終章・双竜(1)
文字数 3,285文字
荒野を幾昼夜も休まずに歩いた。灼けた砂の上を這いずって進んだ。オーロラの下で氷の原を歩き続けた。溶岩の川が流れる黒い大地で、どこまでも振り返らずに前進した。
立ち止まるな。足を止めなければ、いつかは辿り着ける。
「
【諦めるな】
一人ではない。それが救い。
励まされ、また一歩足を踏み出す。
「帰るから……」
約束した、最愛の人の笑顔を思い浮かべ、目の前の絶望を切り払う。
何度挫けそうになっても、心が悲鳴を上げても、辛くても、あの日々の思い出が休息を許さない。前に進め、約束を守れと自分に言い聞かせ続ける。
彼女が泣いているかもしれない。
泣かないで欲しい。
会いたい。
「俺は絶対……帰るから……だから……」
どこまでも大地を歩き、空を落ちて、海を泳ぐ。
土の無い世界。水の無い世界。星が見えない世界。夜が明けない世界。
どれも全て、彼女がいない世界だった。
それでも諦めはしない。
【そうだ、諦めるな】
「うん……」
約束を忘れない。絶対に挫けない。孤独に折れたりはしない。
歩き続けろ。
いつか必ず、また、彼女に会えると信じて。
今はただ、前に進むだけ。
『……やれやれ、やっと見つけたわ』
眠りの中、どこか懐かしい声が聴こえる。
あと、変に甲高い声も。
『ピピピッピ、パッパラ、ポプル!』
『なるほど、行き倒れていたから拾ったと。ありがとう、彼に代わって礼を言うわ』
誰だっけ? ちょっと怖い、でも、安心もできるような、そんな声。
『プルー、ペプルー、コトロロロロロ……』
『そう、そんな凶暴な獣がいるの。それなら、この子を保護してくれたお礼に懲らしめておいてあげる』
『ピッポー!?』
『ああ、大丈夫大丈夫。十分に歳を食ったからね。この婆さんに任せておきなさい』
『ペポ?』
『こう見えて、けっこういい歳なのよ』
──それからしばらくして、誰かに背負ってもらっているような、そんな感触があった。子供の頃、母の背で眠っていた時のおぼろげな記憶が蘇る。
『まったく、手間をかけさせてくれたわね。とっくの昔に捕捉はしていたのに、ころころ移動するものだから追いつくのに時間がかかったわ。
まあ、彼女は許してくれるわよ。約束を守るためだったんだもの。よく頑張った。これだけの長い時間、諦めずにいたことは褒めてあげる』
ああ、やっぱりこれは母さんだ。
きっと、まだ母の背にいるのだ。
『……ごめんなさいね。すぐに探しに行こうにも、あの戦いで赤子になってしまったものだから、時間が必要だった。私の能力にはバグがあってね、本当はこんな代償、必要無い。おかげで一人ぼっちになってしまった』
大丈夫、母さんは僕が一人になんかしない。
『そう……優しいのね。でも、その優しさは私じゃなく一番大切な人に向けてあげなさい。今度こそ、絶対に手離しちゃ駄目よ』
一番大切? それは、母さんのことで──
いや、違う、そうじゃない。
『守ろうなんて、そんなことは考えなくていい。ただ、一緒にいてあげればいい。素直に自分の気持ちを伝えて、誠実に彼女の気持ちを受け取って、そうやって共に生きて行けばいいのよ。坊やならきっと、それができるわ』
温もりが離れて行く。
遠ざかる。
「か──」
アサヒは、去り行く母の幻に向かって、まっすぐ右手を伸ばした。
「母さん!」
しかし、目を覚ました彼が見たのは青い空。
「え……?」
体を起こしてみる。草の臭いがした。
どこかの斜面に寝かされていた。木々が周囲に林立している。地球型の惑星? こんな落ち着く風景は久しぶりに見た。
「なんで……いつの間に、俺……ライオ、何があったんだ?」
【我にもわからん。貴様が意識を失った後、こちらもしばらく休眠に入っていた】
ああ、そうか。ライオには七年に一度、休眠期がある。一ヶ月くらい眠ってしまうのだ。行き倒れたあのタイミングとそれが、ちょうど重なってしまったのか。
「ここ、あの星かな?」
もっと過酷な環境だったはず。その過酷な環境に順応するためか、とても小柄な二本足で歩くウサギに似た生物が生息していた。
直前、とんでもない化け物と戦った時に結晶にダメージを負ってしまい、彼自身も回復のため眠りに落ちたのだが……明らかに倒れた時の場所とは違う。
「確かめてみるか……」
跳躍し、空中に障壁を展開して降り立つ。周りの木々より高い位置から一帯を見渡すと、強い既視感に見舞われた。
「これ……この風景、俺、知ってるぞ……」
【なに?】
「そうだ、ここ、ここは……」
たしかに見覚えがある。向こうの山の形。あの平地。彼方に見える海の色。
「筑波、山だ……」
あっちの方角に、あの時は魔素の雲が渦巻いていた。東京があった場所。今は何も見当たらない。
確信が得られない。ここは本当に筑波山なのか? あの世界? よく似た別のどこかにたまたま飛ばされただけじゃないのか?
