三章・実験(1)
文字数 5,911文字
また、それとは別にシャフトの内壁に埋め込まれたかつての点検用小型エレベーターを水力式に改造して稼働させており、数人ずつならスロープを使うよりも早く地下と地上の間を行き来可能だ。
そのエレベーターは昔のようにAIで制御されているわけではない。なのでかご室内に運転席が設けられ運転士が一人常駐していた。アサヒ達が乗り込んだそれの運転士は小柄な老人。少年少女と護衛隊士という奇妙な組み合わせを見て眉をひそめる。
「なんだ、お前さん達? ここは陸軍が管理しとる施設だぞ」
旧エレベーターシャフトは外敵の侵入路にもなり得る設備。そのため現在では西以外の三基に陸軍が常駐して守っている。西だけは海に近いため海軍の管轄だ。彼等が漁に出て獲って来た魚介類の搬入に使われているので常に磯の香りがする。
「ま、ここからなら一般人の目には触れないし、もういいでしょ」
そう言ってカツラを外す朱璃。その下から現れた赤い髪を見て、運転士の目はギョッと見開かれた。
「お、王太女殿下!?」
「通達は来てるはずよ。実験のため地上へ出る。さっさと連れて行きなさい」
旧時代のものに比べるとゆっくり動作する水力式エレベーター。それに乗ってシャフトの最上層まで移動した三人は、今度は地上へ通じるスロープを徒歩で上がり始めた。
「そういえばそうだった……点検用エレベーターは地上に直通じゃないんだ」
「アサヒ様は、ここの構造にお詳しいようですね」
「え? あっ、大阪にいた時に見たことがあって」
「なるほど」
大谷が納得してくれたことに内心胸を撫で下ろすアサヒ。発言には気を付けなければ。自分が本当は旧時代の人間のコピーだということは秘密なのだから。
今のは不味かったかな? 確認のためこっそり
「……何?」
「いや、アンタって本当に馬鹿ねと思っただけよ」
「なんだよそれ」
言われなくたって知ってる。自分は朱璃のような天才ではない。
唇を尖らせつつ進んだ先でスロープは途切れ、道が壁の中に向かって折れ曲がっていた。その細い通路のゴツゴツした壁に触れ、今度は眉をひそめる。
「なんかここだけ、後から掘ったような……」
「実際、後から掘ったものだもの」
朱璃のその言葉の意味は、細く長いトンネルがより大きな別のトンネルに繋がった時点で理解できた。
「そうか……これ予備脱出抗か」
「そういうこと」
旧時代、彗星の衝突に備え地下都市とこの巨大エレベーターシャフトは造られた。当時、設計者達はこう考えた。計算通り地球に彗星が衝突したなら、衝撃で大量の土砂と海水が空中高く吹き飛ばされ、やがて再び地上に降り注いで来るだろう。
その場合、堆積した土砂や海水に阻まれてしまい巨大エレベーターで地上へ出ることは叶わないかもしれない。だから正規の出入口が塞がれてしまった場合に備え、シャフトを取り巻く形で螺旋状のトンネルが用意された。そこから重機を地上近くまで運び、障害物を除去して新たな出入口を確保する計画だったのだ。
「アタシ達調査官は遠征の時に馬を連れて行くけど、その場合はエレベーターやスロープを使うより地下都市から直接こっちに入って上がって来た方が早いのよね。どのみち一番上の隔壁は安全のため常に閉鎖されてるから、地上へ出るには必ずここを通らないといけないし」
シャフトの内壁から迫り出して来る構造の隔壁は、地上と地下を隔てる一枚目以外全て少しだけ端を開けた状態になっている。その隙間にスロープを通して上下を行き来できるようにしたわけだ。だが一番上の隔壁だけは外敵の侵入を阻むため開けられない。そこでシャフトを取り巻く予備脱出抗へトンネルを掘って繋げ、遠回りながらも安全に行き来が可能な別ルートを作った。予備脱出坑にも隔壁はある上、シャフト内の巨大なそれと比べれば短時間で開閉が可能。さらに構造的に直上から敵が襲って来ることになる向こうより、狭い坂道で戦えるこちらの方が迎撃を行うには都合が良い。
そんな説明を聞いて「よく考えられてるなあ」と感心するアサヒ。対する朱璃は再び嘲笑を浮かべた。
「時間をかけて少しずつ改善していっただけよ。むしろ、たっぷり時間をかけてまだこの段階で足踏みしているノロマな先人を恥じるべきだわ」
「またそんなことを……」
この子は憎まれ口を叩かないと気が済まない性格なんだろうか? 形ばかりの許嫁とはいえ、時々周囲の人々に嫌われてやいないかと心配になる。
