十二章・結意(1)
文字数 3,718文字
重機関銃型のMW五〇四が火を噴く。文字通り、帯状の火線が吐き出されて火炎放射器の如く敵の顔を焼いた。竜は維持限界を迎えるまで不死に近い存在となる。しかし魔素によって再現されたばかりの彼等はその事実を知らない。まして、炎は大半の獣が本能的に恐れるもの。案の定その巨大な海蛇が怯んだ隙に倒れている仲間を抱え上げ、素早く跳躍する
『怪我人です!』
「あいよ!」
その建物は救護所で、術士達の展開した小規模結界によって守られている。負傷して気を失った護衛隊士を
「軽傷ですね、その方の治療は任せます」
「わかった」
南日本の医師に任され、早速治療に取りかかる門司。彼は軽傷と言ったが、それなりに深い傷だ。しかしなるほど、南では“これ”がある。
「上手くいっとくれよ」
深い裂傷に手を当て、意識を集中する。まだ素早くはできない。だが、それでも確実に自分の中で眠っていた“力”を引き出し、手の平から放射する。
(ただ単に当てるだけじゃ駄目だ……)
同時に相手の霊力の波長を聴く。聴診みたいなものだ。自分の力を相手の霊力にぶつけ反響を感じ取る。そこから相手の波長に合わせ、少しずつ自らのそれも変化させていく。
『流石はお医者さんね。貴女には治癒術の才がある』
そう言われ、数日間指導を受けて覚えた唯一の霊術がこれ。最も簡易な治癒術だそうな。相手の霊力の波長に合わせた自分の霊力を分け与えることにより、自然治癒力を飛躍的に高める技法。
なるほど、手の平をどけると出血が止まっていた。といっても完全に治癒したわけではない。単に急速にカサブタができて血止めになっただけ。
門司は素早く、今度は医者として学んだ技術で破れた血管を縫合し、肉と皮膚も縫って護衛隊士の命を救った。だが、その時にはもう目を覚ましていた彼は、礼を言うなり立ち上がってしまう。
「ありがとうございます、先生」
「……いいよ」
彼はまた戦場へ戻る。動ける限り、死なない限り、休むことなど許されない。
ここはそういう戦場で、彼女はそのために彼を癒したのだ。
「これでまた、戦えますから」
「そうかい」
まったく、兵士や調査官ってのは馬鹿ばっかりだ。いつもいつも無茶をして、その度に医者がどんな気持ちで治してやってるのか、想像さえできないらしい。
だが、だからといって士気を挫くようなことは言えない。自分は彼等の専従医師なのだから。
「よし、行ってこい。めいっぱい戦ってきな」
「はい!」
そしてさっきの友之と同じように飛び出して行く隊士。今度こそ死ぬかもしれないのに、その眼差しに迷いは無い。外からはやはり断続的に轟音が響き、震動が地面から伝わって来る。
「……手伝おうか?」
「大丈夫」
南の若い医師が手当てしている患者は、まだ目を覚まさない。こちらは重傷、目覚めたところで戦えまい。運が良いのか悪いのか。
「ふう……」
「タバコ、吸うんですか?」
一服を始めた途端、見咎められた。医者が患者のいる場で喫煙なんてと言いたいのだろうが、火のついたそれを持ち上げ、門司は笑う。
「安心しな、こいつは本物じゃない」
「は?」
「昔、別の班に所属していた時の班長がね、教えてくれたのさ。一時だけでも嫌なことを忘れて落ち着ける方法を」
タバコに見えるこれの正体は、ただの乾燥させた松葉。松葉タバコといって旧時代にも代用品として吸っていた人間がいるらしい。
有害どころか、むしろ健康に良い。頭痛、喉荒れ、疲労や倦怠感など様々な症状に対し効能がある。
「医者だからね、本物を吸うつもりはない。でも、当時のあたしは臆病でね、初の任務でガチガチに緊張してた。それで班長が『まさにお前にこそピッタリだ』って言って教えてくれた」
その班長も、彼女の初任務で命を落とした。
彼が最初の“助けられなかった”患者で、それからも何人もの仲間を見送って来た。
そして、何人もの命を救っても来た。
自分の手の平を見つめ、霊力の光を少しだけ放出しつつ、咥えたタバコを弄ぶ。
苦笑するように、あるいは泣くのを堪えているように目を細め、彼女は言った。
「あたしにとっちゃ、これを吸うのは確認作業なんだ。あたしは無力じゃない。皆を救うことはできないけど、それでも誰かは救えるはずだ。臆病者の自分が逃げ出さないように、時々こうやって言い聞かせてんのさ。だから、今だけは見逃しとくれ」
