十一章・開戦(2)
文字数 5,014文字
『す、すげえ!?』
頭上を見上げ驚く
「アンタ、これを単独で……?」
流石の朱璃も驚嘆するしかない。霊力に目覚めたからこそわかる。月華の持つその力はあまりに桁違いだと。
「いくつかの強力な呪物による補助は受けているけれど、まあ、おおむね私の霊力によるものよ。昔から霊力の強さだけが自慢でね」
得意気に頷いてみせる月華。ただし、その額には早くも珠の汗が噴き出していた。当然だが、あの結界を維持し続けることで相応の負荷を受けているらしい。
「やはり、前回よりもさらに力が増している……正直言って、今回は朝まで保たせるのは無理よ」
蒼黒は夜更けを待って訪れ、夜明けと共に去って行く。彼女は天井が失われて以来かれこれ四十年ほど、この結界によって大阪を守り続けて来た。そして今夜、とうとう限界を迎えた。やはりここが正念場。
「さあ、ここからが本番だぞ」
術士隊の隊服、巫女に似た装束に着替え、たすき掛けをしたカトリーヌが長刀を構える。背中には一応、MW二〇三もマウントしてあった。魔素に比べればゆとりがあるが、霊力とて無限に使える力ではない。いざとなったら疑似魔法にも頼らせてもらう。
彼女の見上げた先で、障壁を透過し、侵入して来るものがあった。
『あ、あれって……!?』
同じものがさらに数体。別種も複数。結界の外でどんどん数を増やしていく。その全てが内部へ入って来る。
『りゅ、竜だらけじゃないッスか!?』
叫んだ友之の横で抜刀する斬花。
「いつものこと、と言いたいですが……」
「ここまでの規模は、ボクたちも初めて見ましたよ」
烈花の顔も青ざめている。彼女達にとってもこれは予想外の展開。
蒼黒には記憶災害を生む力がある。海中にはシビレエイなど体内で強い電力を作り出す生物がおり、それらを操ることで記憶災害発生のトリガーを引かせる。
もちろん、彼等の生み出す電力など落雷に比べれば遥かに小さいエネルギーだ。しかし蒼黒は無数の人間、その死者の意識の集合体であり高い知性を備えている。つまり北日本で発展した疑似魔法と同じ仕組み。より具体的なイメージを可能とする人類の知性は脳内の微弱な電気信号だけで大きな記憶災害を生み出す。だから蒼黒も数匹の発電生物を確保しておくだけで大量の“竜”を発生させられる。
「は、話が違う……」
震えて後退る護衛隊士。似たような光景を見慣れている術士達でさえ気後れする状況だ、仕方ない。
事前の打ち合わせの際、敵が障壁を通過して来ることは聞いていた。月華はわざとそうするのだと。蒼黒そのものの圧力に加え、竜や巨大変異種の攻撃にまで晒されたら結界が保たない。だからあえて尖兵を迎え入れ、自身は障壁の維持に努める。入って来た敵は術士隊に処理させる。それがいつもの戦法。あれらの竜は蒼黒に操られているわけではなく、挑発することで簡単に結界内へ呼び込める。
だが、こんなことは初めてだ。蒼黒がここまでの猛攻に出たことは過去二〇〇年以上の歴史の中で一度も無い。その全てを見て来た月華自身が保証する。
(助っ人を呼んだことに気付いたわけ? あるいは、あの坊やに脅威を感じた?)
なんにせよ、相手もここで決着をつけるつもりらしい。
「か、母様……」
「大丈夫よ風花。皆、しばし持ち堪えなさい! 彼は必ず、やってくれるわ!」
震える娘の手を握りつつ、月華は全ての子供達を鼓舞する。そして同時に、すでに遥か彼方へ遠ざかった気配に向け精神波を飛ばし、語りかけた。
(そこよ! その真下にいるわ!)