ちなみにエレベーターシャフト内もこの予備脱出抗も光源は魔法の照明だけなので地下都市内に比べると薄暗かった。こちらでは地上からの採光システムが導入されていないからだ。元々こんな風に使うことは想定していなかっただろうし、しかたのない話である。
予備脱出抗にはところどころ歩哨が立っていた。彼等は朱璃の姿を見るなり一様に敬礼する。ただ、さっきの運転士のように驚いた様子は無い。調査官をしている彼女が地上へ出ること自体は珍しくないからだろう。兵士達にとっては見慣れた姿なのだ。
しばらく進むと出口と思しき扉があり、その前に立っている二人の青年が朱璃に許可証の提示を求めた。王太女であっても無許可での通行は許されない。
もちろん実験のために許可を取りつけていた彼女は特異災害対策局・局長の署名が入った書面を見せる。あっさり正式なものであることが認められ扉が開いた。重そうな扉なので隔壁なのではと思ったのだが、どうやら後から設置された代物らしい。まあ隔壁なら手動での開閉にはこちらのものでも数分かかったはずだし、利便を考えると普段は全て開けたままにしておく方がいいのだろう。
「あれ?」
扉の先で上り坂は終わっていたが、しかし今度は平坦な通路が続いている。てっきり外へ出る扉だと思っていたのに。
「これは?」
通路の壁は、再びこれまでのものと質感が異なっていた。素材はおそらくコンクリートなのだがキメが粗い。先を行く朱璃が振り返って回答する。
「出口が丸見えになってちゃ駄目でしょ。上から岩に偽装したこの建物を被せて隠蔽してあんのよ」
「そっか」
たしかに出入口が剥き出しになっていたら簡単に発見されてしまう。多分隣接するシャフトの方も一枚目の隔壁をなんらかの方法で隠してあるのだろう。
「ん? でも福島のは……」
「アンタがシルバーホーンと戦った時のアレのことなら一応隠してあったのよ。アンタを誘導して来る前に皆でカモフラージュを解いたの」
そうだったのか。あの戦いの時、朱璃達も自分からは見えないところで色々と頑張ってくれていたようだ。今さらながら感謝に尽きない。
(一対一だったら、多分俺が負けてただろうしな)
あの巨大な竜を倒せたのは奇跡みたいなものだ。次も彼女達と協力しなければ勝ち目は薄い。
だからこそ、この体内にいる怪物も大人しくしている。
(頼むからおかしなことはしないでくれよ?)
いよいよ外界が近くなってきたところでアサヒは緊張を覚えた。もし、これがこいつの狙いだったなら? 己の中の怪物を疑い、警戒心を向ける。
彼の体内には福島で倒したのと同じ、人類に“シルバーホーン”と名付けられた巨竜が同居している。やろうと思えば、あの竜の姿になることも可能だ。
福島で倒した敵は“こいつ”に言わせれば“偽者”らしい。というのもアサヒの体内にある高密度魔素結晶体“竜の心臓”は本来シルバーホーンの核だったものだからだ。この結晶にオリジナルの“伊東 旭”の記憶と人格を転写して生み出されたのが彼という存在なので、こちらに宿ったシルバーホーンの意識こそ正統であり向こうは偽者、なのだそうである。あくまで
彼はその偽者との戦いの最中、一度だけシルバーホーンの姿になり、敵に痛烈な一撃を見舞って撤退させた。あれ以来、赤い巨竜が表に出て来たことは無い。けれどその意志は時々語りかけて来る。
『力を貸せ。奴を倒すために』
この怪物がアサヒに主導権を委ねているのは、どうやらそのためらしい。己の姿と力を盗んでいた“真の敵”への復讐。それを成し遂げるためにはアサヒの協力が不可欠。彼の手を借りるつもりなら人類と敵対してはいけない。だから今は人間とも共闘する。単純で、それでいて理性的な判断だと思う。
三ヶ月の付き合いで徐々にわかってきたが、この巨竜は見た目通りのただの獣ではなく高度な知性があるようだ。下手をすると自分より賢いかもしれない。表に出て来ないのも朱璃の感情を不必要に刺激しないため。そんな計算高い性格でもある。
──朱璃の父は東京を調査していた時、この“シルバーホーン”によって殺害された。だからアサヒは半分、彼女の親の仇なのだ。
朱璃はどうして自分との婚約をあっさり受け入れたのだろう? 福島までの道中、彼女の仇討ちにかける執念を目の当たりにする機会が幾度かあった。あれだけ憎んでいた相手と結婚させられることになって悔しくないのだろうか? それとも彼女の中ではアサヒとシルバーホーンは完全に別個の存在として認識されているのか? これまで何度も考えてみたが、結局答えはわからない。本人に問い質すのが一番早いことはわかっているものの、気が引けて今の今まで訊けず終いだ。
「王太女殿下、話は伺っております。どうぞ、お通りください」
