干渉を受け付けなくなる。アサヒが力を使っても味方が被害を被らないのは、この特性のおかげ。
「魔素はね、人の意識によって支配できるの。意識下で隷属しているそれは勝手に体外へ抜け出したりはしない。同時に、ある程度なら意識によって“暴発”を抑えることも可能。剣照閣下のスタンガンを受けた貴方が、そうしたように」
──たしかにあの時、電流を浴びたことで暴走しかけた魔素を、意思の力により封じることができた。
「ということは、あの状況を再現するつもりですか?」
「違う」
呆れたように息を吐く月華。そういう顔をすると、どことなく朱璃と似ているようにも見えた。
「貴方の足を治してあげた時、私が言ったことを思い出しなさい。全身が魔素だからこそ、貴方は常人以上に自身の心からの影響を受けやすい。そのおかげで“暴発”を抑え込めたわけだけれど、逆に精神が弱かったからこそ魔素の暴走を許したとも言える。
この試練の目的はそれ、心の強化。魔素に対する支配力を高めるため、貴方には今から夢の中で“鍵”を探してもらいます」
「鍵……?」
「必要なの。自滅しないためだけでなく、あの“蒼黒”に打ち勝つには、どうしても鍵がいる」
「はあ……」
とてつもなく重要なものだというのは、笑みを消し、真剣な眼差しを向けて来た彼女の表情を見て理解出来た。
しかし、あまりに漠然としすぎている。
「あの、それで、その鍵って結局どんな──んぐっ!?」
突然、額に貼られた符から何かが流れ込んで来た。それが強引に彼の意識を深い闇の底へ押し込んでいく。
完全に夢へ沈む直前、月華の言葉が耳に届いた。
「答えを教えては意味が無い。私の師匠が言ってたわ。教わっただけの知識なんて意味が無い。自力で探し、辿り着いた答えだけが自分の血となり肉となる……ってね」