直後、完全に巨体を侵入させた怪物達が次々に襲いかかって来た。怯えていた風花が眦を吊り上げ、吠える。
「母様には、絶対に近付けさせない!」
彼女の発生させた竜巻は数匹の“竜”を弾き、押し返した。そこへ他の姉妹達が一斉に反撃を仕掛ける。
「堪えろだなんて生温い! らしくないッスよ、母様!!」
「ええ、いっそ、全部倒してしまいましょう!」
炎を投げつけ、刃で斬り裂く烈花と斬花。その二人の間を抜け、さらに前へ出た姉達が飛翔術を発動させ宙に舞い上がる。
先頭を行くカトリーヌが紙人形を投げつけ、印を切った。竜の吐き出した高圧の水流を小規模結界が捻じ曲げ、敵自身に叩き返す。
「その意気だ、一歩も退くな! 母様は風花が守る! 私達は結界を強化する四方の呪物の防衛だ! いつもと違って朝まで戦う必要は無いぞ、決着はすぐにつく! 力の全てを振り絞れ!」
直後、彼女を狙って別の竜が鎌首をもたげたが、別方向から飛来した火球が顔面にぶつかり、それを怯ませた。
一瞬だけ振り返ったカトリーヌに対し、親指を立てる友之と小波。
二人の後ろにいる朱璃も対物ライフルを構え、スコープを覗きながらペロリと下唇を舐める。
「さて、それじゃあ改良したコイツの威力も試してみようかしら」
これまでMWシリーズは疑似魔法を増幅する杖でしかなかった。でも、今は違う。朱璃の全身から放たれた青白い霊力が銃身の中を通過し、銃口の先端で集束した。この数日間、優先すべき知識だけを学び、それを早速取り入れた成果。銃身やグリップに刻んだ文字と新たに組み込んだ触媒が術式を構築し、術士が言うところの神霊に呼びかけ、注ぎ込んだ霊力を対価に“理”へ干渉する。
MWシリーズは今、本物の“魔法の杖”と化した。
「計算通りなら、消費は従来の二割程度。アタシの回復力も考慮した場合、ほとんど撃ち放題って話よ!」
もちろん、弾が尽きるまでは──頭の中で補足し、トリガーを引いた瞬間、白い閃光が敵の首を貫いた。
【そこよ! その真下にいるわ!】
脳内に直接響く月華の声。これも霊術? 不思議に思いつつアサヒは素早く次の行動へ移る。シルバーホーンの力を借り、全身を霊力障壁で包むと、大きな水柱を立てて真下の海面へ突入した。
重力に引かれ、真っ暗な海中に沈んで行く彼。途端、魔素で形作られた球体に何か黒い物体が絡み付く。
「な、なんだこれ……」
手──いや、髪か? 細く黒い糸状のものが集合して無数の腕を形作っている。さっき手足に絡まって来たのも、海上まで追いかけて来たのもこれだろう。
一つ一つはか細いのに、締め上げられた障壁には瞬く間に亀裂が走り、ギシギシと悲鳴を上げ始めた。
(割られる!?)
危惧した彼は障壁の上方に手を当て、そこから右腕だけを突き出し、高圧の魔素を噴射する。その勢いで急速に沈降する球体。髪の毛の手は千切れて振り解かれる。
──水深は、あっという間に数十m。かなりの水圧がかかっているはず。なのに障壁はびくともしていない。魔素障壁と違って、そもそも霊力障壁は物理的な力で破壊するのが難しいと聞いた。カトリーヌも以前、北日本の兵士達から集中砲火を浴びたのに、独力でそれに耐え切っている。
だとすると、あの“手”はいったいどれほどの力で締め上げて来たというのか?
