終章・双竜(2)
文字数 4,291文字
【お、大きい……】
さっきの街とは比べ物にならない大都市。初めて見る街だが、やはりアサヒは既視感を覚える。
【似てる……秋田に……】
【うむ……】
中心に建てられた白い尖塔を始めとして、全体的なデザインや建物の配置が地下都市の方の秋田と良く似ているのだ。
だとしたら、この街を築いた人々とは──
【あっ】
再び警鐘が鳴り響く。宙に浮かぶ彼の姿を見つけた街の人間達が騒ぎ出す。
【今度は逃げるなよ】
【わ、わかってる】
若干引け腰ではあったが、街の方へ近付いて行くアサヒ。降下前に人間の姿に戻らないと攻撃されるかもしれない。そう考えていると、ライオが警告を発した。
【待て、街の手前に降りろ】
【え?】
【不可視化されているが、かなり強力な霊力障壁が都市全体を覆っている。触れたら我等でもただでは済まんぞ】
人の姿に戻り、地面に足を下ろしたアサヒは、おっかなびっくり進んで行った。兵士達が都市全体を囲む高い防壁の上から彼を見つめ、固唾を飲んで押し黙っている。
どうして何も言って来ないんだろう? 日本語が通じるか知りたいのに。
そして、もう少しで入口の大きな門まで辿り着くというタイミングで、重厚な鉄扉が内から開かれた。
地響きを立て、予想外のものがそこから姿を現す。
「なっ、なっ、なっ……!?」
それらは門へ続く道の左右に規則正しく整列した。巨人。全長五mはありそうな甲冑を身に着けた騎士達が居並び、彼を見下ろしている。
やっぱりここは異世界なのか?
落胆した彼に、唯一、道を塞ぐように正面に立った巨人が問いかける。
『問う! 貴方は何者か!』
日本語だ。一転、パッと顔を輝かせ、アサヒはしどろもどろで説明する。
「あっ、あ、あの……俺! アサ、アサヒって言います! 俺のこと、知ってる人います、せん、か? もしかして、ここ、えっと、秋田ですか!?」
その返答を聞き、騎士達はざわついた。
明らかに驚いている。
『やはり……!』
『ついに、ついにご帰還なされた!!』
『アサヒ様だ!』
「え? へ? えっ……」
彼自身も驚き、そして疑念が確信に変わる。この巨人達は自分を知っている。だったら、やっぱり、ここは──
「……秋田だ」
「そうです、よくぞ、よくぞお戻りになられました」
正面の巨人の腹部から蒸気が出たかと思うと、甲冑の一部が下向きに開き、中から女性が顔を出した。
あれ? と首を傾げる彼。どことなく見覚えがある。
彼女は問われる前に名乗った。
「私は
そして彼女は、左右に居並ぶ騎士達へ命ずる。
「全員、ハッチを開け!
同じように腹部のコックピットを覆っていたシールドが開かれる。中に座っていたパイロット達が立ち上がり、アサヒに向かって敬礼した。視線は上向きに。けっして目の前の彼を見下してはいけないとでも言うように。
中には涙を堪え、そのためにいっそう上を向いている者達もいた。
「りゅう……おう……?」
なんのことだ? たしかに自分は初代王の模倣体だけれど、そんな称号を貰った記憶は無い。
【とにかくついていってみろ。そこで答えはわかるだろう】
巨人から降りた駿河に先導され、街の中を歩いて行くと、誰も彼もが建物から外に出て彼を見つめて来た。
「竜王様……」
「アサヒ様が、とうとうお戻りに……」
「よかった、これで……」
やはり、多くの人達が自分を“竜王”と呼ぶ。
無数の視線に晒され、びくびくおどおどしながら歩き続けた彼は、やがて大きな広場で立ち止まるよう促された。
「こちらで、少しお待ちください」
「え? あの……」
何も無い。本当に何も無い広場だ。噴水だとか銅像だとかベンチだとか、そういう物が何一つ設置されていない。恐ろしく広いのに、あるのは石畳だけ。それも普通の石畳ではなく、自然の岩というか、とにかくすごく硬そうな岩石を頑張って均した感じ。
「ここは、あなたとの再会のために用意された広場です」
「ここが?」
歓迎の式典か何かを催してくれるのだろうか? それにしては殺風景だが。
「あの……」
急に、駿河は探るような目を向けて来た。
「私の顔に見覚えはありませんか? よく、似ていると言われるのですが」
「似ている?」
いや、たしかにさっきから、そんな気がしている。誰かに似ているのだ。でもなかなか思い出せない。
「これではどうでしょう?」
ヘルメットを外す駿河。その下からボリュームのあるクセッ毛が現れた。
「あっ!?」
やっと思い出すアサヒ。そうだ、この童顔。少し猫を思わせる目付き。そしてクセッ毛。彼女にそっくりじゃないか。
「お、大谷さん!?」
「子孫です。そうですか、やはり、そんなに似ているのですね」
嬉しそうにヘルメットを被り直す彼女。
逆に、アサヒは愕然とする。
子孫? 本人ではない?