大岩に偽装してある小さな砦の出口で、再び兵士が扉を開けてくれた。爽やかな風が吹き込み、光ファイバーを経由していない素の太陽光との久方ぶりの対面を果たす。なんだか懐かしい気分だ。
その光の中、朱璃が振り返る。
「ほら、行くわよ」
まるで子を導く親のように手を差し伸べる彼女。そこでようやくアサヒは大変な失敗に気付く。
彼女はこれをデートだと言ったじゃないか。だからいつもと違う服で来てくれた。
わかっていたのに口に出して言っていなかった。研究室を出る時、呆れた表情をさせてしまったのはそのせいか。
「朱璃」
手を握り返しながら呼びかける。
「あによ?」
「その服、似合ってるね」
「……」
少女は珍しく驚いた顔になり、それからニヒッと口角を持ち上げた。
「何をらしくないこと言ってんの? いいから行くわよ」
相変わらずの憎まれ口だが、こころなしか機嫌が良くなったようにも見える。
「はいはい」
本当に喜んでいるのか、それともこちらの思い過ごしか、アサヒにはまだ見分けがつかなかった。
「よう、アサヒ!」
「友之さん」
外に出てすぐ、この時代における数少ない“友人”を見つけ駆け寄るアサヒ。朱璃が率いる星海班の一員で若手の特異災害調査官・
「今回の実験に参加するんですか?」
「地上だからな。お前はともかく、研究員のみんなにゃ護衛が必要だろ」
「なるほど」
今の地上は地下とは比べ物にならない危険な場所だ。考えてみれば戦闘員が必要になるのも当然の話。
「森の中なんですね、出口」
周囲は鬱蒼と木々の茂る森だった。一応、歩きやすいように下草などは伐採されてあるのだが、頭上は枝葉に覆われている。砦から少し離れてしまうと、また地下に戻ったかのような錯覚に陥るほどの薄暗さ。
その砦は、なるほどたしかに岩のような外観をしていた。あれなら上からは本物の岩にしか見えないだろう。
「なるべく上空の敵に気付かれないようにしないとな。変異種相手ならオレら普通の人間でも戦えるけど、福島の時みたいに“竜”に襲われたら倒すのは無理だし」
竜とは、魔素がなんらかの生物を模した生物型記憶災害──中でも大型で強力な個体に対する総称だ。より厳密に言えば、アサヒの体内にあるシルバーホーンの核と同じ高密度魔素結晶体を有するものだけがそう呼ばれる。
竜の大半は高い戦闘能力を持ち、なおかつ体内の“竜の心臓”からもたらされる膨大な量の魔素によって強力な再生能力までも有する。逆に体内の結晶を破壊してしまえば巨体を維持できず短時間で消滅することが確認されているのだが、現時点でそれを成し遂げたのは英雄・伊東 旭と彼のコピーであるアサヒの二人だけだ。他に竜を倒せた人間は存在しない。
倒すことはできないが、他にも竜に打ち勝つ方法はある。竜だけでなく、あらゆる記憶災害には“維持限界”という共通のルールが適用されるからだ。原理は未だ不明なのだが発生から最大一〇分間を過ぎると記憶災害は分解を始め、そのままただの魔素へと戻る。
つまり人類が記憶災害に遭遇した場合、基本的に時間稼ぎこそが最善の策となる。耐えて、逃げて、隠れて、一〇分を経過させてしまえば相手は勝手に消えてくれるのだから。
「おはよう」
「班長、おはようございます」
朱璃に声をかけられ、即座に挨拶を返す友之。
だが、その後に言葉が続かない。アサヒがついさっきの過ちを思い出して「あ……」と呟いた直後、今度は女性の声が響く。
「班長、おはようございます。今日はお洒落ですね」
「おはよう、小波」
声をかけてきた長身の女性に対し、頷きながら挨拶を返す朱璃。彼女は友之とアサヒを交互に見やると、心底蔑むような目でハッと笑った。
「アンタら、ほんと駄目ね」
「まったくです」
大谷まで同意してしまう。ようやく自分の失敗に気付いた友之と、同じ失敗を経験したアサヒは肩をすぼめてうなだれた。
「すいません……良く、お似合いです」
「そういうの気が回らなくて……」
「何? あんた達、まさか班長がいつもと違う格好なのに気が付かなかったわけ?」
嘆息する長身の女性。その名は
「気付いてはいたんですが……」
「同じく」
「だったらちゃんと褒めなさい。常識でしょ」
そういうものなのか。アサヒはまた一つ知識を身に着けた。よくよく考えると旧時代も女の子と付き合ったことなんて無かったので、そういうことには本当に疎い。
(よく結婚出来たな、オリジナルの俺)
伊東 旭はドロシー・オズボーンなる外国人女性と結婚したらしい。その二人の子孫が朱璃達、現在の王族だ。