南の医師は、その言葉でようやく気付いた。門司の足が微かに震えていることに。
考えてみれば当たり前の話。もう後が無い自分達とは違って、彼女にはまだそれがある。本当なら、こんな危険な場所から逃げ出してしまったとしても、誰にも批判される謂れは無い。
それでもなお踏み止まってくれた敵国の医師に、彼もまた敬意を示す。
「目を瞑ります。その代わり、名前を教えてくれますか?」
「門司
「
「そうかい、よろしくな黒松さん」
笑いながら松葉タバコの火を消す門司。
早速、次の患者が運ばれて来た。
「先生、お願いします!」
「任せろ!」
「今度は一人か、協力しましょう、門司先生」
「あいよっ」
彼女がそう言って腕まくりした途端、高圧水流が目の前の道路を駆け抜け深々と抉る。
あと一瞬、患者と術士の入って来るのが遅かったら、死んでいただろう。
なんだかおかしくなって、三人揃って爆笑した。
海蛇のような竜。空中に水流を作り出し、その中を泳ぎ回る大型の鮫。既知のいかなる生物とも似ていない空中に浮かぶ白い結晶。そして魔素に適応し大型化した様々な変異種の群れ。
地下都市大阪は今、崩界の日の地上に匹敵する魔境と化していた。
そして、そんな怪物達に立ち向かって行く、無数の小さな影。二五〇年もの長きに渡りこの街を護り続けて来た術士達と、北から救援に駆け付けた戦力がそれぞれの武器を手に抵抗を続ける。
「燃えろォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォッ!」
怪物の背後から別の怪物が飛び出して来た。かつて秋田の地下でアサヒが戦ったようなワーム。その群れに向かって一旦鞘に納めた刀を引き抜き、閃かせる
彼女のこの術の正体は霊力障壁。最も単純で基本的な霊術。それを細く鋭く研ぎ澄ませ、切っ先から伸ばし、瞬間的に剣の射程を拡張する。霊力障壁は心の壁。術者の望んだものだけを遮断し透過させる。
だから障害物を無視出来る。間にある一切合切を透過させ、目標だけを切り裂く。
刃状障壁は味方全員を透過し、彼等に襲いかかろうとしていたワームの群れをまとめて切り裂いた。ついでとばかりに焼きガニの中身にも一太刀浴びせてトドメを刺す。
しかしその時、遥か上方から高圧水流が放たれた。霊力の弱い彼女の障壁では防ぎ切れない破壊力。
すると間に紙人形が割り込み、結界を張った。水流が一瞬だけ塞き止められ、その間に斬花は素早く跳躍する。
ところが紙人形が破裂し、再び地面に突き立った水流は海蛇型の竜の頭の動きに合わせ彼女を追跡する。道路が抉られあっという間に死が目前まで迫った。
(速い!?)
到底避け切れるタイミングではない。そう思った時、今度は大谷が左手を伸ばしながら突っ込んで来る。
「曲がれ!」
彼女のその言葉と共に水流が不自然に捻じ曲がり、二人の頭上を通り過ぎた。
すかさずカトリーヌ達が水流を吐いた竜の頭に攻撃を加える。数人の術者が空中を高速で飛び回り、意識を散らしたところへ
「次はあっちだ!」
カトリーヌが指示を出し、新たな標的に向かって行く術士隊。休んでいる時間など無い。敵はまだまだいる。
「ありがとうございます!」
自身も走り出しながら、並走する大谷に感謝する斬花。ここ数日、彼女はこの北日本の女傑に水流操作の術を教えていた。その成果が我が身を助けてくれたのである。
「いえ、こちらこそ、有用な術を教わりました!」
敵は海そのもの。そして水棲型の竜や変異種。なら水を操る力が役に立つと考え、それ一つに絞って学んだことが正解だった。大谷は頷き返し、直後、路地から飛び出して来たゾエア型の変異種をナイフで切り裂く。
「この刃も、実に良く斬れます!」
「でしょう!」
嬉しそうに笑う斬花。大谷が持っているのは北から持って来たナイフではない。斬花の友人が援軍のためにと用意しておいてくれた新たな武器だ。南の術士が使うのと同じ特別な呪が込められており、魔素障壁をも易々と切り裂く。
「やはり南の技術も凄いものです!」
「そんな……」
感心する大谷の言葉に、今度は苦笑する斬花。
「今の私達には、あんなものは造れません」
そうして見上げた視線の先には、カトリーヌ達が叩いた竜に追撃を浴びせる二つの輝きがあった。