それは、つまり──
「……何年、経ったんですか?」
「お答えできません」
「どうして!?」
「禁じられています」
「誰にですか!」
「すぐに、わかります」
彼女は視線を持ち上げた。都市の中心に立つ高い尖塔、その頂点を見つめる。
すると、ちょうど何かが飛び出して来るところだった。
「全ては、あの方からお聞きください。私には、猊下の楽しみを奪うことなどできませんから」
「あれ、は……」
見上げる先で、塔から飛び出した影は大きく翼を広げた。見覚えある形のそれを悠然と羽ばたかせ、一旦高く上昇して滑空に移り、頭上を旋回する。
「ああ……お喜びです」
「……」
赤いドラゴン。
ライオより、少しスマートな。
アサヒには何故か、それが誰だかわかった。
舞い降りて来る。姿を変え、小さくなって、飛翔術で落下速度を落としながら、静かにアサヒの目の前に降り立つ。駿河が再び敬礼した。最大級の忠誠を示す。
彼女はアサヒの顔を見て、呆れ顔でなじる。
「ずいぶんとまあ、遅いお帰りだったわね」
「……何年、経った?」
「また二五〇年よ。アンタ、本当はもしかして、この周期で発生する昆虫か何かなんじゃないの? 季節が千回も変わってんのよ。どんだけ待たせるんだって思ったわ」
「……そんな……」
アサヒはその場で膝をついた。というか、立っていられなくなって崩れ落ちた。
罪悪感で胸がいっぱいになる。あの時の選択が、あまりにも残酷な結末を生んだのだと改めて後悔する。
「ごめん……」
そう言って俯く彼の姿に、見守る人々はざわついた。悲しんだ。
それでは、あまりに酷い話だと。だって彼女は──
けれど、顔を上げられない彼の頭を、優しく持ち上げる両手。
「冗談よ。婆さんから聞いたわ、アンタはアンタで大変だったんでしょ。ここへ戻ろうと必死に頑張ってたそうじゃない」
「朱璃……」
そう、目の前にいるのは朱璃だ。
何故か、あの頃と同じ姿の。
「どうして……?」
「あのね、二五〇年経ってんのよ? 本当なら、しわくちゃの婆さんを通り越して跡形も無く風化してるわ。だから変わっておいたの。アンタと同じ“竜”に」
「でも、どうやって……」
記憶災害なら維持限界がある。よくわからない力でそれを突破した自分以外は一〇分で消滅してしまうはずだ。
「忘れた? アンタの他にも、維持限界を突破してくれる依代があるでしょ」
「あっ」
そうか、母だ。
あの時、伊東 旭によってプログラミングされ、元の世界へ帰還したはずの母の抜け殻。たしかにあれなら──気付いたアサヒの目の前で、朱璃のスキンスーツの下の胸が燐光を放つ。我が子の帰還を喜ぶように。
「この杖が戻って来た時、思ったの。アンタは必ず約束を守る。アンタの母さんが帰って来れたんだから、アンタともいつか、また会える。だから待つことができた。そのために自分を“竜”にもできた」
約束通り、彼は帰ろうとしていた。
諦めず、前に進み続けた。
そんな夫を、どうしてなじれようか。
「おかえりアサヒ。もう、二度と私を置いてかないで」
「うん……約束する」
いや、約束するまでもない。自分だって、そうしたいんだ。再会した少女の胸に抱かれ、泣きながら誓うアサヒ。絶対に手離さない。やっと掴んだ、この温もりを捨てはしない。
ここが二五〇年後の世界であることも、かつての仲間達ともう会えないことも今だけはどうでもいい。
彼女にまた会えた。それが全て。
「おめでとうございます、竜后様!」
「お二人に祝福を!」
「ああ、竜機兵全機、祝砲を!」
駿河が通信機らしきものに向かって命じると、街のあちこちから花火が上がった。普通の火薬ではありえない演出を可能とする疑似魔法の花火。美しい色とりどりの光が二人の頭上を鮮やかに彩る。
「立って、ほら」
朱璃に急かされ、立ち上がるアサヒ。
頭の位置が逆転した。互いに最愛の伴侶の顔がよく見える。
彼女は、この瞬間を待ち望んでいた。二五〇年間、ずっと、ずっと。
「これからは、ずっと一緒よ、ダーリン」
「んぐっ!?」
飛びついてキスをする。初めてのあの時のように驚く夫。街中から歓声が上がり人々は祝福した。彼女の長い長い恋物語の、その幸福な結末と、これからの二人のやはり末永く続くであろう幸多き未来を。
そうあってほしい。彼と彼女は、それだけの苦難を乗り越えて来たのだから。
【まさか、この我が……人の
ライオもまた、最も近い場所で二人の幸福を願う。
これからもずっと、見守ることを誓って。
この日、日本皇国に竜王アサヒが帰還した。
彼の妻、竜后朱璃の長年の忍耐と努力が、ようやく報われた瞬間だった。
現国皇・
三月二六日。人々はこの日を“双竜の日”と呼ぶ。離れ離れになった人や運命の相手に出会える、そんな縁起の良い日だとされている。
少年と少女は、数百年の間、人々を見守り続けた。再び人類が世界に広がっていくのを手助けして、さらなる繁栄に導き、やがて──もう自分達の庇護が必要無いと判断すると、別れを告げて二人だけで旅立った。
彼等がどこへ行ったかはわからない。けれど誰もが確信している。魔素という心の影響を強く受ける物質で形作られた二人は、記憶を保存し続ける物質によって再現されたあの番は、これからもきっと互いを愛し続けるのだろうと。比翼の鳥が、連理の枝を連ねるように。
宇宙が終わる、その時まで。
あるいは、さらに永く。