訝る彼の脳内でライオが先に気付く。
【アサヒ、足下を見ろ】
「え? あ──」
この高さまで上がらなければ、気が付けなかったかもしれない。きっと、彼がこうすることを予測した誰かが残していってくれたのだろう。
林の中に、石を並べた矢印があった。
【この方角へ進め。そういうことではないか?】
「……」
やはり確証は無い。でも、夢の中で自分を背負っていた母の姿を思い出す。
そのせいで、彼女が導いてくれているような、そんな気がした。
「行こう」
どのみち、自分にはまだ立ち止まることは許されない。あの日の約束を果たすまで前に進み続ける。
矢印の指し示す方角を見据えた彼に、半身が提案した。
【もしもここがあの世界なら、我に一計がある】
「一計?」
【向こうからも、我等の姿がよく見えるようにしてやるのだ】
アサヒは空を飛んだ。彼自身の姿ではなく、赤い巨竜となって悠然と大空を舞う。
【あ、あそこ!】
すぐに彼は、驚くべきものを見つけた。
【道路がある! 整備された道が通ってるぞ!】
【ほう、たしかに】
ライオも感心する。たった一本だけだが、たしかにしっかりと整えられた道が北東方向に向かって伸びていた。
【どこに続いてるんだろ……? ちょっと見に行ってみよう】
【おい、また迷うぞ】
【少しだけ。気になるんだ。お前なら方向わかるだろ】
【まったく……】
呆れながらも眼下の道を辿って飛んで行くと、やがて街が一つ姿を現した。
【街だ!】
小ぢんまりとしているが、たしかに人が暮らす場所だ。大勢の人間がこちらを見上げて騒いでいる。
地上に都市がある。なら、ここはやっぱりあの世界ではないのかもしれない。
しかし、アサヒはまたしてもそれを見つけた。大きな矢印。
それと怒りを示す記号。漫画なんかで怒ったキャラの頭に描かれる、あの青筋が浮いているかのような、あれだ。
【寄り道をするなということではないか?】
【……】
ライオに呆れられても、アサヒは来て良かったと思えた。ここはやっぱり地球なのだと確認できたから。でなければ、あんな記号を描くはずがない。あの街にいる人々も日本人に見える。
しばらく眺めていると、やがて警鐘が鳴らされ始めた。
【あ、まずい!】
【おい待て!】
ライオの制止も聞かず、その場から飛び去ってしまうアサヒ。矢印の示した方向へ一目散に逃走する。
【さっきの連中に話を聞けば良かっただろうが!?】
【あ……そ、それもそうか……】
でも今さら引き返すのはかっこわるい。それに実を言うと、もう長いことライオ以外の相手と会話してないので、ちょっとだけコミュニケーションに不安があった。
【と、とにかくこっちへ飛んで行ってみよう。その先でまた街があれば、そこでちゃんと話してみるから】
【まったく……】
ライオはライオで長い付き合いからアサヒの性格を知り尽くしている。仕方ないと諦め、引き続き自分の体の制御権を委ねてやった。