序章・因果
文字数 2,253文字
突如、一人の老婆が賑やかな都市の中心に現れ、数人を驚かせる。自分に対し注目する者達の顔をじろりと見渡すと、口角を歪めながら問いかけた。
「なんだい? アタシの顔に何かついとるかね?」
「え、いえ──」
気まずい顔で去っていく中年の女。他の者達もそそくさ逃げ去っていく。そんな複数の背中を見送り、今度はふむと頷いた。
「ニホン語は通じるようじゃ。まあ、どう見てもここは日本か。賑やかだし、東京と見て間違い無いね。レインさん、リクエスト通りだよ、ありがとう」
『どういたしまして』
答える声があったが、その声は彼女にしか聞こえない。
──はずだが、驚く者がいた。
「あれ? 今、声が……?」
少女は目を見開き、老婆にしか見えない存在がいる場へ視線を注ぐ。その様子からして、姿までは見えないらしい。
「ほう……」
自分と同じ≪
「まあいっか、はい、おばあちゃん」
「ん?」
少女はいきなり、手に持っていたビニール傘を差し出す。訝る老婆へ照れ臭そうな顔でさらにずいっと突き出した。
「傘、持ってないじゃん。アタシは彼氏のに入れてもらうから、これあげるよ」
「おお、そうかい。これはこれは、ご親切に。ありがとうねえ」
雨など魔力障壁で防げる。だから必要無いのだが、せっかくの厚意を無碍に断ることもあるまい。素直に受け取り、じゃあねと言って背中を向けた彼女が走り去る前に、その背へ問いかけた。
「お嬢ちゃん、名前は?」
「なんで?」
「いつか礼をするよ。アタシゃ義理堅いんだ」
「ハハッ、なら期待して待ってる。アタシ、アキラ。伊東
「イトウ……?」
さっき想起したばかりの人物と同じ姓。まさかと思って振り返ると、彼女以外には見えない存在がコクリと頷く。
『伊東 旭様の、お母様です。この世界ではまだ、彼を産む前ですが』
「なんとまあ」
縁とは面白いものだ。いや、自分の中にある“彼女”の因子がこの運命を引き寄せたのかもしれない。魂は、いつか必ず巡り合うというやつだ。
「そうかい、会えるかもと思っていたけれど、彼はまだ産まれておらんのか。位置座標はともかく、時間軸はだいぶんズレちまったんだね」
『申し訳ございません』
「仕方ないよ、時間の流れってのは世界によって異なるんだもの。とはいえ、そうなるとしばらく暇を潰さなきゃあならん。一旦、他の世界にでも──」
今後を思案していた彼女は、そこでふと顔色を変える。
「むうっ……!」
街頭ビジョンに映し出されたニュース映像。イギリス在住の天文学者が発見したという新発見の彗星について報じている。その情報を目にした途端、久方ぶりに予知が発動した。どうやらこの世界にも“
それが危険を訴えている。
「そう来たか……“崩壊の呪い”とは関係無く汚染されるんだね、この世界は」
月、彗星、重力に引かれて呼び込まれ、地球全体を包む銀の光。予知できたのは断片的な情報だけだが、彼女は“魔素”をよく知っている。この世界が近い未来どのような地獄と化すかは容易に想像がついた。
これは、潰す暇など無くなりそうだ。
(あの彗星そのものをどうにかするか……?)
それが最も平和的な解決手段である。しかし上手くいくとは限らない。自分が今ここにいる、なのにこのような予知が浮かんで来たその事実が、失敗する可能性を示唆している。確率のほどはわからないが。
神ならざる者には、あらゆる物事を解決することはできない。一時、それに近い万能感を味わったことがあるだけに余計に無力感を感じる。
それでも、できることはあろう。ならば、あとは実行するまで。
「人間は皆、自分にできることを精一杯やるしかない……そうですよね、先生」
透明な傘越しに水滴が落ちて来る灰色の空を見上げた。余計な力に目覚めたせいで故郷を離れ、流れて来たが、今度はその力のおかげでやるべきことが見つかったわけだ。
さっきの少女を思い出す。お節介を焼く、その口実としては悪くない。
「この傘の分、恩返しはするよ、お嬢ちゃん。どこまでできるかわからんが、可能な限り助けてみせるさ。この“最悪の魔女”に任せておきな」
今、再び世界を救う。
決意を固め、ヒナゲシはその場から歩き出した。
少年もまた、歩き続ける。
荒野を、砂漠を、氷原を、溶岩の川が流れる黒い大地の上を、どこまでも振り返らずに歩いて行く。
立ち止まるな。足を止めなければ、いつかは辿り着ける。
「
【諦めるな】
一人ではない。それが救い。
励まされ、また一歩前に踏み出す。
「帰るから……」
最愛の人の笑顔を思い浮かべ、目の前の絶望を切り払う。
「俺は絶対……帰るから……」
どこまでも大地を歩き、空を落ちて、海を泳ぐ。
土の無い世界。水の無い世界。星が見えない世界。夜が明けない世界。
どれも全て、彼女がいない世界だった。
それでも諦めはしない。
【そうだ、諦めるな】
「うん……」
約束を忘れない。絶対に挫けない。孤独に折れたりはしない。
歩き続けろ。
いつか必ず、また、彼女に会えると信じて。
今はただ、前に進むだけ。