八章・進化(1)
文字数 4,526文字
アサヒと別行動になってからしばし後、地上へ出た
不可解そうな彼女を見て、カトリーヌが問う。
「どうした?」
「いや……なんか、ね」
どことなく懐かしい気配を感じた。ここは生まれて初めて訪れる土地。共に北日本から来たメンバー以外、知ってる人間などいるはずもないのに。
気を取り直して再び辺りを見渡す。
「しっかし、なんにも無くなってるわね」
空が高い。遮るものが無いせいで日差しが強すぎる。風はあっても涼しくない。あまり長居すべき場所ではなさそうだ。
「根こそぎ持っていかれたからな」
荒涼とした風景を眺め、悲しむわけでなし、怒っているわけでもなし、ただありのままを受け入れた諦観の表情を見せるカトリーヌ。彼女は本来術士隊の一員だが、どうしても朱璃に護衛を付けたかった月華に、この戦いが終わるまで
──二人の言葉通り、地下都市大阪の直上、かつての大阪府があった場所は何もかもが削られ無くなってしまっていた。地下都市に続く裂け目の周辺は傾斜がついていて、それ以外の場所は真っ平。遮蔽物が無いから遥か彼方まで見渡せる。これでは写真を撮る意味も無い。朱璃はカメラをカバンにしまう。
「……大阪だけじゃないわね」
目安になる建物や山が無いため、目視では測り辛いが、大阪だけでなく周辺の都道府県まで更地になっているようだ。和歌山が海底に沈んだという話も事実だろう。あるはずの方向を見ても海しかない。
「霊術に頼るわけだわ」
霊術、魔法、陰陽、サイキック──オカルトじみた技や力は、旧時代には眉唾物でしかなかった。あったらいいな、面白そうだと考えるだけで、大半の人間はその実在を疑っていた。ハナから信じない人間も多かっただろう。
しかし“崩界の日”以降、北に超常的な力を持つ英雄・
けれど、この惨状を見るに別の理由もあったことは容易に察せられる。誰もが縋るしかなかったのだろう、眉唾でもなんでも不可思議な力に。溺れる者は藁をも掴むというではないか。
山林は本来、人に多くの恩恵をもたらす。地上で耕作できなくなった現代、自然に山菜や木の実が生産される環境は人の腹を満たす重要な食料源だ。木が生えなければ薪も取れない。獣が棲めない土地では、狩りだって出来なくなる。
だが霊術があれば、薪無しで火を扱える。空が飛べる術士達なら、山林がある場所まで遠出して狩りを行えるだろう。地上と地下、両方に深刻な被害を受けてしまったこちらの人々にとって、霊術は命綱なのだ。絶やせば自分達の生活も成り立たなくなる。
ふと、朱璃は地下都市へ続く谷に目を留めた。元々海に面した土地だけあり、海は目と鼻の先。その一部が川となって地下都市へ流れ落ちている。つまり例の瀑布。
人工の水路のようにまっすぐ流れて来るそれを指差し、問いかける。
「あの川は汚染されてないの? その“蒼黒”に」
敵は海と一体化している。なら海水や海棲生物にも危険があるのではないか?
さっき、ここへ上がって来る前に養殖場を視察した。地下都市大阪の水没地を利用して作られた巨大な生け簀。あれも南日本の貴重な食糧生産地。当然、汚染を許しているはずは無い。
だからといって決めつけては危険である。こちらが無いと思っても、そのはずだと推察しても実際には違うかもしれない。だから確認が必要。
「安心しろ、母様の結界が危険を弾く」
「汚染を除去できると?」
「汚染された生物が入って来られないのさ。霊力障壁は魔素障壁とは根本的に違うものだ。疑似魔法の障壁は魔素にイメージを再現させて形成した物質的な盾。霊力障壁は術者の心の壁、自他の境界線を拡張する精神的防壁だ」
「境界線?」
「自分と他人は違う。誰もがその事実を認識しているだろう? そうして創り上げた心の壁の中には、人それぞれの“世界”がある。そこに何を受け容れ、そして何を拒絶するか、決められるのは当人だけだ。霊力障壁とは、その境界線を操作して物質世界に干渉する技だと、母様からはそう教わった」
「つまりアンタ達の使うアレは、術者の認識次第で任意の対象を透過させられるってことね?」
「ああ。光や音、空気、そういったものを普段は透過対象に指定してある。その方が便利だからな」
「でしょうね」
疑似魔法で作り出す障壁は、彼女の言った通り物質的な盾だ。体内に蓄えられた微粒子を体内から放出し、脳が思い描いたイメージを再現させ形作る。だから空中に固定された状態をしっかり想像しないと、重力に引かれて落下してしまったりもする。
また物質的な盾だけに、あれらはあらゆるものを遮断してしまう。透明な盾を想像することで視界は確保できるし、音も障壁そのものが振動することにより伝わる。けれど周囲を完全に覆う形で展開した場合、空気は入って来られなくなる。
以前、シルバーホーンとの戦いの最中、魔素障壁で身を守りながら炎の中を突っ切ったことがあった。あの時、自分達は障壁内の酸素が尽きてしまうことを心配したのだが、仮に霊術を覚え、霊力障壁を展開できていたら話は違っただろう。透過対象を任意で変えられるということは、たとえば煙から有毒な成分だけを除去して酸素を抽出したりもできる。あの時のように障壁内を冷気で満たして熱から身を守る必要も無い。炎熱そのものを遮断すればいいのだから。
(本当、便利な術ね)