暗闇の中、またいつ襲われるかもわからない恐怖に震える。まるでホラー映画の一場面。幸いなのは、最初に飛び込んだ時のような激流ではないこと。このあたりは流れが不思議と穏やかだ。おかげで、ただまっすぐに降りて行けばいい。
【もう、かなりかなり近いはずよ。何か見えない?】
再び脳内に響く声。アサヒは目を凝らす。深海とはいえ、障壁の放つ輝きが周囲を照らしていた。数m先までなら辛うじて見通せる。しかし、蒼黒の核らしき物体はおろか海底すらまだ見えて来ない。
(そうだ)
思いついて周囲に魔素の照明を次々に放ってみる。しかし、やはり光の飛び行く先には何も見当たらなかった。
おかしい。こんなに深いものか? この辺りは以前陸地だったと聞いた。なのにあまりにも海底が遠い。
そう気付いた瞬間、障壁が何かに当たって動きを止める。
「な、なんだ?」
衝撃は無かった。柔らかいクッションのようなものが真下にある。海草? だが魔素の光の範囲には何も見えない。あるのはただの暗闇──いや、違った。
「ひっ!?」
それがなんなのかわかった途端、無数の“目”が彼を見た。障壁を止めたのは膨大な量の“髪”で、隙間から人間の目がいくつも見開き、彼一人を注視している。
「な、なんだよこれ!?」
咄嗟に攻撃しようとする。けれど、その腕に絡み付くものがあった。
髪だ。細い髪が数本、いつの間にか障壁内に侵入している。彼の中でシルバーホーンも驚愕した。
【術を解析して突破しただと!?】
──そうか、術士だ。蒼黒の中にはこれまでこの怪異と戦って倒れた術士達の魂も取り込まれている。その知識を利用された。
「う……」
障壁の向こう側に、びっしりと張り付いた髪と無数の目。あまりにもおぞましい光景が本能的な恐怖を呼び覚ます。
「ああっ……うああああああああああああああああああああああああっ!?」
アサヒが取り乱した途端、彼を保護していた球体は砕け散った。
──さあ、おいで。
それらは手招きする。
──君も一緒に行こう。
心細い。だから仲間が欲しい。
──沈め、腐れ。
自分達はそうなった。ゆえに妬ましい。
──ああ、また……。
泣きじゃくる魂。犠牲者が増えたことを嘆く、そんな心も混ざっている。
(……そう、か)
直感的に理解出来た。いや、ようやく実感した。月華の話はこういうことだったのだと。蒼黒はたしかに記憶災害とは違う。もっと恐ろしい怪異だ。何かを“核”にして死者の念が集まった領域。混沌とした思念の海なのだと。
(壊さなきゃ……)
夥しい数の意識が絡み合い、渦巻いている。だったら目指すものはこの渦の中心にあるはず。アサヒは必死に手足を動かし、そこへ泳いでいこうとする。
障壁を壊されたことにより、空気も失われた。呼吸できない。けれど大丈夫、この体は作り物。息を吸わなくたって死ぬことは無い。
疲れないし、朽ちることも無い。だからきっと、目指す場所まで行ける。
しかし、そんな彼に亡者達が話しかけて来た。
──同じやね。
違う。
──お兄ちゃんも、うちらとおんなじ。
違う。
──なんで? 疲れることも朽ちることもあらへん。そないなもの、生きていないのと同じでしょ。君はコピーや。とっくにおらん人の影法師。そんなん、うちら死人と同じやないの。
違う。
──もう、頑張らんでええんよ。私らと一緒におったらええ。星が滅んだかて、この海の中だけは永遠が続く。終わりなんて、いくら待っても来ぃへんねや。
だからって。
──いいから、身を委ねなさい。
──もうすぐ、なんもかんも終わり。
──待っとればええ。
──この場所に、全ての命の源に、全ての命を還しましょう。
──坊や、楽になってええんよ。よう頑張ったね。
嫌だ。
嫌だ、嫌だ。
優しい言葉に、甘い言葉に逆らって、アサヒは必死にもがき続ける。でも、そんな彼を封じようと再び髪が絡み付いて来た。無数の目が見つめ、どこからともなくクスクス響く声が、無駄な努力を嘲笑する。
(朱、璃……)
目指す場所に彼女の姿を重ね、必死に手を伸ばした。あと少し、あとほんの少し。もう目と鼻の先。何故かそんな確信がある。
だが、だからこそだろう。敵はついに本気を出した。
──無駄やって。
(!?)
全身に絡み付いた髪が力を込める。肉が潰れ、骨が砕けた。魔素で作られた肉体は即座に再生を始める。けれど、治った端から再び壊されてしまう。それでも──
(あと、少し……!!)
なお諦めようとしない彼の姿を無数の目は不思議そうに見つめる。そして何かに気付き、囁いた。
──ああ、痛みを遮断しているのか。
──だったら、穴を空けさせてもらうよ。
直後、数ヶ月ぶりの“痛み”がアサヒに襲いかかる。
「ッ!?」
信じ難い激痛に悲鳴を上げる少年。呼吸を必要としない彼は、それでも窒息できないし気を失えない。
──ほんま、かわいそうな子や。
──でも、全部終わるまでは、そのままでいてな。
──すぐや。すぐに終わらせたるよ。
次の瞬間、今度は右腕を引き千切られ、傷口から髪が侵入して来た。