一章・提案(2)
文字数 3,249文字
「ええ、言葉足らずでしたが、我々としても恒久的に彼の身柄を預かりたいと言っているわけではないのです」
「つまり一時的な措置だと?」
「そう、たった一度ご助力いただければ結構。期間は一ヶ月とお約束しましょう」
「まあ……」
──意外な展開になってきた。眉をひそめた王国の顔触れに対し、彼女はさらに説明を続ける。
「おそらく、ご存知だとは思いますが」
前置きして女王の目を見据える。からかうような顔が、知っているぞと如実に物語っていた。南にも北のスパイが潜伏していることなど、とっくの昔にお見通しだと。
しかし、本題はそれではない。
「我が国は度々“
「え……?」
驚いて声を上げたのはアサヒだったが、彼ならずともその告白には瞠目する。
南日本が壊滅寸前? しかもその情報を敵国に明かすとは──挙句に月華は、それでもなお余裕の笑みを崩していない。
「こちらの情勢は筒抜けでしょうから、隠す必要はございません。むしろ話が早い。我々が切羽詰まった状況にあることは、すでにご承知の通り」
「ええ」
焔もそれを認めた。カトリーヌがこちらに潜伏していたように、北も数名の
「では、あなたがたの要求とは、彼を“戦力”として借りることですか?」
「はい。元々、オリジナルの伊東 旭殿とそういう契約を結んでおりました。
「そちらの国会が、その条件を認めたのですね?」
「もちろん。危急の時ですので、多少強引な形にはなりましたが」
(そう来たか)
どうやら満場一致で決まった話ではなさそうだ。それでもこの自信、必ず押し通せると確信しているからだろう。彼女の名前を考えれば、実際大きな発言力を持つことは想像がつく。
天王寺 月華とは、いわば南の伊東 旭。
北日本の英雄に並ぶ“魔女”の名だ。
(──さて、彼をこの話に乗らせるべきか、それともやはり引き留めるか?)
焔は交渉の流れを如何に導こうか迷った。この決断はおそらく、南のみならず北の未来にも深く関わってくる。
一方、アサヒの中では心変わりが起きていた。
(南日本が、そんなことになってたなんて……)
彼には負い目がある。巨竜シルバーホーンの体内から自分をサルベージしてくれたのは南日本。なのにかの国の人々に対し、まだ何も返せていないことだ。北へ渡ったのは成り行きの結果だし、それを選択したのは南の術士・
そして、たった一度、一回限り向こうへ行って手助けすればそれでいいと相手が言ってくれている。なら当然、彼としてはこの話に乗りたい。乗りたくなった。
でも、どのタイミングで切り出せば? 国家間の話し合いの場で勝手に発言できるほど豪胆な性格でもない。さっきのようにゲストから話しかけられるか女王の許しを得る必要がある。なのに、なかなかタイミングが見つからない。彼はそわそわしながらチャンスを窺う。
すると彼でも焔でもなく、意外な人物が切り込んだ。
「──失礼。あなた方はつまり、彼に貸しがあるからそれを取り立てたいと、そう言っているんですね?」
開明である。アサヒより先に、何故か彼が口を挟む。先を越されたアサヒは鼻白んだが、月華に向けられた瞳に強烈な敵意を感じ、察した。
(そうか……)
開明にとって、彼女は親の仇かもしれないのだ。三週間前のクーデターの際、彼の父が自ら語っていた。事が成った暁には王国を解体し、南の傘下へ降ることになると。すでにそう密約を交わしていると。
彼の母が殺められた三年前の“人斬り燕”の事件も、発端は犯人である彼の父・
もちろん、そうしたのは剣照自身の意志。とはいえ、きっかけを与えたのは彼に霊術を教え、国盗りをそそのかした人間。そこに南の術士達を束ねる月華が関わっていなかった可能性は低い。
開明は静かに怒りの炎を燃やし、目の前の童女に質問を重ねる。
「貸し借りの問題なら、あなたがたも我が国に対し大きな借りを作ったはず。まずそちらから清算すべきでは?」
対する月華は、彼を横目で見つめるだけに留め、澄まし顔のまま返す。
「別個の問題であり、優先順位ではこちらが上と考えます」
にべもない回答。それでも開明は、なお食い下がる。
「いいえ、先程陛下が仰ったように、今の彼は星海家の一員です。彼が借りたなら王国の借り。そして我々が貸したなら、それは彼の貸しでもある」
そこでようやく月華は、この少年が何を言いたいのか理解した。今度は椅子の上で体の向きを変え、真っ直ぐに相対する。
(面白い)
自らの身に降りかかった悲劇を、最近出会ったばかりの少年のため利用した。この子もやはり“星海”の血筋。
「つまりアサヒ殿を救出した“貸し”は、先日の一件の“借り”で相殺されている。そう仰りたいのですね?」
「ええ」
(ええっ?)
それは強引じゃないかと訝るアサヒ。だが、焔はこの流れに乗った。
「一理あると思います。ただし開明、お客様から話しかけられない限り、私の許可を得てから発言なさい」
「申し訳ございません」
祖母にたしなめられ引き下がる彼。けれど、その悔しそうな顔は自分で月華をやりこめたかったと語っている。怒りのあまり眼帯の下の傷が開き、血が流れ出していた。
朱璃がハンカチを差し出す。
「垂れてるわよ。これで拭きなさい」
「ああ、本当だ。ありがとう、後で洗って返すよ」
「別にいいわ。それハンカチじゃなくて銃の手入れ用の布だもの。元々消耗品」
「……どうりで変な臭いがするわけだよ」
そんな小声の会話に苦笑を浮かべ、同時に月華に対し頭を下げる焔。
「申し訳ない。なにぶんまだ幼いもので、このような場での作法を知らず」
「構いません。血気盛んな若者は、むしろ好ましく思います」
開明の行動を許す月華。刹那、未来ある若者達の輝きに目を細めた後、再び童女の面へ老獪な笑みを張り付ける。
対する焔も顔を上げ、その穏やかな笑みの下に鋭い闘志を忍ばせた。アサヒは無意識に両者の気迫に圧され、寒気を感じて身震いする。
(こ、この二人、どっちも迫力あるな……)
今さらながら、朱璃が女王を“怖い”と評した理由を理解できた。多分この人は朱璃と同じで目的の為には手段を選ばないタイプ。しかも朱璃以上の権力を有していて年季まで入っている。
「ところで“一理ある”とは、どのような意味でしょう?」
わざとらしく小首を傾げる月華。その一言から言葉による剣戟が始まった。
焔は小畑の淹れてくれた茶で喉と唇を潤し、戦闘準備を整える。カップを置くと、まず小手調べの一撃。
「……アサヒ殿は我等の身内。なら、彼の借りたものは我々にも返す権利がある。開明のその主張のおかげで、一つ両国のためになることを思いつきました」
あえてクーデターの件には触れず、そう述べる彼女。返してもらう権利ではなく、返す権利をこそ主張する。
そして彼女の口から飛び出したのは、またしても驚愕の提案。
「貴国に福島をお譲りしましょう。半分以上使えなくなっておりますが、望まれるのなら仙台の地下都市も付けます。アサヒ殿が先程のお話を断った場合、その二つと先日の一件の貸しを合わせて手を打っていただくというのは、いかがでしょう?」