やはり確認して良かった。地下都市に流れ込む水の安全性云々より、霊力障壁の特性を知ることができた、その収穫の方が大きい。
(地下の魔素が薄い感じはしてたのよね。おそらく生活用水も霊力障壁を利用して魔素を取り除き、安全性を高めてあるんだわ。つまり──)
霊術があれば、魔素動力式パワーアシストスーツ・DA一〇二。あれを量産化する上で最大の難点を克服できる。
旧時代、パソコンと呼ばれた情報端末の中には“油冷式”という冷却方法を取り入れたものがあったそうだ。高熱を発するパーツを容器の中に満たした油の中へ沈めるのである。その方がファンを回し、空気の流れを作り出して冷やすより効率が高く、最大限の性能を発揮しやすかったらしい。
そこからヒントを得た朱璃は、人工高密度魔素結晶を作り出そうという実験の初期段階において、ようやく作り出せた極めて小さな結晶を油に浸してみた。実は油という代物は電気を通さない。極めて電導性の低い物質なのである。
それ自体は単なる安全対策だった。通電しなければ“記憶災害”も発生しない。そこを狙っただけのこと。
ところが別の利点が見つかった。数日後、厳重に管理され誰も接触できない状態で保管されていた結晶がさらに小さくなっていたことにより気が付いたのだ。魔素にはどうやら、記憶の再現が可能な環境へ移動する性質もあるようだと。ひとりでに縮んだのは、一部が拡散して外へ逃げ出したからではないかと。
そして、これを利用できないかと考えた。当時の彼女が生み出した結晶は自然界にあるもの同様、様々な記憶が保存された危険な物質。その記憶を取り除くことができれば純粋なエネルギー源として利用可能になる。
思いついた方法は単純だ。魔素が簡単に出ていけないよう、容器にフタをする。ただし完全に閉じ込めてしまってはいけない。少しずつなら外へ出られるようにしておく。
はたして、この試みは成功した。おそらく魔素は少しでも脱出の効率化を図ろうとしたのだろう。人間のような意思に基づく選択ではなく、粘菌がビーカーの中に作られた迷路を最短の手順で攻略してのけるのと同じように、本能的にそうした結果だ。
魔素は先に脱出した分に、保存してあった記憶の全てを託し、油で満たされた容器の中には純粋な、何の記憶にも汚染されていない結晶だけを残した。元より小さくなっていたけれど、たとえ電気に触れたとしても暴発事故を起こす危険性が無い安全な欠片。
後はさらに簡単だ。同じことを繰り返して必要な量の結晶を生成すればいい。そうして生み出されたのが友之と小波に使わせているDA一〇二の動力源というわけである。
ただし、この方法ではたった一つの“竜の心臓”を作り出すため、実に二週間もの時を要する。そのくせ一つでDA一〇二を稼働させられる時間は二〇分だけ。
「来た甲斐があったわ」
霊力障壁の特性を利用すれば、結晶の生成工程を大幅に短縮できる。安全な結晶一個を作り出すのに、おそらく一日とかからないだろう。
自分達北日本にとって未知の技術である霊術。これを解き明かせば、疑似魔法学もまた発展を遂げる。霊術側とて魔素を利用することにより、さらに上の次元へ到達できるかもしれない。
月華が自分に求めているのは、こういうことだろう。なら期待には応えられる。彼女に言われるまでもなく、そうするつもりだった。
けれど──
『アドバイスはしてあげる。霊術の基本でもあるからしっかり覚えなさい。霊術にとって最も大事な要素は霊力でも術式でもない。信じること、ただそれだけ』
昨夜の会話を思い出す。人を信じろと言われた。その意味も、多少なら理解できているつもりだ。
でも、まだ明確な答えは出せていない。答えというよりも、態度か。自分がどう接するべきなのか決められずにいる。
『本音を言うと、まだ少し期待してるの。貴女に足りないものは“勇気”と言い換えてもいい。魔力と違って勇気は誰にでも持てる。誰もが引き出すことのできる大きな力。勇気さえあれば、貴女は“偉大な魔女”になれるのよ。必ずね』
「……」
一転、無言で俯く朱璃。カトリーヌは再び怪訝な眼差しを向ける。
だが、彼女が問い質すより先に踵を返した。そろそろ戻りましょうと言って地下都市の方へ歩き出す。
「霊術はアンタが教えてくれるの?」
てっきり術士の頭領である月華から教わるものと思っていたが、彼女はアサヒを連れてどこかへ行ってしまった。
ニヤリと口角を持ち上げるカトリーヌ。
「そうだ、私が教えてやる。なんなら先生や師匠と呼んでもいいぞ」
「アタシだって、アンタがこっちの連中から疑われないようにMWシリーズの機密情報をくれてやったでしょ。調子に乗んじゃないわよ」
「はいはい」
ようやく調子が戻って来た友人の手を取り、地面の亀裂に向かって身を投げ出す。瞬間、朱璃共々青白い光に包まれ、ゆっくりと地下都市大阪へ向かって降下して行く。上がって来る時にも、こうして飛翔術で飛んで来たのだ。
「エレベーターは無いの?」
「蒼黒のせいで埋まったよ。新しく設置しても月一の襲撃で壊されてしまうからな。安全なのは地下だけだし、術士さえ自由に移動できればそれでいい」
「納得だけど、普通の人間にとっちゃ不便な話よ」
「まあ、たしかにな。福島か仙台に移住できれば、こういった事情も変わるだろう」
「できたらでしょ。まずは目の前の仕事に集中なさい」
「わかっているよ、班長」